河童の薬屋



囲炉裏の上に吊した鉄瓶が、白い湯気を上げている。
トントン、という音に、薬屋の河童は薬草を刻んでいた手を止めた。
「はあい、開いてますよ」
音のしたほうに向かって河童が言えば、木で出来た引き戸が、小さな音を立てて横へと滑る。
その向こうに現れたものを見て、河童は目を丸くした。
「おやまあ」
引き戸の向こうにいたのは、人間の少年だった。
彼の国ではあまり見かけない、太陽の光のような金髪が、部屋の中に吹き込む風にふわりと揺れた。
「坊ちゃん、よくこんなところまでいらしたねえ」
こんなところ、と河童が言うのは、泉水の国アマツの、その城下町から外れた、神社に近い小さな空き家である。
普段の彼は、住処を持たず、良い薬草を捜し求めては、あちこちをさまよい歩いている。泉水の国の名にふさわしく、アマツの地には、河童が住まうのに丁度良い池には事欠くことがなかった。
しかし今は、桜の祭に合わせ、彼はこの空き家に勝手に住み込み、薬屋を営んでいる。やはり祭に合わせて、人の住処を観察している桜の精が噂を流したのか、河童の小さな薬屋には、結構な頻度で人間が顔を出す。
だから、そこにいたのが人間であること自体には、河童も大して驚かなかった。
河童が驚いたのは、人間の出で立ちである。
アマツのものではないその衣装は、海を隔てた遠い国、ルーンミッドガッツ王国のものであろう。少年がまとっているのは、確かノービスと呼ばれる、成り立て冒険者のものではなかっただろうか。
神社近くの池には、彼とは異なる、人をよく思わない河童達が住み着いている。冒険者に成り立ての少年がひとりでくるのは、随分と大変なことではなかっただろうか。事実、彼は年長の冒険者につれてこられたものか、または桜の精が送ってきたもの以外に、ノービスと呼ばれる存在を見たことがなかった。
「乱暴な奴らに、怪我でもさせられてないですかい?」
心配そうな声で河童が問うと、ノービスの少年は笑って首を横に振った。
「大丈夫ですよ、俺、これでも結構強いんですから」
自信たっぷりの表情で、ノービスは腰に提げた短剣に手をあてた。鞘に引っかかった桜の花びらが、ひらりと地面に落ちた。
河童はノービスの全身を見渡してみるが、確かに、そこに目立った傷は見あたらなかった。
「ははあ、これは坊ちゃんなんて呼び方をしたら、失礼でしたかね」
そう言って笑った河童は、どうぞお上がりくださいと、ノービスを家の中へと手招いた。
行儀良く靴を脱いだノービスが、畳の上に足を乗せる。池のほとりを歩いてきたのだろう、靴の縁には、まだ乾ききらない泥がこびりついていた。
「さて、ここまでいらしたってことは、何か欲しい薬がおありで?」
座布団の上にあぐらをかいた河童が、刻んでいた薬草を脇によけながらそう尋ねる。
「もっとも、坊ちゃんほど丈夫そうな方に、薬が必要とは思えないんですがねえ」
河童の言葉を聞いたノービスは、困ったような顔で笑った。
「あ、俺じゃないんです。お世話になってる人が、どうにも体が弱いんで、何か良い薬はないかなーと思って」
ふむ、と河童は考え込むような顔をした。
「そういうことでしたら、ご本人も一緒のほうが良かったですねえ。その方、動けないぐらいに弱ってらっしゃるんで?」
河童の問いに、ノービスは首を横に振った。
「そうじゃないんです。あの人、薬嫌いなんですよ」
子供の頃かしょっちゅう飲まされてたみたいで、とノービスが言う。
「河童さんとこの薬は、お茶みたいな感じになってるって聞いたんで、それなら嫌がらずに飲んでくれるかな、って思ったんです」
ふんふんと頷きながら、河童は立ち上がった。
「お役に立てるかは分かりませんが、とりあえず、お相手の状態を教えてもらえますかね?」
河童が向かったのは、小さな引き出しがいくつもついた、タンスのようなものの前だった。
「手足が冷えるとかってことはありそうですかい?」
