お似合いな二人


聖堂横に立つ宿舎は、今日も寒かった。
トーストにサラダという、質素な朝食を用意しながら、プリーストの青年は窓の外を眺めた。
朝、と呼ぶには少し遅い時間の日差しが、広々とした中庭を照らしている。いつもならば掃除用具を持ったアコライトの少年が一人か二人はいるのだが、今日は誰の姿も見当たらない。
寒いからとさぼっている訳ではない。
人がいないのだ。
宿舎に寝泊りしている聖職者達のほとんどが、新年を祝う為に実家に帰省しているのだった。
がちゃ、と扉の開く音で、プリーストは振り返る。
「あーだめマジ無理凍え死ぬ」
相当寒かったのか、そう言いながら入ってきた青年の耳や鼻の頭は赤く染まっていた。
この様子では、誰も想像つかないだろうが、プリーストは、目の前にいる男がれっきとした騎士であるという事を知っている。朝の鍛錬でもしていたのだろう。腰には、騎士装束にこそ似合うだろう、大ぶりの剣を提げていた。
プリーストは、赤くなった騎士の鼻を突付きながら口を開いた。
「あけおめことよろお年玉よこせ」
「挨拶と要求が四対三かよ!」
「お年玉ちょうだい、だったら一対一だったか」
「年下にたかるんじゃねえ」
突付いてくる指を振り払って、騎士は腰に提げた剣を外した。
「それじゃあ、たった数ヶ月ですが年上のお兄さんがコーヒーを淹れてあげるから待ってなさい」
朝食を用意した窓際の席を示して、プリーストは戸棚に向かった。
白いマグカップを二つ取り出して、机の方を見ると、丁度騎士が欠伸をかみ殺しているところだった。
「年明けぐらい、遅くまで寝ときゃ良かったのに」
まだ眠いんでしょ、と自分が目覚めた時、既に姿の見えなかった相手に言えば、向こうはむすっとした顔になる。
「……お前が昨日、いつまでも眠らせてくれなかったのが悪いんだよ」
「でも、満足したろ?」
具体的な言葉は何一つない問いかけに、けれど昨日隣で――というか同じ寝台で寝ていた騎士は顔を赤くして俯く。
新年早々面白いものが見れた、とプリーストは口の端に笑みを浮かべた。
「嫌ならお前も帰れば良かったじゃん。皆寂しがってるんじゃない?」
カップに注いだコーヒーを渡してやりながら、プリーストが言えば、騎士は肩を竦める。
「兄弟多いから、俺が帰っても邪魔になるだけだって。姉貴なんか旦那も子供もいるし」
「そりゃ初耳」
それに、と騎士が付け加える。
「俺まで帰ったら、お前ここに一人じゃん」
「それが?」
「……物騒だろ。お前しょっちゅう鍵閉め忘れてるから」
そう言って目を窓の外に向けた騎士を見て、素直じゃないなあとプリーストは内心呟く。
「泥棒だって年始のお休みしてるんじゃない?」
「今が一番の稼ぎ時、って思ってるかもしんないじゃん」
「だからって、私物持ち帰ってるだろう宿舎なんかに入ったりはしないでしょ」
「帰ってない奴だっているだろ」
「俺だけだよ」
プリーストの言葉に、騎士の横顔が揺らぐ。
「帰るとこなくなっちゃったのは、俺だけだから」
騎士は何も言わなかった。
冷めるよ、と言って、プリーストはコーヒーに口を付けた。
「つーかさ、俺のいた孤児院って、俺がいた頃から潰れる潰れるって言われ続けてたんだよ。去年まで残ってたのが奇跡だと思うわ」
聖職者の資質を認められて、聖堂に引き取られるまで、彼が数年間を過ごした孤児院がなくなったのは、去年の夏の終わりごろだった。
親の顔を知らないプリーストにとって、唯一「家」と呼べるような場所だった。
知らせを聞いたときは驚いたし、ショックも受けたけど、それから数ヶ月も経ってしまうと、ただ懐かしさを覚えるだけだった。
冷たい奴だ、と自分でも思った。
孤児院にいた頃に、辛い事や悲しい事がなかった訳じゃない。けれど、楽しい事、嬉しい事のほうが沢山あった。
