空の色は水の色


青い空を、一羽の鳥が緩やかに横切っていく。
壁に寄りかかるようにして空を見上げていたブラックスミスの青年が、ふうっと大きく息を吐いた。
長く伸ばされた紫の髪が、さらりと音を立てた。
「人間が飛べないのはな、飛ぶ必要が無いからだよ」
そう言うと、ブラックスミスはタンタン、と軽く左の足を踏み鳴らした。
足元に置かれたカートの中の荷物が、小さく音を立てて崩れた。
「地面と仲良く生きていくことが、人間にとっての幸せなんだよ。空なんか飛ばなくても充分幸せなんだ」
言いながら、ブラックスミスはポケットに手を突っ込み、肩を竦めた。
「そういう事忘れて生活するってのは良くない事だと思うぞ、俺は」
「……で」
ブラックスミスの斜め前に立っていた男ウィザードが、胡散臭そうな顔をして呟いた。
「そんなにバンジージャンプがしたくないんだな?」
「ウルセーウルセー誰が好き好んで高い場所から飛び降りるってんだこんのド畜生!」
叫びだしたブラックスミスに、ウィザードはやれやれと首を横に振った。
彼ら二人がいるのは、ウンバラの中央にあるバンジージャンプ台の上だった。
カートの持ち手に左手を乗せるようにして、ブラックスミスは嫌そうな顔をして、ジャンプ台の縁を見つめた。
「こんな事どんな気分でやれんのよ……」
「超最高」
「聞きたいなんて一言も言ってねえっての」
何でもないような顔で言ってのけるウィザードにそう返して、ブラックスミスは壁から背を離すと、ポケットに両手を突っ込んだまま下を覗き込んだ。
透明な水をたたえた川の水面が、青い空を反射して、キラキラと輝いていた。
ただし、ブラックスミスの目線のかなり下方で。
「これかなり高いよなって馬鹿止めろ背中押すなヒトデナシ!」
何食わぬ顔をして背中を押してくるウィザードを振り向いてそう叫べば、元凶のヒトデナシはちっと舌打ちした。
「グダグダうるせえから、ひとおもいに行かせてやろうとしたのに……」
「どこまで行けるんだよこれ落ちたら!」
「悪くてもニブルだから安心しとけ」
平然とした顔のウィザードとは対照的に、ブラックスミスはイライラとした顔で長い紫の髪を掻き毟った。
ブラックスミスの横に並ぶようにして、ウィザードも下を覗き込んだ。
「この程度なら死なないだろう。実際、冒険者でカプラ転送ミスで死んだ奴がいるって話は聞かないしな」
「その第一号になったらどうすんのよ……」
「とりあえず先南無」
「とりあえず南無あり」
ブラックスミスは苦々しげな口調で吐き捨てると、ジャンプ台の縁から離れて日陰に入り込むと、カートに寄りかかるようにして座り込んだ。
ウィザードは相変わらず下を覗いていたが、やがてブラックスミスを振り返った。
「お前が高所恐怖症だったとは知らなかった」
「別に高所恐怖症って訳じゃねえよ」
座り込んだままのブラックスミスは、そう呟いてウィザードを見上げた。
太陽を背に立つウィザードの表情は影に埋もれてよく見えず、ブラックスミスは僅かに目を細めた。
「ただ高い所に行くのと、高い所から飛び降りるのとはどう考えても世界が違うでしょーが」
すると、ウィザードは軽く眉をひそめた。
「さっきから飛び降りる飛び降りるって言ってるが、これはどっちかっていうと飛び込むって感じじゃないか?」
「何が違うのよ」
ブラックスミスが聞き返せば、ウィザードは軽く首を傾げ、ややあって答えた。
「積極性?」
「俺に聞くな」
そう返せば、ウィザードはつまらなそうな顔をして、また足元を覗き込んだ。
突き落としてやろうかとブラックスミスは考えたが、落ちる寸前に手でも掴まれて道連れにされてはたまらない。というより相手の性格から考えてそれぐらいは絶対にする。しかも相手は無傷で自分だけカプラ転送ぐらいのオチはつけてくれそうだ。
「リスク大きすぎだよな……」
「何がだ?」
いつの間にか目の前に立っていたウィザードに、ブラックスミスは別に、と首を横に振った。
ウィザードを見上げれば、背中に背負った熱帯の日差しの為か、表情は影に埋もれてよく見えなかった。
「で、飛び込むんならさっさと行けば?」
いくら日陰とはいえ、ウンバラの気温はかなり高い。早いところ適当な建物に入って一息吐きたいというのがブラックスミスの本音だった。
「そうする」
ウィザードは頷くと、けど、と付け加えた。
「ちょっと忘れ物」
そう言うと、ウィザードはブラックスミスがそれが何かを問い掛けるよりも早く、日陰の中に屈み込んだ。
そして、不思議そうな顔をするブラックスミスの唇に、自らの唇をそっと重ねた。
「……おい?」
「……幸運をお前に、悪運を私に」
小さな声で囁くと、ウィザードはにっと笑って、羽織っていたマントとケープをブラックスミスに投げつけて駆け出した。
「うわっ!」
頭から被さる状態になって視界を遮られたブラックスミスの耳に、軽く床を蹴りつける音が届く。
続いて、大きな水音。
ようやくマントとケープを撥ね退けたブラックスミスが慌てて縁に駆け寄り、下を覗き込めば、丁度潜水してたウィザードが水面に顔を出すところだった。
キラキラと熱帯の太陽を反射する雫を跳ねさせて、ウィザードが赤い髪をかき上げた。
水に濡れたウィザードは、バンジージャンプ台を見上げると、呆然とした顔をするブラックスミスを見つめて笑った。
妙に気恥ずかしい気分になって、ブラックスミスは大きな声でウィザードに問い掛けた。
「どーよ!」
「超最高」
そう答えたウィザードの笑顔がひどく眩しく見えたのは、きっと太陽のせいだけじゃないだろう。
「お前、実は語彙少ないんじゃねえの?」
「かもな」
キラキラ光る空色の水の中浮かぶウィザードは、そう答えると、ブラックスミスに向かって手を広げた。
「私の分の幸運もやったんだからな!」
お前も飛び込め、というウィザードに、ブラックスミスは呆れたような顔をして、次いで笑い出した。
「その分俺の悪運強さ持ってったクセに!」
ブラックスミスはそう叫ぶと、抱えていたウィザードのマントとケープをカートに積んで、大きく背中を伸ばした。
ジャンプ台に立って足元を見れば、未だウィザードは水の中で、眩しい顔で笑っていた。
「行くぞ!」
軽い掛け声とともに、ブラックスミスはジャンプ台の床を蹴った。
空を浮かべた水面が、視界の先に広がっていた。






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