泣かないでね



道端に座り込んで荷物を漁っていたバードの顔が、不意に強張った。
「代購するのは鉄矢と火矢と集中と……ってどうしたよ?」
バードと向かい合うように座ってそろばんを弾いていたブラックスミスの男が、顔を上げた。
「やられた……」
「またぁーっ!?」
驚いたのか呆れたのか判別の付かない声でブラックスミスが叫んだ。
「叫びたいのはこっちだ! チクショウ、あんのガキ……」
バードは苦々しげに吐き捨てると、収集品が詰まった袋と、背負っていた楽器のケースをブラックスミスに押し付けた。
「ちょっとそれ預かってて!」
「へいへい……」
押し付けられた荷物を、ブラックスミスは慣れた顔で受け取り、カートの中に積み込んだ。
「って弓はいいの?」
「持ってく! んじゃ後で!」
バードはそう叫ぶと、矢筒をベルトに括りつけ直し、弓を背負って走り出した。
「アイツも懲りないねぇ……金盗られたのこれで何回目だよ」
残されたブラックスミスがやれやれといった表情で呟いたのだが、勿論バードには聞こえなかった。
昼時のプロンテラは、狩りの休憩や清算を兼ねて、昼食を取るために戻ってきた冒険者達が多く、大通りはどこも人で溢れかえっている。
人にぶつかりそうになる度に慌てて身を翻していたバードは、ある細い路地を見つけると、躊躇いもせずにそこに飛び込んだ。
建物の影で薄暗くなった裏路地は、大通りより少し肌寒い気がした。
枝分かれしている道を三回ほど通り過ぎて、傾斜のきつい階段を昇ったところで、バードは更に脇の道へと飛び込んだ。
そこは、先程の路地とは違って日当たりが良く、また綺麗に舗装された石畳の敷かれた道だった。
硬い石畳を蹴る音が、バードの荒い息遣いの合間に高く響いて木霊する。
アコライトとマジシャンの女の子二人連れが、不思議なものを見るような目でバードを見た。
バードの目の前を横切ろうとした猫が、びっくりして走り去っていく。
「ここまで来てもいないってことは……!」
呟いたバードは、軽く方向転換すると、狭苦しく並ぶ建物の間へと入り込んだ。
明るかった視界が、急に影に遮られる。
舗装されていない土の地面は、湿っていて少し走りにくかったが、石畳よりも柔らかく足を受け止めてくれた。
おそらく隣の路地だと思われる石畳が、細い土の道の先に広がってるのを見ると、バードは軽く唇を噛んで、足を速めた。
心臓がバクバクと脈打っているし、足も疲れてきた。
ここで外れだったらちょっと悲しいかも、なんて事を考えた途端、バードの足がもつれた。
「うおっ!?」
慌てて体勢を整えようとするが、その爪先がちょうど土と石畳との合間に引っかかり、バードは明るい路地に向かって、盛大にすっ転んだ。
「おお、二十八分。凄いね、三十分きったよ」
突然、バードの頭上に若い男の声が降ってきた。
倒れていたバードが、がばっと上半身を起こした。
「良かったねーオニーサン、派手に転んでたけど、顔には傷ついてないみたいだよ」
バードが飛び出してきたのとは反対側の建物に、猫のような目をしたシーフの少年が、寄りかかるようにして立っていた。
その左手の上で、ゼニーの入った袋が飛び跳ねているのを見ると、バードは思わず声を張り上げた。
「お、ま、え、はっ! 何回人のモノを盗めば気が済むんだ!」
「そーいうオニーサンこそ、何回盗まれれば学習するわけ?」
シーフはそう言うと、弄んでいたゼニーの袋を握り締め、右手の指を三本立てた。
「今月まだ半分も過ぎてないのに、もう三回。いくらなんでもトロ過ぎるんじゃない?」
そう言われてしまうと、バードとしても返す言葉が無かった。
彼が目の前にいるシーフの少年と出会ったのは先月の事だ。清算中に、予備の武器として抱えていたバイオリンをこのシーフに盗まれたのがきっかけだった。
その時にはしっかり見つけ出して返してもらったのだが、それからも事あるごとに、シーフはバードの持ち物に手を出した。
例えば清算の時。例えば食事の合間。例えば酒場での演奏中。
からかい甲斐があるから、と言って、シーフはバードの物を盗む事を止めようとはしなかった。
けれど、盗まれたまま返ってこなかったという物も無かったので、バードもしつこく止めるように言う事はなかった――というよりも、いくら言ってもどうせ無駄だからと諦めた。
「気付いて追いつくまでの時間が大分短くなったから、ちょっとは学習してるって事なのかなー」
そう言うと、シーフはまたぽんぽんとゼニーの入った袋を弄び始めた。
「大人で遊ぶのもいい加減にしなさい……」
「えーヤダ」
間髪いれずにそう返したシーフを、バードは睨み付けた。
「お前がその気なら、こっちだって実力行使するぞ……!」
すると、シーフはへえ、と呟いて、意地の悪そうな目をした。
「やれるもんならやってみなよ? 善良なオニーサンが、街中でリンチなんてみっともないマネできないっしょ?」
