枝と意地



ざわつく空気に、商人は気だるげに目を開いた。
背中に触れる石壁が、やけに冷たかった。
普段から人気の少ない街の裏通りには、今は魔物の死骸が散らばっている。
古木の枝で呼び出されたと思われるそれらは、虚ろな目で空を見つめていた。
先程まで残忍な色を浮かべていた瞳に映る空は、場違いなほどに晴れ渡っていた。
その目が動かない事を確認すると、彼は大きく息をついた。漂う血の匂いも、あまり気にならなくなってきた。
軽く右の手を動かしてみる。痛みはあるものの、動かすのに支障は無かった。
そのままその腕で、自らの右肩に力なく寄りかかるマジシャンを抱き寄せた。
生きている証拠の温もりに、彼は安堵した。
長く伸びた赤い前髪をかき上げてやり、そっと顔を自らのほうに向ける。普段ならば殴られるような行動にも、マジシャンは反応しない。
意識を失い、目を伏せたままの青白い顔が、痛々しかった。
商人はマジシャンを支えたまま、片手で赤ポーションの栓を開けると、それを口に含んだ。
マジシャンの白い顔に覆い被さるようにして、口移しでそれを飲ませてやる。
目を伏せたのは、彼なりの礼儀。
唇を離すのと、マジシャンが不機嫌そうに目を開くのが同時。
「……苦い」
「贅沢いうなっての」
口から零れた赤い雫を拭ってやろうと伸ばした手を、マジシャンは乱暴に振り払う。
「薬は嫌いだって、あれだけ言ったのに」
掠れた声で言いながら口を拭うマジシャンに、商人はガキ、と小さく呟いた。
マジシャンは睨みつけはしたが、自らを抱き寄せる腕から逃れようとはしなかった。
不思議に思って商人が見つめると、彼はふいと顔を背けてしまった。
その表情に一瞬だけ安堵の色が見えたのは、商人の願望だったのか。
いつもの仏頂面をしばらく眺めた後、商人は視線を大通りへと向けた。
「そろそろ、収まったかな?」
その言葉に、マジシャンも大通りを見る。
騒然とした様子はあるものの、悲鳴や罵声は聞こえなくなった。
負傷者の救出に走る人や、魔物の死体を確認する人の姿があちこちに見えた。
どうやら、山場は越えたらしい。
「どう、立てる?」
商人はマジシャンを抱き寄せていた腕を離して立ち上がると、彼に向けて手を伸ばした。
「平気だ」
そう言って一人で立ち上がろうとして、マジシャンは顔をしかめる。
それでもなお、商人の手には縋らずに立ち上がると、左足を引きずるようにして、大通りに向かって歩き出した。
「っ……」
2、3歩歩いたところで、不意にバランスを崩す。
その体を、すぐ脇に寄っていた商人が抱きかかえる。
「意地っ張り」
「うるさい!」
顔を赤くして抵抗するマジシャンを、商人は笑いながら横抱きにする。
「はいはい、後でリンゴジュース奢ってやるから大人しくしてろ」
「人を物で釣るな!」
「いらねえの?」
「いる」
即答するマジシャンの耳元に、じゃあ大人しく抱かれてろと囁いて、商人は歩き出した。
自分の腕が痛いのは、無視する事にした。





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