戦車



薄暗い地下水道。
「誰もいないよな……」
商人は辺りを見回して斧を置くと、頭に被ったゴーグルを外し、長い紫の髪を結び直した。
次に手袋をはめなおし、自らのカートを振り返る。
そこに乗っているのは、沢山のニンジン……ではなく、赤い髪のマジシャンだ。
座り込んだまま、少し吊り上がり気味の目が、カートのあちこちを見回している。
「そんな簡単に壊れねえから安心しろって」
ゴーグルを直しながら呟く商人に、マジシャンは軽く頷く。
商人はニッと笑うと、床に置いた斧を背中に背負った。
「んじゃ、行きますか」
「おう」
商人がカートの持ち手を掴む。
同時にマジシャンがカートの中に立ち上がり、静かな声で呪文を構成する。
辺りの空気がざわめき、マジシャンの赤い髪が静かに揺れる。
「燃え上がれ!」
彼の声とともに、手から小さな炎の塊が現れる。
炎は、餌を求めて彷徨っていた盗蟲の群れに向かって、真っ直ぐに飛んでいった。
それが群れを吹き飛ばす寸前に、商人がマジシャンを乗せたカートと共に走り出す。
「灰と散れ!」
マジシャンは次々と呪文を構成し、小さな炎を蟲に向かって飛ばし続ける。
仲間の異変に気付いて、他の蟲が彼に向かって飛び掛る。
その体がマジシャンの長めの前髪を掠めるところまで近づいた時。
「危ねぇっ!」
ひゅう、と口笛を鳴らして、商人が走る方向を変える。
攻撃するべき対象が消えたことにより戸惑う蟲に向かって、マジシャンが真っ直ぐ手を伸ばす。
次の瞬間、彼の手から出た衝撃波によって蟲は吹き飛ばされ、仲間の群れの上に落ちた。
そしてまた新たな群れがカートに向かって飛び掛る。
商人が絶妙なタイミングでそれらを避け、間抜けに飛び上がった奴らをマジシャンが燃やすという、単純な、けれど素早い作業を彼らは繰り返し続ける。
あっという間に、辺りは蟲の残骸だらけになった。
「ナーイス、さすが俺様。どうよ、最高のカート裁きっしょ?」
仲間の残骸に群がり始めた蟲に向かって走りながら、商人が調子よく呟く。
「とろい」
遠慮のないマジシャンの言葉に、商人の足が遅くなる。
「てめぇ……しかもたったの三文字!」
「ほら速度落ちた……っ!」
飛び上がった蟲を避けきれず、マジシャンがカートの上でバランスを崩す。
「やべっ……」
商人が振り向くよりも先に、カートの中で膝をつくマジシャンに向かって、蟲達が襲い掛かる。
しかし、彼は少しも慌てずに、マントの下から短剣を抜き払った。
「雑魚が!」
気合と共に短剣を振り、襲い掛かる蟲を次々と斬り捨てる。
自らの体にかかる蟲の体液もそのままに、彼はカートの中で立ち上がり、短剣を振り続けた。
先ほどの詠唱を見ていない者は、誰も彼をマジシャンだとは思わないだろう。もっとも、辺りに人はいないのだが。
どうにかカートが蟲の群れを引き離したところで、ようやく彼は短剣をしまい、呪文の詠唱に戻った。
「……お前、絶対接近戦の方が強いって」
商人が呟くと、マジシャンが叫んだ。
「くだらない事言ってる暇があるなら、もっと速度上げろ!」
「あーへいへいへいへい!」
軽く舌打ちし、商人が速度を上げる。
「そんな乱暴にやるなっ! 舌噛んだらどうするんだよ!」
「知るかアホッ!」
そう叫びながらも、彼は少し強めにカートの持ち手を握り、しっかりと自らの体に固定した。それだけで、カートの揺れは随分と収まった。
カートの上の対蟲兵器は、彼の気遣いに感謝する様子も見せず、ひたすら炎を飛ばし続けている。
マジシャンを乗せたカートを引いて、戦車のような戦い方をしたら、なかなか稼げるのではないか。
そう提案したのは商人の方であった。
