ハニィ・バニィ



幸せそうな顔をして、湯気の立ち上る紅茶の入ったティーカップに口を付けるウィザードを見ながら、ローグは呆れ返った表情を隠す事が出来なかった。
目の前に置かれたメモ帳を手に取ると、彼は乱暴に自分の髪をかき上げた。
「声でねえってどういう事だよ……」
顔同様に呆れ返った口調に、ウィザードがティーカップから口を離し、笑ってぺろっと舌を出してみせる。
ローグの持つメモ帳には、ウィザードの文字で「声でない」とだけ書かれていた。
ウィザードはティーカップを右手に持ったまま、左手でローグの手を軽く引っ張った。メモ帳を渡せという事らしい。
ローグがメモ帳を机に置くと、ウィザードは紅茶を啜りながら、左手に鉛筆を持ち、メモ帳に文字を書いていく。
『多分風邪』
「だろーね」
ウィザードの書いた、流れるような筆跡の文字に、ローグが指を滑らせる。
「何でまた風邪なんか」
『分かんない』
ローグの指のすぐ傍に、ウィザードが文字を書いていった。
鉛筆で少し黒く汚れた指を、ズボンになすりつけるようにして、ローグは大きく溜息を吐いた。
「こんなんじゃ狩り行けねえじゃん」
今日こそはがっぽり稼ぐつもりだったのになー、とローグは天井を見上げる。
すると、ウィザードは空になったティーカップをテーブルに置いて、またメモ帳に文字を書き始めた。
『ちっとも声でないわけじゃないから平気』
魔法の詠唱というのは、声に出さなくても出来るものらしい。
心の中で構成をまとめられるのならば、それを外に発現させる為の掛け声だけで使う事が出来る、と言っていたのは、確か目の前にいるウィザードだった、とローグは思い出していた。
だから大丈夫、と言わんばかりのウィザードに、しかしローグはやめとけ、と首を横に振った。
「さっき声出そうとして思いっきり咳き込んでたじゃん」
ローグの言葉に、ウィザードは悪戯のばれた子供のような笑顔をして見せるだけだった。
そうやって何でも無いような顔をして見せるウィザードが、何となく気に食わなくて、ローグはテーブルの上で腕を組んで、彼を睨み付けた。
「お前、声は魔法の為だけにあるとでも思ってねえ?」
ウィザードは瞬きを繰り返した後、首を横に振って見せた。
「だったら想像付くだろ」
退屈そうに吐き捨てたローグに、ウィザードは首を横に傾げて見せた。
「お前喋れないんじゃ俺一人で喋ってるしかねえじゃん?」
それって虚しいじゃん、というと、ウィザードは軽くぽん、と手を打った。
『寂しんぼさんなんだね』
「違えよアホ」
ローグは組んでいた腕を解いて、ウィザードの頬を思い切りつねった。
ばたばた暴れるウィザードがメモ帳に雑な字で降参、と書くのを見ると、ローグはようやく手を放した。相当痛かったのか、ウィザードは涙目になって、しきりに赤く色の変わってしまった頬を撫でていた。
その様子に少しは苛立ちも紛れたらしい。ローグは自分のティーカップに入った中身を一気に飲み干すと、うわもう冷めちまってるよと顔をしかめて、ウィザードのカップを人差し指で突付いた。
「紅茶まだ飲む?」
ウィザードが頷くと、よし、とローグがウィザードのカップを自分の元に引き寄せた。
「蜂蜜多目にしとくからな」
喉に効くらしいから、と付け加えると、ウィザードは二回ほど小さく頷いた後、思い出したようにメモ帳に文字を書いた。
『今度はミルクティーがいいな』
「こんっの贅沢者!」
ローグがメモ帳を取り上げてウィザードに投げつけた。
手加減はしたものの、いきなりの出来事にウィザードが反応しきれず、メモ帳は彼の額に当たって、膝の上に落ちた。
額を押さえながらメモ帳をテーブルの上に戻すウィザードを見ながら、ローグは軽く肩を竦めた。
「淹れてやるからさっさと喉治せよ」
すると、ウィザードはきょとんとした顔をした後、おもむろに鉛筆を手に取った。
メモ帳を一枚破って、次の真っ白いページに何かを書き上げると、笑顔を浮かべてそれをローグに突き出す。
ローグはそれを受け取ると、少し驚いた顔をして、やがて口元に強気な笑みを浮かべた。
「こういうのは喉が治ってから口で言いなさいっての」
そう言って、今書かれたばかりのページを破り、丸めてポケットに突っ込むと、ウィザードの頭を抱えるようにして額にキスした。
ウィザードがくすぐったげに笑うのを見ると、ローグは機嫌の良い様子で、空になった二つのティーカップを片手に持った。
部屋の外に出てしまうと、彼はそっとポケットからくしゃくしゃになった紙切れを取り出した。
もう一度文字を読み直し、また何事も無かったかのようにポケットに戻すと、彼はキッチンに向かって歩いていった。

『ありがと、大好き』





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