樂の音その51

樂の音その51



メサイア
06/12/23
 りっちゃん

20日、本番指揮者、前田淳さんの練習ではなかなか的確なご注意を頂いた。

And The Glory Of The Lordでは、3拍子だが、決して機械的に3つに分けるのではない、もっと軽やかに!! との指摘。北村哲郎先生は別な曲だったが、「3拍子は踊れるように!」とおっしゃっていた。そういうことなんだろうと思う。でも、特に男性は皆さん苦手のようで・・・合唱をやる人はダンスもやったほうがいい、と私は思うのですが・・・今の私はそんな余裕はありませんが、高校の音楽の授業で一応基本ステップは習っていますので・・・

And He Shall Purifyでは、Pが頂点になるようにクレッシェンドとデクレッシェンド。言葉の意味を考えれば重みは当然そこに来ます。

Glory To Godでは、glが拍の前に来るように、これは第9で郡司さんから仕込まれた。強弱も段々天使が近づいてくるようにと。

His Yoke Is Easyでは、楽譜にあるとおり、ダイナミクスを守るように。これはどの先生も言うわね。時には書き直すように言われる時もある。私はというと楽譜代をけっちって、友達の本から音符の長さとかの違いは写したけれど、強弱記号までは確認していない。大丈夫かなぁ。周りの声を聞くよりないけれど、体力のないときは、その反応がうまくできないときが多々。指揮棒に対してもそうです。ゲッ、やばい!

Behold The Lamb Of Godではリズムの確認を再度言われた。この鞭打ちのリズムは鋭く、細かい音符は長い音符にぎりぎりつけるようにと。

And With His Stripes We Are Healedでは、意味を考えて歌うように、と。意味もわからず歌っているのは、ドレミやラララで歌うようなもの。練習曲をお客様の前で歌いますか?と厳しい指摘。長井先生、自分の責任もあるといたく反省されていました。抜粋とはいえ「メサイア」の練習が5ヶ月だけとは厳しいものがある。そんな余裕はなかったというのが実情なんですが、長井先生はまずご自分を反省されている。そんな所が偉いなぁと感心します。

Hallelujah!では、luに重きを置く、それも細かい所でも常に。私自身は、この曲あたりからバテバテになってしまう。休み休み歌っている。本番までに体力つくかしら?不安。

Since By Man Came Death、この曲は完全苦手。意味も深刻だから、胸が詰まり喉が詰まり、できればパスしたい所だけれど、後のdeath,dieではフォルテまでもって行かなくてはならないということで、サボるのもまずいようで・・・はて、どうしよう。とにかくチャレンジしてみなくては・・・練習する時間と気力と体力がほしい。歌詞の意味としては、「アダムのせいで人に死が訪れるようになったが、」の後で、復活を歌っているのだからそんなに深刻にならないでもいいのだが、ピッチ、ピッチと散々言われたからかなぁ。苦手になっています。そこをクリヤーするには練習しかないのだろう。自分に自信がもてるまで、繰り返しなんだろうけど・・・

Worthy Is The Lamb That Was Slainでは、出だしに輝かしいフォルテを要求された。うん、これは得意。

初めてメサイヤを歌ったときは、ただただ楽しくて・・・そう、お客様の前で歌う責任のようなものは感じてもいなかった。あの時は希望があった時だったからかしら?今回は、もうそろそろ引退かなぁ。大曲はもういいや。という気分になる。なぜなんだろう。体力だけの問題なのかしら?悩んでる前に練習しろって。そのとおりなんですけれど、なんだかなぁ。責任を問われるとますます気が重くなる。歌を楽しみたいのだけれど、その余裕がまるでない。もう歌わないほうがいいのかしら。

自分の未来に希望がないと断定しないで、悩みながらも努力しましょう。年末年始、庭仕事はタンマして、頑張りますか。長井先生も、他の団員の皆さんも頑張っておられるのだから・・・どっこいしょ。まずは姿勢から直そう。胸を張って、首を背中に近づけて。偉そうに。ね。現実に打ちのめされていても、お客様のための演技と考えれば・・・素人なりの努力、です。






次は切磋琢磨と中庸   メニューはこちら   りっちゃんちはこちら