「ああ、よく言ってますね」
「汗はあまりかかない?」
「ですねー」
ノービスの答えを聞いて、河童はいくつかの引き出しを開けた。どの引き出しにも、刻まれた薬草が詰め込まれている。独特の匂いが、ふわりと部屋の中に広がった。
「最近は熱も出してないみたいだけど、顔色はあんまり良くないかなあ」
ひとつひとつ、思い出すようにノービスはしゃべる。その背景で、ずっ、ずっ、と引き出しの動く音がする。ノービスが話す度に、河童は引き出しを開け、時には戻していく。
十五ぐらいの言葉を話したぐらいで、河童は不意にノービスの顔を見やった。
「……何か変なこと言いました?」
まじまじと見つめてきた河童に、ノービスは不思議そうな顔でそう尋ねた。
何も言わないままであった河童は、やがて満足そうに頷いた。
「うん、それだけの情報があれば、良い薬が出来そうだ」
開けた引き出しを順に引き抜き、畳の上に並べていく。
まだ不思議そうな顔をしつつも、ノービスは興味津々といった様子で、並べられた引き出しの中身を見つめる。草の葉のようなもの、枯れた木の皮のようなもの、果物の種のようなもの、石の欠片のようなものまで。薬草といっても、ノービスが普段よく目にするハーブ類とは、大分趣が異なるものが多かった。
河童は秤を取り出すと、それぞれの刻んだ薬草を順に計り取り、ひとつの器に入れていく。刻んだ薬草がつぶれないように、器に静かに木の匙をいれ、ゆっくりとかき回す。
「この量で、大体二十回分ぐらいの薬になりますね」
そう言うと、ひょいと匙を抜き取り、ノービスの目前に示した。
「こいつで三杯ぐらいが、一回分の目安です」
ノービスが頷くのを見てから、河童は混ぜた薬草を一杯、匙ですくった。
「せっかくだし、味見してみますか? そのほうがお相手にも安心して渡せますでしょう」
「是非!」
河童の提案に、ノービスは目を輝かせた。鍛錬を積んでいるとはいえども、中身は好奇心旺盛な子供のままのようだ。
小気味良いノービスの姿に微笑みを浮かべながら、河童は先程の箪笥へと向かった。隣に置いてある箱から、小さな急須を取り出すと、匙一杯の薬草を中へ入れた。
囲炉裏の上でしゅんしゅんと、湯気と音を立てる鉄瓶から急須にお湯を注ぎ、やはり箱から取り出した湯呑みへと急須の中身を注ぐ。
「ほい、どうぞ」
湯気の立つ湯呑みを、河童が差し出す。薬草そのものとはまた違う匂いが、ノービスの鼻先をくすぐった。
「いただきます」
沸騰していたお湯を注いだのだろう。分厚い湯呑みの外側まで、少しひりひりするぐらい熱く感じられた。息を吹き付けて冷ましながら、ノービスは湯呑みに口を付けた。
「あれ、甘い」
「そりゃあ、坊ちゃんが健康だからですよ」
混ぜた薬草を麻の袋に詰めながら、河童が言う。
「お疲れの方や、体力のない方だと、ちょっと苦く感じるかもしれないですねえ」
「そうなんだ」
感心したような表情で、ノービスは湯呑みを見つめた。
「お相手は酸っぱいものが苦手らしいので、酸っぱくなるものは出来るだけ避けましたよ」
ノービスが目を見開く。
「さっきの話だけで、そこまで分かるんですか」
凄いなあ、と驚ききった表情で言ったノービスに、河童は首を横に振った。
「凄いのは坊ちゃんですよ」
河童の言葉に、ノービスは不思議そうな顔をして目を瞬いた。
薬草を詰めた袋の口を縛り、ところで、と河童はノービスに尋ねる。
「体の弱っている方に、一番効く薬って何だと思いますかね?」
「えー……何だろう」
考え込んだノービスの前に、薬草の詰まった袋をぽんと置いて、河童は言う。
「自分のことを、よーく分かっている人が、傍にいることですよ」
だから、早く届けておあげなさい。
そう言ってみせる河童の前で、ノービスはとても嬉しそうな顔をして頷いたのだ。





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