男の子だもん



出かける仕度をしていたアルケミストの青年は、玄関の外から聞こえた物音に、微かに眉をひそめた。
こういう時は、大抵ロクな事がない。
無視しても構わなかったのだが、どうせ外に出るときに通らなくてはならない。渋々といった様子で、アルケミストは玄関の扉を開けた。
「本日休診ですかね?」
足元のほうから、聞き慣れた、しかし幾分掠れた声が聞こえた。
玄関の脇に、重たげなクルセイダーの装束を傷だらけにし、更に返り血やら泥やらで汚した青年が座り込んでいた。
よくアルケミストの私宅兼実験室を訪ねてくるその青年は今、表情こそ笑っているが、顔色は酷く悪かった。青白い、というよりはむしろ白に近かった。
本人は押さえているつもりかもしれないが、手負いの獣が放つ、鋭さの混ざった気配が全身から漂っていた。
「これから街に出るつもりだったんだけどねえ」
アルケミストは軽く肩を竦めると、クルセイダーの傍に屈みこんだ。
汗に濡れて額に張り付くクルセイダーの髪をかき上げてやると、深い青をした瞳がアルケミストの方を見た。
危うげではあるが、まだ朦朧としている様子は見当たらない。
「立てるかな?」
「何とか」
アルケミストの肩に縋るようにして、クルセイダーは重たい装束を纏ったままの体を立ち上がらせた。
ずっしりとのしかかる重みに、けれどアルケミストはよろける事も無く、家の中へとクルセイダーを招きいれた。
足を進める度に、クルセイダーは苦しげな息を吐き、時々微かな呻き声さえ上げた。
アルケミストは横目でクルセイダーの表情を伺うと、口元に笑みを浮かべた。
「そういう色気のある表情は、是非とも健康な時に見せて欲しいんだけどなあ」
「そりゃ怪我人に言う言葉か?」
そう答えたクルセイダーは笑おうとして、すぐに顔をしかめた。
アルケミストの肩に回しているのとは反対の手で、彼は脇腹を押さえた。丁度鎧の隙間になった部分から、じわり、と赤い物が滲み出し、床の上に滴り落ちる。
小さな赤い点を一瞥すると、アルケミストはクルセイダーを手近な椅子に座らせ、鎧と上着を脱がせた。それらをまとめて椅子の隣に置くと、彼は膝を付いた。
「何をやったんだ」
「ぷちテロ掃討」
「ぷち、でこんなに汗かくのかい?」
言いながら、アルケミストはクルセイダーの胸元に浮かぶ脂汗を、清潔なタオルで拭ってやった。
脇腹の血が滲んでいる傷以外にも、塞いだばかりと思われる傷や、かさぶたらしきものが体中にあった。
「ヒールは?」
「脇腹のは自分でかけた。けど、ふさがらなかったわ」
クルセイダーの答えに、アルケミストは僅かに顔をしかめた。
ヒールは元来、治癒力を速める効果をもっている。だから、自然治癒力で癒せる範囲を遥かに超えた傷に対しては効果が薄い。また、被術者の治癒力自体が衰えていれば、大した事の無い傷でも癒すのには時間が掛かってしまう。
つまり、目の前の怪我人は相当体力を消耗している。
「そっちの傷は?」
塞がりかけている傷を指で示すと、テロの最中にヒール貰ったから、との答えが返ってくる。
クルセイダーは苦しげに息を吐き出すと、まだ血が溢れ出してくる脇腹の傷に目をやった。
「正直、ヒール程度で塞がるほどに体力残って無いし、忙しいところに治療頼むわけにもいかないだろ。まだ元気残ってる奴らは民間の救助に駆け回ってる」
「で、元気の残ってない君は僕の所まで来た、と」
「そーゆーコト」
よくここまで来られたものだ、とアルケミストは内心驚いていた。
彼の住処は、ゲフェンの街からいくらか外れた場所にある。さほど遠くないとはいえ、傷を負ったクルセイダーが、重たげな装束を纏ったままやってくるのにはかなりの体力を消費しただろう。
「応急手当だけでも受けてくれば良かったものを……」
アルケミストがそう言うと、クルセイダーは傷から遠いほうの肩だけを器用に竦めた。
「前衛がボロボロで手当て受けてるところなんか見せて、余計な不安煽るわけにもいかないっしょ」
それにほら、とクルセイダーは笑う。
「俺としては格好良いクルセイダーのお兄さん、でいたい訳ですし」
アルケミストは呆れたような顔になった。
「とんだ見栄っ張りだな」
「男の子だもん」
ああそうかい、とアルケミストは呟くと、立ち上がって部屋の隅に置かれた棚の前に行った。
中を漁って自らが調合した薬と包帯を取り出すと、クルセイダーのほうに向き直った。
「男の子なら、かなり染みるとは思うけど、それも平気だよね?」
微かに笑みさえ浮かべているアルケミストに、クルセイダーは嫌そうな顔をすると、お手柔らかに、とだけ呟いた。





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