Stray cat



夜の闇に包まれた窓の向こうからは、激しい雨の音が聞こえる。
その中に人の足音らしいものが混ざっているのを聞きつけると、ローグは座り込んでいた椅子からゆっくりと立ち上がった。
ギルドで借りているこの一軒家では、ローグ以外の人物は、既に皆眠ったらしい。仲間達の安眠を気遣い、ローグは静かに玄関の扉を開いた。
激しい雨の音が、ローグの耳に直に響く。
扉の向こうにいたのは、やはり同じギルドのクルセイダーだ。
雨の夜を背負うようにして、驚いた顔でローグを見ている。
「見回りごくろーさん」
聖堂からの依頼で、大雨の中見回りに向かっていたクルセイダーに、ローグはそう声をかけた。
「あ、ありがとう」
ずぶ濡れのマントを鎧から外してやると、クルセイダーはぎこちない様子で礼を述べた。
抱えたマントを、ローグは玄関先で絞り上げた。滝のような水が、マントから滴り落ちる。
「冷えただろ、さっさと風呂入ってこいよ」
少し身軽になったクルセイダーを家の中に入れて、ローグは扉を閉めた。
どこか落ち着かない様子のクルセイダーに、ローグは軽く唇を吊り上げた。
「それとも、俺が暖めてやろうか?」
今すぐここで、と付け加えると、クルセイダーは慌てたように首を横に振った。小さな水の雫が、キラキラと辺りに飛び散った。
「じゃあさっさと行ってこい」
しわのよったマントを乱暴に伸ばしながらローグが言えば、クルセイダーはそうさせてもらうと言って、そそくさと自分の部屋へと向かっていった。
その後姿にどこか違和感を感じつつも、いつまでも冷たい格好のままでいたい奴なんていないだろう、とローグは一人納得する。
「ちゃんと暖まってこいよー」
「にゃー」
「はい良いお返事……っておい!」
ローグが顔を上げると、駆け出そうとするクルセイダーの背中が目に入った。
濡れたマントを抱えたままで、ローグが走り出す。重たげな鎧をまとったままのクルセイダーに追いつくことなど、彼には造作なかった。
「逃げるな!」
背後からクルセイダーの腕を掴み、無理矢理に自分のほうを向かせる。
明らかに焦った顔のクルセイダーの目を、ローグはじっと睨みつけた。
「……どうかしたか?」
ごまかすように笑って、クルセイダーが言う。
じりじりと離れていこうとするクルセイダーの腕を、がっしりと掴んだままで、ローグはクルセイダーの姿を見回す。
どこにも変わった様子は見られないのだが。
「わ、ちょっと!」
おもむろに、ローグはクルセイダーの鎧の隙間に手を突っ込んだ。
硬直するクルセイダーの体の上をごそごそと漁ると、その手の先に、何か柔らかいものがぶつかった。
ためらいもせず、ローグはそれを掴み、自らの目の前に引っ張り出した。
「にゃー」
鳴き声をあげる、薄汚れた毛玉。
ローグの手に掴まれたままで、小さな猫がじたばたと暴れていた。
これは何だとローグが目だけで問えば、クルセイダーは分かりやすく目を逸らした。
「増水した川の岸辺で、ずっと鳴いてたんだ。その、今にも川に呑まれそうだったから……」
「連れてきたのか」
クルセイダーの言葉を受けるようにローグは呟くと、未だに暴れ続ける猫を、濡れたままのマントと一緒に抱え込んだ。
「後で引き取ってくれる人を探そうと思うんだが……まずかったか?」
恐る恐るといった様子で、クルセイダーが尋ねてきた。
まずいかまずくないかといえば、そりゃまずいだろう、とローグは思う。
何せこの家にいるのは、同じギルドの仲間ばかりだ。
つまりは皆、冒険者。
家に居つく人間はまるでおらず、猫の面倒なんて見れるはずもない。例え誰かに引き取ってもらうにしても、それまでの間、どうやって面倒を見るつもりなのか。
そうは思いつつも、しょげかえっているクルセイダーを見ていると、ローグは口には出せなかった。真面目な彼にしてみれば、弱っている動物を放っておくことなど出来なかったのだろう。その心がけそのものが間違っているはずもないことを、ローグも理解していた。
それに何より、しょげかえるクルセイダーが、彼には猫よりもよっぽど可哀想に見えてくるのだ。
「ともかくさっさと風呂に行って来い。コイツは見といてやるから」
少し乱暴な口調でそう言ってやれば、クルセイダーはぱっと表情を明るくした。
「じゃあ……」
「引き取ってくれる人を探すんだろ? そのぐらいの日数なら、別に他の奴も文句言わねえんじゃねーの?」
文句を言われたら俺が面倒見てやるしかないな、とローグは内心で呟いた。
引き取り手が見つかるまでの間、恐らくはクルセイダーが面倒を見るのだろうが、それに付き合って二人で家で過ごすのも悪くない。悪くないどころか大歓迎だ。他のギルドメンバーを追い払ってでも、二人きり(おまけの一匹)で過ごしてやろう。
「ありがとう」
ローグの決意など知るはずもなく、クルセイダーは礼を述べた。
今度こそ部屋へと戻っていく、クルセイダーの軽い足取りを見送りながら、ローグは座っていた椅子へと戻っていった。
クルセイダーのマントを椅子の背にかけ、部屋の隅にあった、洗濯籠らしいものに猫を入れ、上からタオルをかけてやる。
まだ濡れている猫をわしゃわしゃとタオルで拭きながら、ローグは呟いた。
「しばらくの間、お前の席はここな」
手を止めたローグは、タオルの間から覗き込む猫に向かい、真面目な表情をしてみせた。
「それと、雨の中に放り出されたくないなら、これだけは覚えておけよ」
タオルの間で居心地悪そうにしていた猫が、物騒な言葉にに何か感じるものがあったのか、ローグに顔を向けた。
「アイツは俺のだ」
二度とは貸してやらねーぞ、とローグが言う。
分かっているのかいないのか、少し乾き始めた猫はにゃーとだけ答えた。





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