人生最期の幸運



酷く深刻な顔をしたブラックスミスがそう切り出したのは、寝台の上でだった。
「なあ、俺死ぬかもしれない」
「はあ?」
上着の胸元を寛げられ、さあこれから、という時に、自らの上に圧し掛かる人物が放った言葉とは思えず、ウィザードは間の抜けた声を上げてしまった。
「起きたまま寝言抜かす奴とやる気はねえ」
「いや本当に」
うんざりした顔をするウィザードとは対照的に、ブラックスミスは、表情を変えようとはしない。
その様子に、ウィザードの胸中を、不穏なものが駆け抜けた。
「……何言ってるんだよ」
不安を隠すように、ウィザードは目を細めた。
ブラックスミスは何も答えない。
ただ、沈痛な面持ちでウィザードを見つめている。
ブラックスミスの向ける視線が痛くて、苦しくて、ウィザードは乱暴に彼の頭を抱き寄せた。
手が、僅かに震えていた。
「言え。何があったか全部言え」
震えを押さえ込むように、ブラックスミスの頭を強く抱きしめながら、ウィザードはそう呟いた。
胸元で、ブラックスミスの温かな呼吸を感じた。
この温もりが消えてしまうなんて、到底信じられる話じゃなかった。
「今日の、午前中さ」
くぐもった声で、ブラックスミスが呟いた。
午前中、彼ら二人は別行動だった。昼食を終えてから、二人で狩りに行ったのだが、その時から夕食まで、ブラックスミスの様子に変わったところは無かったはずだ、とウィザードは思い出していた。
「6人でパーティー組んでさ、監獄に行ってきたのよ」
「ああ」
「グラストヘイム行ったらいきなり深淵待ち構えてて、大慌てでぶん殴ってたわけ」
そうしたら、と続けると、ブラックスミスは黙り込んでしまった。
「おい、何だよ。そうしたらどうなった」
苛立つような声でウィザードが問えば、ブラックスミスが身じろぎした。
「出たんだよ」
低いトーンの声に、ウィザードの背筋が冷えた。
「……何が」
どうにか声を絞り出せば、胸の上で、ブラックスミスが小さな溜息を吐いた。
唇を開いてはためらうのか、何度か胸元をくすぐられてから、ようやくブラックスミスが発した言葉は。
「深淵カード」
一瞬、ウィザードの頭の中が真っ白になった。
真っ白になった後、落ち着いてブラックスミスの言葉を反芻すると、必死にブラックスミスを抱きしめていた手がまた震え始めた。
怒りで。
「……だからどうした?」
怒鳴りそうになるのを堪えながら、ウィザードが問い掛ける。
「そのカードが60Mちょいで売れたわけよ。だから一人10M以上の取り分ね。俺、10Mなんて持ったの初めてでさあ……」
本当に死ぬかも、と呟くブラックスミスを抱きしめながら、ウィザードは唇を開いた。
「……なあ、左の脇腹と右の脇腹、どっちが良い?」
「何が」
「膝蹴りいれるの」
ブラックスミスが答えるよりも早く、ウィザードの左膝が、ブラックスミスの右脇腹目がけて跳ね上がった。
「あっぶね、馬鹿、何しやがる!」
ギリギリで飛び起きて避けたブラックスミスの反論に、ウィザードは怒鳴り声で答える。
「馬鹿はどっちだ、そんなもんで死んで堪るかってんだこの大馬鹿!」
何だと、とブラックスミスも声を荒げる。
「テメエな、10Mだぞ10M! いきなりこんな大金持たされたら明日死ぬかもぐらい思うだろ!」
「んな事言ったら世のブルジョアは皆ゾンビじゃねーか!」
「奴らは俺らと持ってる運の絶対量がちげえんだよ!」
「運だけで生きてるのかテメエは!」
下らねえ、と吐き捨てたウィザードは、ブラックスミスを睨み付けた。
「大体なあ、それだったら私と会った時点で死んでるだろ」
「何でさ」
尋ねるブラックスミスの胸元を、ウィザードは思いっきり引き寄せた。
「テメエのしょっぼい運なんか、私と会うのに全部使われてもう残ってるはずねえんだよ!」
乱暴に怒鳴りつけると、ウィザードはブラックスミスの胸元から手を離し、思い切り抱きついた。
「この幸せ者」
ほぼヤケクソになって囁き、ウィザードはブラックスミスの胸に顔を埋めた。
顔が火照っているのは、怒りのせいだと言い聞かせながら。
「……運使い切ったのはどっちだか」
呟いたブラックスミスも、ウィザードの背に腕を回した。軽口に、少々照れが含まれているのは、ウィザードの思い込みか。
けれど強く抱きしめてくれている事だけは事実だと、ウィザードはひっそり安堵する。
「明日の朝食奢れ」
「何でだよ」
「慰謝料」
「マジでー?」
ぼやくブラックスミスを、ウィザードは抱きついたままで見上げる。
「それで一生モノのレアの機嫌が取れるんだ。安いだろ?」
「……まあ、ね」
ブラックスミスは笑顔になると、腕の中にあるウィザードの額に、唇を落とした。
「おい、結局やるのか?」
そのまま寝台に押し倒されて、慌ててウィザードが問い掛ける。
「やるやる、使い果たした一生の幸運は大事にしないと」
ブラックスミスはそう答えると、これ以上の文句は聞かないというように、ウィザードの唇を塞いだ。
少々不満は残るものの、まあ良いか、とウィザードは思った。
唇から伝わる温もりと、確かな鼓動がここにあるなら、もうどうだって良いや、とウィザードは目を閉じた。





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