折れる前に



町の中央には、多くの露店商人が集まる。
その広場を、ウィザードは軽く見渡した。
探し人は今日もいない。
彼は諦めて、馴染みの宿屋の扉を開けた。
「いらっしゃ……てアンタか」
カウンターの向こうにいる娘が、彼の姿を見つけて笑いかける。
「二人でいいの?」
娘の問いかけに、彼は微かに眉をひそめた。
相手に悪気が無いのは分かっている。それでも、やはり苛立つ事に変わりはなかった。
「一人」
吐き捨てるようにそう答えると、宿屋の娘は驚き、すぐに心配そうな顔になった。
「まだ、戻ってこないの?」
そんな相手の気遣いさえも、ウィザードには鬱陶しく感じられた。
彼は何も言わず、一人分の宿代を乱暴にカウンターに置いた。
硬質の音が響く。これ以上何も話す気はないという意志の表れだった。
娘は少しためらった後代金を数えると、部屋の鍵を渡した。
ウィザードは無言でそれを受け取ると、鍵に示された部屋に向かった。
その背中に、宿屋の娘は声をかけようとして、何と言えばいいのか分からなくなって止めた。
2階の左から3番目。それがウィザードの部屋だった。
部屋に入ると、彼は荷物を置き、マントを脱ぐと、寝台の上に座り込んだ。一人部屋だから当然、寝台は一つしかない。
このまま目を閉じたら、すぐにでも眠れそうだった。ぼんやりとした頭を目覚めさせようと、ウィザードは首を振った。
大きく息をついて、腰につけた短剣を外す。
彼は荷物の中からぼろ布を取り出すと、短剣を鞘から抜いた。
現れた刃に、ウィザードは眉をひそめた。
しっかりと拭いていたつもりだったのだが、刃には魔物の体液がこびりついていた。
曇った刃をぼろ布で包み、軽く力を入れて汚れをふき取る。
段々と汚れが取れて、綺麗な銀色が見えてくる過程が、ウィザードは少し好きだった。
完全に綺麗になった短剣を手に乗せ、彼は目を細めた。
冷たい銀色の刃に刻まれた、製作者の名前。
最高傑作だ、と言って笑ったブラックスミスの顔が、今でもはっきりと思い出される。
特別腕が良い訳でもない彼が、材料を探しに行くと言って、ウィザードの前に顔を出さなくなって5日間。
たったそれだけの時間なのに、もう一月以上も会っていない様な気がして、ウィザードは小さく溜息をついた。
彫り込まれた名前に、ウィザードはそっと指を添えた。
旅立つ前に、ブラックスミスが彼に渡した短剣。
何のつもりだと聞いたウィザードに、ブラックスミスは預かっていてくれと答えた。
自分が戻るまではどのように使っても構わない。けれど、自分が戻ってきた時にはそのままの状態で返して欲しい。決して折ったり、壊したりはするな。
ブラックスミスの言葉を思い出しながら、ウィザードは彫り込まれた名前に静かに指を滑らせた。
駆け出しのブラックスミスが打ったにしては、信じられない程の強度と切れ味を誇るその短剣は、少しの事では折れそうに無かった。相当な無茶をしなければ、傷一つ付かないだろう。
ウィザードがかなり無茶な戦い方をする事をよく理解して、ブラックスミスはこれを渡したのだろう。
自分の代わりになるだろう、と呟いた彼を、ウィザードは鼻で笑った。お前がこの短剣ほど役に立つものか、と。
しかし、今のウィザードはどうしようもない苛立ちに捕らわれていた。
そして、その苛立ちをぶつけるべき相手は、今はここにいない。
短剣を鞘に収め、しっかりと固定すると、ウィザードは寝台に横たわった。
程よい硬さの寝台に、すぐに意識が朦朧としてくる。
そっと胸に短剣を抱きしめる。
これを壊さずに返せと言うのならば。
壊れる前に帰って来い。
帰ってきて、そして……。
その後に続く言葉が思い付かないまま、ウィザードは深い眠りに落ちた。





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