試すような顔で笑うシーフを、バードは無言で睨み付けていたが、不意に勢いをつけて跳ね起きると、背負っていた弓を構えた。
驚いた顔をしたシーフが何かを言うよりも早く、バードは矢を番え、相手の手元に向かって立て続けに矢を二本放った。
タンタンッ、と矢尻が壁に刺さる音が響く。
「……どーだ、お兄さんだってこれぐらいは出来るんだぞ!」
バードは自慢げにそう言うと、弓を背負い直し、腰に手を当てた。
彼の撃った矢の一本目は、シーフが投げていたゼニーの袋を壁に縫いつけていて、もう一本の矢は、シーフの左腕の袖の、余って弛んでいた部分をしっかりと壁に張り付かせていた。勿論、シーフの腕にはかすり傷一つない。
「これ、ちょっとずれてたら俺死んでない?」
眉を潜めたシーフがそういうと、バードはふん、と鼻で息を吐いた。
「お前が死のうが生きようが、俺には関係ないね!」
すると、シーフはえー、と呟いて、口元に笑みを浮かべた。
「俺が死んだら、オニーサン泣くくせに」
想像もしてなかった言葉に、バードの目が点になる。
「…………泣かねえよ!」
たっぷり十秒は立ってから、バードはようやくそう叫んだ。
「まったまたー。俺がいなくなったら、絶対オニーサン寂しくなっちゃうよ?」
「何で俺が寂しくなるんだよ!」
「ならないの?」
「当たり前だ!」
大体なあ、とバードは半ば苛立ったような口調で続ける。
「お前がいなくなりゃ、俺はもう荷物やら金やら楽器やら盗まれる心配しなくて済むんだ。そうだよ、俺はお前が死んだって寂しくも悲しくもならないね。むしろいっぺん死んでみろ! こっちは万々歳だお祝いだ!」
バードはそう吐き捨てると、ふう、と息を吐いた。
「ほら、分かったらもう二度と……?」
バードはそう言ってシーフを見たのだが、目が合った途端、先に続ける言葉が出てこなくなってしまった。
シーフが呆然とした表情で、バードを見ていた。
その目の中に、傷ついたような表情を見つけたバードは、はっと息を呑んだ。
普段は猫のように細められている鳶色の目が、今は大きく見開かれていて、バードを映し出していた。
そのまま、何も言わずにバードを見つめていたシーフだが、やがて少し悲しそうな顔をして俯いた。
「……そこまで言わなくてもいいじゃん」
か細い声の呟きを聞いた途端、バードは自分の言葉がどれほどシーフを傷つけてしまったのかという事を、ようやく悟った。
「……ごめん」
シーフの声よりも、更にか細い声でバードは呟いた。
「ごめん、俺調子に乗って、大人気無いこと言って……ホント、ごめん」
バードは俯くと、手を強く握り締めた。
腹が立っていたとはいえ、酷い言葉を言ってしまった。
シーフがバードの持ち物を何度も盗むのだって、ただ寂しくて構って欲しいだけなのかもしれない。何しろ、盗まれた物はちゃんと戻ってくるのだし、本気で困らせてやろうという悪意は、シーフにはないのだろう。
それなのに、自分はシーフに向かって、はっきりと悪意のこもった言葉を投げつけてしまった。
足元を見ていたバードは、ひとつひとつ、言葉を探るようにしながら呟いた。
「もし、お前がいなくなったら、きっと俺は……寂しいし、死んだらなんて……だから……ってあああっ!?」
顔を上げて謝罪しようとしたバードは、いきなり間の抜けた叫び声を上げた。
ニヤニヤと笑うシーフの少年が、鼻先が触れるほど近くに立っていたのだ。
「いやー本当に単純だねオニーサン。この程度で騙されるなんて」
シーフの表情には、もう傷ついたような様子は見当たらないし、大きく見開かれていた目も、また猫のように細められていた。いつの間に外したのか、手には二本の矢と、バードから奪ったままのゼニーの袋が握られていた。
「騙され……ってええっ、何、今の演技!?」
バードの叫び声に、シーフは煩そうな顔をした後、肩を竦めてみせた。
「当たり前じゃん、あのぐらいで凹んでたら俺、今頃きっと超ネガティブ思考の可哀相な子になってたよ」
口をあんぐりと開けるバードの目の前で、シーフがケラケラと笑って見せた。
「こりゃまだしばらくはからかえそうだ。まあせいぜい弄ばれてくれたまえ!」
そう言うとシーフは、バードに向かってゼニーの袋を放り投げた。
「あでっ!」
受け取り損ねて胸元を強か打ったバードがよろめくのを見ると、シーフはじゃあね、と手を振って駆け出した。
「ま、待てこら、人の金盗んどいてその態度は……」
「盗まれるぐらいトロいオニーサンが悪いんだよ! だから泣かないでよね!」
もう大分遠い所まで逃げてしまったシーフの少年は振り返ってそう叫ぶと、細い路地の先へと姿を消した。
「……ふっざけんな、お前なんかやっぱりいっぺん死んじまええええええ!」
ヤケクソとも思われるバードの悲痛な叫び声が、その心境とは裏腹に晴れ上がった青い空へと響き渡った。





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