彼はこの性格の歪んだマジシャンの事を、それなりに信用している。
魔力そのものは高くない……どころか、他の魔法使いに比べて低めでさえあるのだが、詠唱は素早く、短剣もそこそこに使える。
少なくとも、自分が守ってやる必要はない。
例え自分が守ると言っても、プライドが高い相手のことだ、どうやっても頷きはしないだろう。
多分、相手も彼の事を信用しているのだろう。
はっきりいって、自分だってかなり歪んだ性格をしているとは思う。相手のほうが上だとも思うが。
出会えば口喧嘩は絶えない。それでもマジシャンは、こうして戦車戦法に付き合っている。
信用できない相手に、自らの足を任せるはずがない。
あまり認めたくはないが、息の合ったコンビである。
ただ、こうまで怒鳴りあっていると、やはり優しい女の子と共闘する方が楽しい、とか考えてしまうわけで。
「やっぱりもっと可愛い子とやるべきだったかね……」
「じゃあ止めるか?」
「ここで止めたら蟲の餌じゃねえか!」
「分かってるなら走れ」
マジシャンは冷たく言い捨てると、飛び掛ってくる蟲の群れを睨みつけた。
新たな炎の塊を投げつけると、彼は小さく息をついた。
「まずいな……」
先ほどの勢いとは違う、苦しげな声の呟きに、商人が首だけ振り返る。
「何が?」
酔ったとか言われたら落としてやる、と心の中で付け加えた。
少しためらった後、マジシャンはおずおずと口を開いた。
「……ちょっと、魔力限界きてるっぽい」
「ありえねええぇぇぇっ!」
思わず大声をあげて叫んだ商人に、マジシャンが顔をしかめる。
「仕方ないだろっ、お前だって、私が魔力低いってこと分かってるだろ!」
そうだった。
魔力の限界を考慮に入れていなかった事に、商人はようやく気付いた。
「とりあえず、逃げられるところまで逃げ切れ!」
限界に達した事で起きている眩暈を振り切るようにして、マジシャンが叫んだ。
徐々に体の中に魔力が戻ってくるのが感じられる。もう少しすれば、群れからはぐれた数匹ぐらいならば何とか仕留められそうだ。
タイミングを計ろうと蟲を睨みつけるマジシャンに、掠れた声で商人が呟いた。
「……いやあ、あのね、俺もそろそろ走れなくなるかなー、なんて」
「ありえねええぇぇぇっ!」
今度はマジシャンが叫んだ。
もうかなりの間、商人は走り続けている。しかも、マジシャンを乗せたカートを引いて。
普段からカートを引いても充分戦えるように訓練しているのだが、慣れない方向転換を繰り返したせいか、足元が危うくなりつつあった。
性格の悪い相手に悟られたくないから隠しているが、息もかなり苦しくなってきている。
小さくうめいて、マジシャンがカートの中でしゃがみ込んだ。
いい加減二人とも限界がきていた。
しかし、根性の歪んだ相棒の前で、弱音を吐くのは互いに屈辱である。
少し悩んだ後、商人が思い切って口を開いた。
「なあ、賭けしない?」
「賭け?」
眩暈に耐えながら、マジシャンが聞き返す。
「そ、沢山の蟲をぶった斬った方が勝ち。勝った奴が今日の稼ぎを多く取れるってことで」
どう、と訊ねる商人に、マジシャンが唇の端を吊り上げる。
「面白い」
彼は立ち上がると、マントの下から短剣を抜き、カートから飛び降りた。
商人も足を止め、カートを壁際に押し付けると、背中の斧を両手で握り直した。
その間にも、蟲の群れは迫ってくる。
「ま、勝つのは俺だろうけどね」
「ほざけ」
不敵に微笑む商人を、マジシャンが鼻で笑う。
二人は武器を構えると、同時に地を蹴って蟲の群れに飛び込んだ。





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