砂粒



埃っぽい風を感じて、バードは無意識のうちに楽器のケースをマントの下に潜らせた。
砂漠の町モロクの空気は、乾燥していて、喉にも楽器にも、良いと言えるようなものではなかった。
出来る事なら、あまり長居したい場所ではないのだが。
「これが拾えるんなら、まあ悪くはないよな」
バードはそう呟くと、肩から提げていた荷物袋の中に手を突っ込んだ。
がさがさと漁って取り出したのは、古びた青色の小箱だった。
砂漠の太陽に照らされて、深い青味がかった光を放つ箱に、バードの表情が緩んだ。
通称「青箱」と呼ばれる代物。冒険者の間でかなりの値段で取引されるそれが拾えたのであれば、バードにとって、喉と楽器への少しの負荷など、取るに足らないものだった。
「今日はご馳走だな」
袋に箱をしまいこみ、早いところプロンテラに戻って売ってしまおうと、バードはモロクの北門広場へと向かった。
カプラ職員にプロンテラまでの転送を頼もうとした時、ふとバードは、北門へと目をやった。
幾人かの冒険者達がたむろする北門を潜り抜ける者がある。
まだ太陽も高いというのに、酔ってでもいるのだろうか。ふらふらとした足取りで、砂に埋もれた石畳の上を歩いている。
何だろうと目を凝らしたバードは、それが灰色がかった銀髪をしたシーフの少年である事に気付くと、途端げっと声をあげた。
バードは荷物袋の口を結い直すと、危うい足取りで歩く人物に駆け寄った。
「お前、何やってんの!」
思ったよりも大きくなってしまった声に、周囲の人物が視線を向けた。
呼び止められたシーフは、足を止めると、辺りを見回すようにしてからバードを見た。 「……あれ、オニーサン?」
シーフはそう言うと、やだなあ、と肩を竦めた。
「今日はまだオニーサンから何も盗んじゃいないよ。どこかに落としたんじゃない?」
「別にお前に何か盗まれたみたいだから呼び止めた訳じゃ……ってまだって何だ!」
「だってー、オニーサンってば甘いしー?」
目の前のシーフに、バードは何度か持ち物を盗まれている。
気付く度に追いかければ、最後にはちゃんと返してくれる。が、だからといって持ち物が盗まれる事に良い気持ちはしない。
それでも、子供のする事だから、実害はないからと、バードは何となく強い態度に出られずにいた。
それが甘いと言われる原因なのだろうが。
「そうじゃなくってだな、足元ふらついてるだろ?」
バードが指摘すると、シーフが僅かに表情をしかめた。
「ちょっと疲れてるんだよ」
そう呟くと、シーフはじゃあね、と手を振ってバードに背を向けようとした。
「……ちょっと待て!」
見送ろうとしたバードは、しかし慌てた様子でシーフの手を掴んだ。
「何」
振り向いたシーフが、鳶色の目で睨み付ける。
それに臆する事無く、バードはシーフを見つめ返した。
その視線が、どこか上手くぶつからないような気がして、バードはやっぱりと呟いた。
「お前、目、見えてないでしょ?」
バードが聞くと、シーフは無言のままだったが、やがてチッと舌打ちした。
「……鈍そうに見えてそーいうトコだけ鋭いんだから」
そう吐き捨てると、シーフはバードの手を振り払った。
「子デザに派手に砂掛けられただけだから、そのうち戻るよ」
言いながら目を擦ろうとするシーフを、バードが止めた。
「そんな事やったら目に傷付くぞ!」
「だってさー、いくら水で流しても落ちないんだもん。お陰で飲み水ほとんど使っちゃった」
シーフは仕方なさそうに言うと、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「目薬とか緑ポは?」
「持ってない」
「蝶の羽は?」
「使ったら首都に逆戻りで勿体無い」
「だからって見えないまま歩くか……?」
バードが感心したとも呆れたともつかない声を上げた。
「ちょっと待ってろよ、お兄さんでも目薬ぐらいは持ってたと思うから……」
そう言って荷物を漁りだすバードに、だめだめとシーフは首を横に振った。
「砂入ったままじゃ意味無いでしょ」
「そうかもしれないけどさー……」
放っておく訳にもいかない、といった様子のバードに、シーフは腕を組んでうーんと唸ると、やがて口の端に微かな笑みを乗せた。
「じゃあさオニーサン、ともかく砂取ってくれない?」
シーフの提案に、バードは軽く瞬きした。
「良いけど……」
「あーいきなり目に指突っ込むとか無しね」
「誰がやるんだよんな事!」
「うちの姉ちゃんはやったよ」
「……バイオレンスなお姉様ですね」
うめいたバードに、シーフはまあね、と呟いた。
「……で、どうやって取りゃ良いのよ?」
気を取り直してバードが聞くと、シーフはにやりと笑って、バードの耳元に口を寄せた。
「舌で」
「ええええええええっ!」
慌てたバードが大声を上げて飛び退いた。
「何慌ててんのさ、別にチューしろとか言ってるわけじゃないでしょ?」
ニヤニヤと笑ってシーフが言った。
「それとも何、オニーサンは目が見えなくて困ってる、可哀相なシーフの男の子を放っておけるような冷血漢なの?」
「じ、自分で可哀相とか言うか?」
げんなりとした様子のバードに、けれどシーフは構わず天を仰いで声を上げた。
「あー可哀相、俺ってば可哀相、オニーサンの頭より可哀相」
「俺の頭のどこが可哀相なんだ……あーもう分かったから黙れ!」
バードはやけになって叫ぶと、シーフの手を掴んで歩き出した。
