角砂糖



店の中に入った途端、コーヒーの良い香りがブラックスミスの鼻をくすぐった。
少し遅めの寒い朝。
窓際の日溜りの中、カウンターに向かい合うウィザードの姿を見つけると、彼はそちらへと向かっていった。
「俺も同じの」
ウエイトレスにコーヒーを注文したウィザードの後ろから、そう口を挟めば、ウエイトレスは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにかしこまりましたと呟いて厨房へと戻っていった。
ウィザードに目を向ければ、彼は眠そうな目でブラックスミスを見上げていた。
「自分で払えよ」
「へいへい」
日の当たるカウンターで、ウィザードの隣にブラックスミスは座る。
窓の外を、見知らぬ冒険者たちが、白い息を吐きながら通り過ぎていく。
「何、今頃朝飯?」
カウンターの上に乗せられた、食べかけのトーストと目玉焼きを見て、ブラックスミスが尋ねる。
「昨日遅かったんだよ」
溶けたバターが塗られたトーストに、ウィザードがかじりつく。
「俺なんか朝早くから店出してたってのに」
ベルトに提げたウエストバッグから、ブラックスミスは硬貨の袋を取り出す。
「ほれ、預かってたヤツ売り切ったから」
「ん」
売上金を手渡したところで、ウエイトレスが二人分のコーヒーを持ってきた。
湯気の立ち上る熱いコーヒーを一口飲むと、ブラクスミスは鼻で息を吐いた。
喉から鼻の奥にかけて、コーヒーの苦味がふわりと広がる。
早朝から露店を出していたせいで、今頃になって舞い戻ってきた眠気が、幾分和らいだ。
ウィザードの方を見やれば、彼はその指で、紙に包まれた角砂糖を摘み上げているところだった。
いつだったか、ブラックで飲めないのかと、からかい混じりに尋ねてみたら、頭脳派は糖分が必要なんだと鼻で笑って返された。
魔物が向かってくれば適当にファイアーウォールを仕掛けるか、ブラックスミスに押し付けるかで、後は好き放題に魔法を叩き込む戦い方のどこが頭脳派なのか、ブラックスミスにはちっとも分からなかったが。
更に言うなら、頭脳派の魔法使いならば、角砂糖の包み紙を適当に千切るようにしてもたもたと剥がすなんてこともなさそうな気がするのだが。
白い包み紙で包まれた角砂糖の詰まった器に、ブラックスミスは手を伸ばす。
「あ」
ウィザードの目の前で手早く紙を向き取ると、冷め始めようとしているウィザードのコーヒーの中に、角砂糖を放り入れた。
コーヒーの中で、小さな泡を立てながら、角砂糖が溶けていく。
口を開いたまま見つめていたウィザードが、手元の、半分ぐらい包み紙が向けた角砂糖に目をやり、眉をひそめた。
ブラックスミスが、角砂糖を持ったままのウィザードの手首を掴む。
爪を立てて紙をむしったからか、少し形の崩れた角砂糖を、ウィザードの指先に持たせたまま口元まで運ぶ。
露になったところを歯でかじり、包み紙の残りをウィザードの手の中に押し付ける。
ざらざらとした感触は、すぐに口の中で溶けて、甘味を広げた。
それをコーヒーで流し込むと、ブラックスミスはウィザードの表情を覗き見た。
目が覚めたような顔をしていたウィザードは、ブラックスミスと視線を合わせると、途端に嫌そうな表情を見せた。
ブラックスミスは肩を竦める。
「俺頭脳派だから、角砂糖丸ごと一個ぐらいなら余裕、みたいな」
軽い調子で呟いて、カップに残っていたコーヒーを、喉の奥に流し込んだ。
財布からコーヒー代を取り出し、角砂糖が溶けきったウィザードのコーヒーの横に置くと、それじゃとブラックスミスは立ち上がった。
「また何かありゃ店に並べてやるよ」
だから今度はコーヒーぐらい奢れ、と付け加えて、彼は店を後にした。
店の外は、コーヒー程度の温もりなんか、すぐ冷めてしまうぐらいには寒かった。
多分――いや絶対、ウィザードの嫌そうな顔は、角砂糖をまるごと一個食べたことに対してではなかった。
唇の先についた砂糖の欠片を、ブラックスミスは指で拭い、舐め取った。
僅かな甘味に、ウィザードの骨ばった指先を思い出した。





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