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カウンターの隅が静かなことにバードが気付いたのは、リクエストの七曲目を歌っている途中だった。
最後のリクエストとして受けた八曲目を歌い終えると、バードは酒場のマスターから、謝礼金と、唐揚げが乗った皿を受け取り、静まっているカウンターの隅へと向かった。
そこには、先客が一人、座っていた。
ウィザードの男だ。
カウンターには、食べかけのグラタンの皿が置かれている。
しかし、ウィザードはグラタンに手をつけようとはしなかった。
椅子の上で、少し前のめりになった彼の背中は、ユラユラと揺れている。
唐揚げの皿を片手で持つと、バードは、揺れるウィザードの肩をポンと叩いた。
途端、ウィザードの背筋が真っ直ぐに伸びた。
「……寝てない」
「嘘だあ」
目を擦るウィザードの隣に、バードが座った。
マスターから冷水のグラスを二つ受け取り、一つをウィザードに差し出してやる。
ウィザードがグラスの中身を半分ぐらいまで飲み干すのを見ながら、バードは唐揚げをフォークで刺した。
「眠いなら帰ってて良かったのに」
いる、とバードはフォークごと唐揚げを差し出すが、ウィザードは首を横に振った。
「別に、眠くないし」
少しバードから視線を逸らすようにして、ウィザードはグラタンのマカロニにフォークを刺した。
「眠くなる前に寝ちゃったんだ」
そう言って、バードは唐揚げを口に入れた。
「寝てないってば」
尚も反論するウィザードに、じゃあ、とバードは問う。
「何歌ってたか、覚えてる?」
ウィザードが、二回ほど瞬きした。
「……一曲目がロマンス、二曲目が海の見える町、三曲目が……時計台?」
「それ五曲目」
「じゃあ……ラストダンス」
「それは今日歌ってない」
む、とウィザードが考え込むような表情になった。
バードが笑う。
「ほら、やっぱり寝てた」
「寝てない、ぼんやりしてただけ。それで忘れた」
ウィザードはそう言って、グラタンをフォークで口に入れた。
「じゃ、それでも良いけど」
二つ目の唐揚げを、バードが頬張った。
揚げたてで、まだ少々熱い唐揚げをよく噛んでから飲み込んで、バードは黙々とグラタンを食べるウィザードを見る。
「明日、魔術師ギルドに呼び出されてるんでしょ?」
ウィザードはグラタンを食べる手を止めると、無言で頷いた。
「朝から行くんだったら、もう寝たほうが良いと思うよ」
バードの言葉に、ウィザードがチラリと視線を向けた。
ね、と呟いたバードに、ウィザードは何も答えずに、皿に残ったグラタンをフォークでかき集め、口に運んだ。
もぐもぐと口を動かし、飲み込んでから、ようやくウィザードが答える。
「やだ」
「何でさ?」
問い掛けるが、ウィザードは答えようとしない。
バードは困ったような顔をして、唐揚げを口に入れた。
三つ目を食べ終え、一口水を飲んだところで、ウィザードがだって、とぽつりと呟いた。
「……明日、魔術師ギルドに行ったら」
小さな声に、バードはウィザードを見る。
空になったグラタンの皿を見つめるかのように、ウィザードは少しだけ俯いていた。
「多分、夜まで、帰れないし」
ウィザードは顔を伏せたまま、水の入ったグラスに手を伸ばす。
グラスの表面を、親指の先で撫でると、ためらいながらもウィザードは言葉を続けた。
「……そうしたら、明日は、会えないから」
バードがきょとんとした顔になった。
「でも明後日は会えるじゃない」
そうバードが言っても、ウィザードは顔を上げない。
うん、と小さく呟くだけだった。
「それでも、明日は会えない」
手にとったグラスを、ウィザードは自分の元へと引き寄せた。
「だから……寝れない」
バードが目を見開いた。
彼の見つめる前で、ウィザードは、グラスの中身を一口飲んだ。
驚きから悩みへと表情を変化させたバードは、ウィザードから目を離し、水を飲むと、何かを思いついたように表情を明るくさせた。
「ね、じゃあリクエストしてよ」
「リクエスト?」
ウィザードが不思議そうな顔をする。
そうだなあ、とバードは呟く。
「穏やかで、ゆったりした曲にして欲しいかな」
「どうして?」
聞き返すウィザードに、バードは嬉しそうな顔をした。
「子守唄にして歌ってあげるから」
今度はウィザードが目を見開く番だった。
体ごと、バードはウィザードに向き直る。
「寝るまでちゃんと歌っててあげるから、安心して寝て良いよ」
しばしウィザードはバードを見つめていたが、やがて視線をグラタンの皿へと戻した。
「考える」
今までのどの声よりも小さかったが、バードが聞き逃す事はなかった。
会えないのが嫌だからと、寝ないで自分を待っていたウィザードの声を、聞き逃すはずがなかった。
バードもうん、と呟く。
「唐揚げ食べ終わるまで、ちょっと待っててね」
「うん」
「待ってる間に寝ないでね」
「……努力する」
言葉に詰まる様子を見せつつも、ウィザードはそう答えた。
カウンターに肘を付いたウィザードが、真剣な表情で考え込むのを見つめながら、バードは四つ目の唐揚げにフォークを突き刺した。





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