そんな場所だというのに、ほんの数ヶ月で、まるで夢の中の出来事だったかのように、すっと心の中から消えてしまった。
が、プリーストと違い、フェイヨンの片隅に実家がある騎士にとっては、大きな衝撃だったようだ。
帰省支度をしている騎士に、ぽろっと「帰る場所がなくなった」ことを伝えた途端、彼は実家に帰るのを止め、プリーストの宿舎で過ごす事を宣言したのだ。
「食べないの?」
「食べるよ」
答えた騎士が、トーストにかぶりついた。
もそもそとトーストを食べている騎士の目は、何を話すべきか迷っているのか、どこかぼんやりとしている。
そういや昨日もこんなだったな、とプリーストは敢えて寝台の上に限定した騎士を思い浮かべた。元々コトの最中はそれほど積極的ではないが昨日は特に……。
「何にやけてんの」
「別に」
脳内の映像を振り払うようにして、ねえ、とプリーストが問い掛ける。
「お前、俺のこと一人で寂しそうだとか可哀想だとか思ってるんでしょ」
騎士は何も答えない。
「それってさあ、すっげー自己中だと思わない?」
意外な言葉に、騎士が首を傾げる。
「俺だったら寂しい、俺だったら悲しい、だから相手もそうに違いないって、どう考えたって自己中でしかないでしょ」
「……お前の論理だと、自分が嫌な事は人にしない、も自己中だって言ってることになるんじゃね?」
「あーうんそうそう、常々思ってる」
おかしいべ、と言いながらプリーストは肘をつく。
「俺が嫌な事はお前も嫌、俺が嬉しい事はお前も嬉しい、お前の物は俺の物、そんないつでも都合良い訳ねえっつーの」
「最後のはちょっと違わないか」
「気にしない」
コーヒーを一口啜って、だからさ、とプリーストは言う。
「お前が何思おうとも、俺は今すっげー幸せな訳。だらだら起きて、だらだら飯作って、だらだらお前と食ってるのが最高に幸せなのよ。分かる?」
しばらくの逡巡を置いて騎士が答える。
「……いやちっとも」
「えー」
じゃあ、とプリーストは騎士に向かって手を伸ばす。
何だろう、という顔をした騎士の頭に手を掛け、そのままぐっと引き寄せた。
「馬鹿、零れる……!」
慌ててコーヒーカップを置いた騎士の額に、プリーストは自分の額をくっつけた。
「キスしたい。抱きしめたい。好きって言いたい」
額をくっつけたままプリーストがそう呟くと、騎士は目を見開いて固まった。
「分かる?」
「……それなりに」
目を伏せるようにして騎士が答えると、プリーストは満足げに笑った。
「分かったんなら考え事なんかしてないで、言いたい事言いなさい」
「……とりあえず、飯食いたいんで離して下さい」
「あいあい」
少々残念そうにプリーストが手を離せば、騎士はほっとした様子で、コーヒーカップに手を掛けた。
「お前も大概自己中だと思うよ」
「そう?」
首を傾げるプリーストに、騎士は言いづらそうに口をもごもごさせる。
「だってさ……お前が俺のこと好きだから、俺もお前の事が好き、みたいに思い込んでそうじゃん」
「それは自己中じゃなくて真実だべ」
違うか、と目で問えば、騎士は軽く笑った。
「ただの自信過剰って奴か」
「自己中に自信過剰、良いカップルじゃないか」
「納得」
「そのうちお前んちに行って『息子さんを僕に下さい』ってやるから」
「おふくろ腰抜かすぞ」
「その前にお前の腰が抜けるかも」
意地悪く笑ったプリーストが囁けば、勘弁してくれ、と騎士が肩を竦める。
「昨日は死ぬかと思ったんだ」
「天国見れた?」
「そうじゃねえ!」
顔を赤くして怒鳴る騎士に、まあまあとプリーストは手をひらひらさせる。
いつ天国にお呼ばれするか分かりませんが、なんて地獄に行く事は欠片も想像していないような声でプリーストは言う。
「今年もよろしく」





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