樂の音その9

樂の音その9



言葉一つの違い
05/2/11
 りっちゃん

時々気になるのが「先生」という呼び方。うーん、一応りっちゃんは歌いますで先生という書き方をしているのは、何かしら教わった人という認識で書いています。中国語で書くと「老師」ですかね。中国語だと「先生」は字のごとくと言うか、「○○さん」ということですかしら?「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」というのもありますでしょう?演奏会後の打ち上げで、司会者の口上がなかなか面白かったんだけど、指揮者やソリストにまで先生をつけるのにちょっと違和感を感じました。正確にいうと共演者なんだから先生はないんじゃないかしら?

だんだん年を重ねると、指導者の言うことすら、できるできないはともかく知っている事が多くなって・・・指導力や人間性も考えると、先生と呼ぶのに抵抗のある人もいなくはない。そう思っていたら、「先生よりも、○○さんの方が親しみがあっていい」という記事を見て、外交官の話だったけど、合唱も、それでいいんじゃないかなぁと・・・合唱団は、学校とは違うからね。ま、学校もミスター、ミズで呼ぶ国も多いしね。

小さな合唱団では、「先生、それ違います」というのが言えたけど、大きい団だと難しい。この間も、指揮者が「吼えてください」といったのを、後で合唱指導者が「叫んで」と言い換えちゃったのよね。もともと、そこのf(フォルテ)は私はおおらかなfと感じていたので、だいぶずれてしまいました。もちろん、最終的には指揮者の棒にあわせます。経験豊富の合唱団員としては、それくらい当たり前。でも、少なくとも「叫ぶ」は「違います」と、手をあげるなり大声をあげるなりして発言すればよかったなぁと、これは私の反省。

大きな団も、運営に関係なく、気軽に参加できるし、音楽も大きいから好きなんだけど、こういう点、つまりみんなで音楽を作っていくとでも言うのかな、それは小さな合唱団の方が勝るね。今、私が係わっている団はどちらもルートがあるので、文句が言いたければ言える。これはとっても重要なことよ。私が辞めた団の中には、運営委員会とか偉そうな組織はあっても、文句を言わせない(私は言ったけどね、ただし完全無視された。意見だけじゃあないよ。意見を言う人間をね。だったら平和コンサートなんて名前を付けるなよと、いまだに腹が立つ)システムのところもあった。合唱はみんなで作るものだから、ひとり(例えば私)の意見ばかり聞いていては成り立たないかもしれないけれど、意見を聞く姿勢のないところでは、音楽もみんなで作ることは不可能だと私には思える。






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