タンポポの詩


誰かと別れるときは、いつだって相手の姿が見えなくなるまで見送った。
「またねーっ!」
大声を上げて手を振るのは、柔らかそうな白銀の髪を耳の下で整え、同じような色合いの猫の耳を頭から生やした、まだ少年と呼んでも差し支えの無い姿をした騎士だった。
プロンテラの商店街だというのに、彼の声は春風に乗って随分と響くようだった。
騎士の少年と共に狩りに行き、その清算を終えて去っていくプリーストの青年が、困ったような顔で笑って、軽く手を振り返した。
彼の背中が人の群れの間に消えていくのを見送ると、騎士の少年は勢い良く振っていた手をようやく降ろした。
「さて、どうしよっかな」
小さな声で呟くと、彼は足元に降ろしてあった荷物の袋を拾い上げ、共に置いてあったやや大ぶりな剣を腰に提げなおすと、プリーストが消えたのとは逆の方向に向かって歩き出した。
道端に出てた露天でアイスクリームを一つ買うと、それをぺろぺろ舐めながら、騎士の少年はプロンテラの大通りに向かって歩いていった。
あちこちに散らばる露店を覗いては、時折興味深そうに白い耳をぴくぴくと動かす。
その仕草の為か、猫耳の為か、はたまた小柄な体格の為か、騎士の姿はどことなく小動物を連想させるものだった。
溶けて零れそうになったアイスクリームの雫を舌ですくい取りながら、騎士はプロンテラの大きな門をくぐり抜けた。
やはり小動物のような仕草でふと空を見上げてみれば、まだ太陽は大分高い。
夕方と呼ぶには早い時刻だし、今から狩りに行けば夕餉の時間までには充分稼げるだろう。
「でもなぁ……」
彼がそう呟くと、頭の猫耳がへにゃり、と垂れ下がった。
残ったアイスクリームのコーンをかりかりと齧ると、彼は道から逸れて、無造作に立ち並ぶ木々の間に入り込んでいった。
薄暗い木陰の中で、白い頭がひょこひょこ揺れて見え隠れする。
時折吹く春風が、彼の頭から生えた猫の耳をくすぐっては通り過ぎていく。
幾つかの木陰を抜けたところに、雑草が生えた小さな空き地が広がっていた。
「よいしょっと」
軽い掛け声と共に、騎士の少年は背負っていた荷物を放り、腰から提げていた大ぶりの剣を外して、そこに立てかけた。
最後まで残ったアイスクリームの端を口の中に放り込むと、彼は青々とした草の茂る大地の上にごろんと横になった。
青々と晴れ上がった空が、視界いっぱいに広がる。
「今日はもうおしまいにしちゃおうかなあ」
白い雲が風に乗って流されていくのを眺めながら、騎士はそう呟いた。
街道から外れている為か、彼がこの空き地で人に出会ったことはなかった。
それは今日も同じらしく、白銀の髪に草がつくことも気にせず、大地に寝転がる彼の耳を揺らすのは、鳥の声と風の音だけだった。人の話し声は愚か、足音すらも聞こえない。
今、この世界には自分しかいないのではないか?
そんな錯覚に陥りそうになって、騎士は慌てて目を閉じた。
「良くない良くない」
まるで何かのまじないのように、騎士は小さな声で呟いた。
何となく胸が苦しいような気がするのは、きっと大地から立ち上る草の匂いのせいだけじゃないだろう。
誰かと狩りに行った後、一人になってしまった時というのは、ほんの少し寂しい。
だから、人と組んで狩りに行く時は、晩御飯にありつけるギリギリの時間まであちこち走り回っていることが多かった。
多かったのだが、勿論、今回のように中途半端な時間に一人になってしまうこともあるわけで。
大体、そういう時に一人で狩りに行っても気が乗らず、疲れるばかりで稼ぎにならないことが多いので、露店を巡ったり、適当な場所で昼寝なりして過ごす事が多かった。
今日はここで昼寝かな、と騎士が思った時。
「わわっ!」
彼の鼻先を、何かが掠めていった。
慌てて飛び起きて辺りをきょろきょろ見回すのだが、原因とおぼしきものは見当たらない。
「何だったんだろー……」
薄気味悪く思いながらそう呟くと、騎士は荷物と剣を片手で抱き寄せ、反対の手で鼻を擦った。
その目元を、何かとても小さなものが、ふわふわと横切った。
これだ、と思って目を凝らそうとすると、それは吹き付けてきた春風に乗って、大空へと舞い上がった。
風上の方へと目を向けると、途端に騎士の表情は明るくなった。
「タンポポだ!」
騎士が目を向けた所には、真っ白な綿毛のタンポポが、何本も群れるように生えていた。
ぱたぱたと足音を立てるようにしてタンポポに近づくと、騎士はその場に屈み込んだ。
背伸びするように綿毛を高く掲げたタンポポは、春風が吹くたびに右へ左へと揺れ、時折小さな種を風に乗せて飛ばしていく。
ふわふわと飛んでいく綿毛を、騎士の少年はじっと見つめていたが、やがて一本のタンポポに根元に手を沿えて、ぷちんとむしった。
「ゴメンネー」
そう呟くと、騎士はタンポポを握ったまま立ち上がり、晴れ上がった空を見上げた。
明るい水色の空に飛び込むかのように爪先立ち、背伸びをすると、深く大きく息を吸い込んで唇の前にタンポポを掲げた。
優しい春風が通り過ぎるのを見計らうと、騎士の少年は真っ白な綿毛に、ふうっ、と息を吹きかけた。
小さな白い綿毛達が、一斉に青空へ向かって舞い上がる。
「うわぁ……」
青い空に散らばっていく白い綿毛を見つめながら、騎士の少年は感嘆の声を漏らした。
吹いてきた春風が、それら一つ一つを優しく包み込み、それぞれ遠くへと運び去っていく。互いに向かって綿帽子を振りながら、種は段々と小さくなっていった。
ばらばらになっていく姿だというのに、それは不思議と寂しさを感じさせなかった。むしろ、どこかワクワクさせるような光景だった。
「凄いなぁ……」
彼がそう呟くと、手元に残っていたタンポポの茎が、春風に吹かれてゆらゆら揺れた。
何気無く目を向ければ、そこにはまだ、一つの種が残っていた。
優しい春風に吹かれても、ゆらゆらと綿毛を揺らすだけの最後の種は、まるで寝ぼけた子供のようだった。
「置いてかれちゃったよー?」
そう囁きかけて、優しく息を吹けば、最後まで残っていたねぼすけも、慌てて先を行く兄弟達を追いかけた。
青空に吸い込まれていく綿帽子を見つめていた騎士は、ふと何かを思いついたような顔になり、笑みを浮かべた。
足元にタンポポの茎を横たえると、彼は剣を腰に提げ、荷物を抱えると、綿帽子たちの消えていった方へと走り出した。
「どこまで行くか見てくるね!」
残された白いタンポポに、一度だけ振り返ってそう投げかけると、タンポポ達は了解したと言わんばかりに白い頭を揺らした。
満足そうな顔になった騎士は、また元の方向を向いて走り出した。
綿帽子と同じ色の頭が、青い空の広がる先に向かって、段々小さくなっていった。






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