辿り付いたのは、薄暗い建物の影。
「疚しい事する訳でもあるまいし、物陰に連れ込む必要とかあるの?」
問い掛けるシーフから、バードは目を逸らして答えた。
「だって恥ずかしいじゃん!」
「でもさ、物陰に連れ込んだら、それこそ恥ずかしい事するように見られない?」
「……そうかも」
呟いたバードは、力なく肩を落とした。
「で、やってくれるなら早くしてよね」
「分かってるよ!」
シーフの催促に、バードは叫ぶようにして答えた。
「何度か水被ったから、多分目の周りは綺麗になってると思うんだよね」
そう言ったシーフの顔を覗き込んでみれば、確かに目の周りは汚れていなかった。
バードは荷物袋の中に手を入れると、緑色の液体が入った硝子瓶を取り出した。
「……緑ポで流すから、ちょっと染みるかも」
「ん」
シーフが、バードの顔の傍に頭を寄せた。
緑ポーションで口内をすすぐと、バードはもう一度、口の中に緑ポーションを含んだ。
シーフの頭を両手で押さえ込むと、相手は微かに目を伏せた。
二重瞼の縁から生える、髪と同じ灰色をした長い睫が、目の下辺りに影を落とした。
細められた鳶色の目を、バードはじっと見つめた。
――コイツ、綺麗な顔立ちしてたんだな。
普段は悪ガキとしてしか見ていない為か気付かなかったのだが、シーフの顔立ちは、少年ぽさの中に、どこか大人びた雰囲気を持ち合わせていた。
同い年の相手よりも、少し年上の女性に愛されそうな、綺麗な少年といった感じだろうか。
真っ直ぐに通った鼻筋や、シャープな印象を与える輪郭。
何よりも、二重瞼の下から覗く目が、バードの目を惹き付けた。
「ちょっとオニーサン、何見惚れてんのさ」
シーフが目を開いて問い掛けてくると、バードは慌てて首を横に振った。
「もしかして俺に惚れちゃった?」
悪戯っぽくシーフが聞けば、バードは更に首を激しく振った。
ふうん、とシーフは微かに笑みを含んだ声で呟くと、もう一度目を伏せた。
バードは内心で溜息を付くと、シーフの右瞼に唇を乗せた。
睫の生え際に舌先を沿わせれば、流れきっていなかった埃の苦味を感じた。
口に含んだ緑ポーションを少しずつ流してやると、シーフの頬を涙のように伝って流れ落ちた。
躊躇いながらも剥き出しの眼球に舌先で触れると、シーフが微かに呻き声をあげた。
「……あんまし気持ちの良いもんじゃないね」
シーフの呟きに、それはこっちの台詞だとバードは胸中で呟く。
優しく突付くように表面を舐めていた舌に、小さな硬い粒のようなものが触れた。
これが砂粒だなと、バードは口の中に残る緑ポーションを流しながら、舌で硬い粒をすくい取った。
シーフの目から唇を離し、口に含んだ砂の粒を、手袋を外した手の甲に舌先で押し付けた。
小さな砂の粒が、手の上に残った。
「うっそー、こんな小さい奴だったんだ」
バードが顔を上げれば、零れた緑ポーションを水で洗い流したシーフが、バードの手の甲を覗き込んでいた。
「凄いごろごろしてるから、もっと大きいもんだと思ってたのに」
「そっか……」
ぼんやりとした様子でバードは呟いた。
「ちょっとオニーサン、何ぼんやりしてるのさ」
「へ?」
何が、といった様子でバードが顔を上げると、シーフが至近距離で覗き込んできた。
濡れた右目に見つめられ、思わずバードは身を竦ませた。
その様子に気付いたのか気付いてないのか、シーフは軽く肩を竦めて呟いた。
「まだ左の目も残ってるんだけど」
「……あ、ああ、そうか」
悪い、と呟いて、バードは手に残った砂の粒を振り払おうとした。
その手をシーフの左手が掴んだ。
何をするのかと首を傾げるバードの前で、シーフは手の甲を自らの口元に運ぶと、砂の粒を舐め取った。
生温かく湿った感触に、バードがビクリと震えた。
猫のようなシーフの鳶色の目が、バードの様子を伺っていた。
「……お、おおおお前は何してんだ!」
慌てたバードが悲鳴のような声でそう叫ぶ。
「えー?」
シーフは平然とした顔で見返す。
「オニーサンと同じ事しただけじゃん」
そう言うと、シーフはニヤニヤと笑いながらバードの傍に顔を寄せた。
「まさか今更、左目はやんないとか言わないよね?」
シーフが呟くと、バードは言葉に詰まった。
「言わないよね?」
畳み掛けるシーフから、バードは目を逸らした。
どうしたものかというような困惑顔をしていたバードだが、やがて、何かに気付いたような顔をした。
「……分かった、やってやる。だから」
バードはシーフを見ながらそう呟くと、彼の右手を掴んだ。
「青箱は返せよ?」
シーフの右手には、バードが狩りで得たばかりの、古く青い箱が握られていた。
「こんなすぐに気付かれちゃったか」
つまらなそうに呟いたシーフの手から箱を奪い取り、バードは半眼を伏せた。
「いつの間に取ってたんだ……」
「オニーサンの手にチューした時」
「チューとか言うな!」
赤くなって叫んだバードを見やって、シーフはぺろりと舌を出した。
「良いからさ、さっさと左目もやってよ」
「何がどう良いんだ……」
うんざりとした様子で呟きながらも、バードは残っていた緑ポーションを口に含み、シーフの頭を抱き寄せた。
「オニーサン、本当に甘いんだから」
からかうようなシーフの言葉に、微かに顔をしかめながらも、バードは彼の左瞼の上に唇を落とした。





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