樂の音その71

樂の音その71



「p」は「弱く」ではない!
09/7/7
 りっちゃん

5日、フォーレのレクイエムを聴きに出かけた。友達が出ていたので。厳しい批評を覚悟しておくようにと事前に通告はしておいたけれど、「鐘一つ」にはだいぶショックを受けたようだ。でもねぇ。この曲は難しいのよ。ずーっと声を張っていないといけないから・・・fであれ、pであれ・・・特にpの時がねぇ、弱々しく聞こえちゃう。大体、「p」を「弱く」と訳したのが大間違いなんだよね。ボリュームを絞るという感じ。音量は小さくとも、むしろ、意思としては強い時がある。

さすが、井崎指揮者は「O domine」のアルトの出など、少し大きめで出させていたし、ソプラノのfも、これぞと言うときは左手を差し上げて、みんなもそれにのかって力強かったけれど・・・全体的に底力というか、丹田からの声ではないというか、だから、表現が・・・出来ていない。全体には荘厳で、派手さはないみたいだけれど、ドラマなんだよ。フォーレも。宗教曲みんなそうなんじゃぁないかなぁ。だって人生に直結しているのだもの。ただお上品であるわけがない。・・・で、「鐘一つ」。私がこの団をやめた翌年には、「喜び」の表情があって期待していたのだけれど・・・残念だなぁ。この団はまだ歴史が浅い。その分声もさほどは揃っていない。それでも表現ができていたのに・・・ふむ。人数がだいぶ減っている。辞めた、或いは辞めさせられた人がいるからなぁ。合唱団運営も難しいねぇ。

声が揃っているという点では、春に聞いたロッチュさんの「マタイ」のコラールは天上の声でしたねぇ。でも、マタイも眠かった。私がお疲れだったからねぇ。用事は済ませたから、後半は聞かずに帰宅してしまった。ロッチュさんのマタイを歌った時には、2会場に分けても合唱団員が舞台からこぼれ落ちそうだった。10年も前の話だが、ずいぶんと減ったなぁと・・・高齢化もあるけれど、ただ美しく歌うだけでは物足りない、というのもあるのでは?

これはアマチュアだけではないと思う。というのは、今回のソリストが2人とも奇麗ではあるけれど、母音しか聞こえなかった。一緒に行った友人は「まだ若いからこれからよ」と言っていたが、子音が聞こえなければ、その響きによる感情の変化が伝わってこない。長唄では、西洋のクラッシクと逆に、拍のあとから言葉が出てくる。その差の分は子音の準備にかける。「紅葉」なら「も」の前に「ン」を入れるよう楽譜に指示がある。この"溜め"がいいんだよなぁ。やっぱ、邦楽も素晴らしいよ。

アマチュアの団なのだから、変に気張らずに、団員が楽しく歌い続けることを目的にすればいいのではないかと、私は思うけれどね。あちこちから排除された私としては、居心地のいいところが一番いい。いろいろ厳しいことを言ってしまったけれど、フォーレも、アンコールの「雅歌」も聞けたし、プーランク「グローリア」が楽しそうな曲で、珍しく「歌いたいなぁ」と思ったよ。いつか、わたしを入れてくれる合唱団が見つかるかもしれないし、ま、西洋のクラッシクもまたいつか。

今はセブンスに向けて、ぼちぼちと練習に励んでおります。カルメンの「カルタの歌」かっこいいんだけれど、「死ぬー」ばかりで、わたしの寿命もそろそろかな、と。だいぶ体力弱ってきているからなぁ。でも、その日まで、歌い続けたい。12月にはこげらのコンサート、来年はひいらぎの演奏会。秋はお祭りもあるし、これからは忙しい季節だわ。ん?当分死ぬ暇はないかぁ。





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