樂の音その52

樂の音その52



切磋琢磨と中庸
07/1/21
 りっちゃん

メサイヤ、最後まで歌えた。そう思った瞬間に涙がつつっと。

昨年の6月は、何で迫害されちゃうんだろう?(ちょっとオーバーかな。でも一杯いろんなことがあったから・・・)って、考えちゃったら、涙で歌えなかったし、今回もゲネプロで後ろの席の人に、あなたが後過ぎるから楽譜の下の方が見えないと言われちゃって・・・貧乏だからケチって、今までの楽譜を訂正して使っていたから、私のは他の人より楽譜が大判だったのよ、で、楽譜を平でなく、縦にして歌ったの。また本番中に泣いてしまうのだろうかと不安に思いながら・・・そしたら、それでも、邪魔だみたいに言われちゃって、今回は「これ以上はできません。もともと狭いのだから、あなたの方も我慢してください」って反論したの。

でも、よく考えたら、初めてモツレクを歌ったとき、あまりの楽しさにいつの間にか、みんなより前に立っていたのよね。もし今回歌いながら下がっていたのなら、それって、私の気持ちが後ろ向きなのかもしれないと思って、「自分の生き方はこれでいいんだ!決して卑下することはない」って自分に言い聞かせながら歌ったの。そしたら、いつもは途中から疲れて気持ちを込めて歌う余裕がなくなったのに、本番は最後までエネルギーを保持して歌えたの。声も伸びがよかったと思う。で、涙。

合唱指導の長井先生が98.5点と褒めてくれた。メンバーに若い人が増えたのが、一番影響があったんだけれど、私自身も最後まで楽しく歌えたし、全体も良かったと言われたので、とってもうれしい。

長井先生の講評では、喉と頭脳、身体と心、その結びつきとバランスがとっても良かったって。音楽が奇を衒わずに中庸だったと表現なさっていた。

中庸とか適当ってとっても難しいのよね。何も知らずにこの辺だろうというのは中庸とは言わないのよ。右も左もよく見て知ったうえで、ここしかないというのが中庸。だから「感情におぼれすぎて歌ってはいけない」というのは、感情なしで歌うのではなく、感情も情熱もあった上で冷静に歌うというのが必要なのね。今日は、後に若い人の声が良く響いていた。それと指揮者の熱心な指導と冷静な指揮に助けられたなぁ。

指揮者といえば、合唱指導の長井先生の要求と彼の要求がだいぶ違っていた。もちろん基本的なところや大事なところは一緒なんだけれど、表現としてここは指揮者としてこうしたいというのは、どの指揮者にもあるんだと思う。今までの指揮者は多分長井先生の実力なり権威なりに遠慮されてか、要求はするけれど、すぐ引っ込められていたような気がしていた。今回の前田指揮者はそれがなかなかでしたのよ。で、お二人で交渉を色々なさっていたようで、ちょっと(自分の問題は棚に上げて申し訳ないのだけれど、)興味深々でもあったのです。お二人とも合唱団の力を最大限に引き上げたいがためだと思うのですが、その切磋琢磨がこの高得点に結びついたのではないかという気がします。

私自身は革新系だと思うけれど、保守系なり、右翼なりのお友達もほしいなぁ。この頃はちっとも参加していないけれど、yahooの掲示板のジョンさん(ちょっと達者すぎて論点をずらされる傾向にあったけれど、)や、大丈夫人さんともっと議論したかったなぁと、ちょっとこれは音楽とは関係ないけれど、中庸の道を探るには、自分と意見の違う人とも話をすることも必要なんだよね。

音楽のことも、もっと一杯おしゃべりできるといいのだけれど、やっぱり控えめな私は、ここに書き込むのが精一杯かなぁ。反論してくださる人がいると、もっと私も勉強になるし、読む人にとっても面白いとは思うのだけれど・・・

合唱の魅力って、いろんな人がいることだと思う。情熱的な人、クールな人、声のきれいな人、歌い方の上手な人、発展途上の人、努力する人、音取りは苦手だけれどつられて歌えちゃう人、面倒見のいい人、なんかわかんないけれどその人がいるとにぎやかになれるとか、雰囲気がよくなるとか、そんなふうにいろんな人がいて、お互いにいいところを認め合って、切磋琢磨できたらいいなぁ。そんな集団が好きだし理想でもある。

この合唱団に誘ってくれた仲間が、また来年度も歌おうねって。体力なくなったことで、もう辞めようかなと迷っていたけれど、誘ってくれる人がいるってありがたいよね。その人がいつも、心配したり励ましてくれたんだ。だからやって来れたんだし、また頑張ろうって約束したんだ。そういう仲間がいて、私は幸せです。これからもよろしく!!






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