樂の音その76

樂の音その76



金曜コンサート
10/4/9
 りっちゃん

去年の秋から始めた金曜コンサート、用事のある日や雨の日にはサボってばかり。今日も昼からお出かけだったけれど、もう桜のシーズンが終わってしまうので、慌てて歌ってきました。時間に追われると気持ちにも声にもゆとりがなくて・・・でも、今日は声を掛けて下さった方がお二人。「いい声ね」と。「一緒に歌いませんか?」と声をかけたのだけれど、断られてしまいました。「私は聞くのが好き」。とってもありがたいのですが、「私は歌えない」にはちょっと寂しい。

福生の何でも展でもそうだったのだけれど、目的は「街角に音楽を」で、みんなと歌いたいのだけれど・・・できれば、用意している歌詞カードを持っていってもらっておうちでも歌っていただけれると嬉しいのだけれど・・・なかなか難しいです。でも、上水で歌うのはとっても気持ちがいいので、めげずに続けたい。「歌うのって楽しいね」と言ってくださる方が増えることを願って・・・

私は歌うのが好き。口下手だから?無口だから?思っていることをうまく伝えられない。でも歌なら。例えば、今は春でしょう?いろんなことがあって、私自身も、社会全体も決して順風満帆ではない。けれど、確実に春は来る。今年はなんだか桜の開花から寒いけれどね。それでも、もう山吹も咲いている。「春を待ち望む心」「春を喜ぶ心」を歌いたいし、みんなともそのことを共感したい。でも唐突に「春だよね」なんてなかなか言えないし、歌ほどその喜びを謳いあげられない。だから、やっぱり歌。

『丸山眞男 音楽の対話』を読んだ。偉い政治学者で思想家とか。オーディオでクラッシクを聞くのが趣味で、語らったことをお弟子さんがまとめた本だ。でも、歌に関しては、コーラスをしていた奥さんの方が良くわかっていたかも。当たり前のことが書いてある。「音楽は再現芸術」、「演奏とは、音符を機械的に音に置き換えるだけの作業ではない、作品の本質を理解し、演奏家が自らの言葉で聴き手に語りかける行為」「自分のなかにある何かを訴えたい、相手に分かって欲しいという強い気持が、(形)になって実現したのが芸術です」「音楽という芸術のなかに『意志の力』を持ち込んだのはベートーヴェンです。『理想』と言ってもいい。人間全体、つまり人類の目標、理想を頭に描いて、(響き)=(音響感覚)でそれを追究し、表現する。凄まじい情熱ですね」。言い方は小難しいけれど、作曲家が意図したものに、自分の思いを重ね、楽譜通りに歌いながら、自分の思いも表現していく。そして、聞いていただく方々の共感を得られると、とても嬉しい。また歌いたいというエネルギーになる。

九曜混成は、同窓会で歌うための臨時の合唱団だし、何よりも自分たちが楽しむことを優先したい。それでも聞いていただくのだから、練習にも励むのだけれど、例年、練習を重ねた曲よりも、毎年だからとたいして練習しない校歌の方が、喜んでいただけるのだ。どうしてかはわかるよね。聞き手からすれば、聞きなれない合唱曲よりも、青春時代の思い出が詰まった校歌の方が感動するのよね。当然のことです。で、歌っているほうもその方が歌いがいがある。

今日は“「県外移設」の不履行は絶対に認めない!”の最終日、『安里屋ユンタ』が歌われていたけれど、「サーユイユイ」などの掛け声さえみんなが歌わない。踊りはあったけれど、なんか淋しかったな。「砂川闘争」で『赤とんぼ』の大合唱が感動的だったとか。うらやましい。あの頃は「歌声」の時代でもあったからなぁ。今はひとりひとりが音楽をイヤホンで聴く時代。みんなで声を合わせて、というのは、趣味でコーラスをしている人しか許されないというか・・・いいじゃぁないかドラ声でも何でも。みんなで歌うのはとっても楽しいんだよ。力にもなるんだよ。選曲も重要だけれどね。私は「インターナショナル」も歌えないから、『赤とんぼ』あたりがいいなぁ。でも、唱歌すら、もうみんなで歌えないんだねぇ。音楽も貧しい時代です。

だからこそ、ぼちぼちだけれど、続けたいんだな。「みんなで歌おう!」を。





次はひいらぎ合唱団演奏会   メニューはこちら   りっちゃんちはこちら