Bitter Sweet



扉の前に立つ女性の姿に、ブラックスミスの男は呆れたような顔をした。
「またですか?」
そう声をかけると、彼女は何も答えずに、毛皮のマントに覆われた肩を揺らして笑った。ヴァルハラに招かれるほどの力量をもった魔術師――ハイウィザードの出で立ちには不似合いなほど無邪気な笑顔。それが、彼女だととても自然なもののように、ブラックスミスには見えるのだった。
やれやれと言いたげに首を振ってから、ブラックスミスは扉を開いて、ハイウィザードへ道を譲る。ありがとう、と告げて中へと入る彼女に続いて、ブラックスミスも重たいカートを引きながら、開いた扉を潜り抜けた。
窓から光は差すものの、どうにも薄暗い部屋の中には、石炭と金属の匂いが漂っている。物の少ない、がらんとした部屋の壁には、大きな金槌が幾つがぶら下げられている。仕事場、と呼ぶには随分と貧相な場所ではあったが、ブラックスミスにとって、ここは何よりも大切な作業場であった。カートを壁際へと押し付けるブラックスミスを横目に、ハイウィザードは慣れた様子で、質素な机の傍に置かれた椅子に腰掛ける。窓を全て開け放ってから、ブラックスミスも彼女の向かいに座り込んだ。
「お願いね」
何が、とも言わずに、ハイウィザードは机の上に細長いポーチを置く。それに問うこともなく、ブラックスミスはポーチを手に取り、そっと中身を取り出した。
細かな細工の施された、少し長めのパイプタバコ。俗に、船長のパイプと呼ばれるものが、ブラックスミスの手に握られている。軽く全体を眺めてから、ハイウィザードの顔へと視線を戻す。
「この間と同じ感じで良いんですね」
「そう」
お願いね、ともう一度呟いて、ハイウィザードは机の上で手を組んだ。その指を、ちらりとブラックスミスは一瞥するが、何も言わずに手元へと視線を戻した。
手に持ったパイプを、ブラックスミスは丁重に分解していく。吸い口と火皿の中を覗き込んでから、小さく頷き、作業用のトレーに並べる。
ベルトに提げた工具袋から、彼は小振りのナイフを取り出した。左手に火皿を持つと、戦闘用の短剣よりも遥かに小さいそのナイフの刃先で、中にこびりついた灰を撫でた。削り取られた灰が、トレーの上に落ちていく。窓から入り込んだ風で、灰がトレーの上を転がる。これが元々は、自分が吸っている紙タバコとは比べ物にならないほど、上質なタバコの葉であったのだと考えると、何とも言えない思いがブラックスミスの胸中を占めた。
火皿の向こう側で、ハイウィザードが指を組みなおす。手袋をつけていても尚細い彼女の指が、まるで魔術を編むかようにくゆらせていたパイプに、ブラックスミスが興味を持ったのがきっかけだった。紙タバコをくわえたブラックスミスの顔に、触ってみたい、という表情がはっきりと出ていたらしい。「弄ってみる?」と笑いながら、ハイウィザードはパイプを手渡してくれた。少し緊張しながら、ゆっくりと吸ってみると、口の中に今まで感じたこともない深い香りが広がった。
ついでに手入れしてよ、と冗談半分に告げたハイウィザードに、彼は神妙に頷いた。製造を得意とする手先の器用さを生かして、吸い口から火皿まで丁寧に手入れしたところ、それが随分と彼女のお気に召したらしい。以来、ハイウィザードはこうして時々、パイプの手入れを頼みにブラックスミスの作業場までやってくるようになった。
「……こんな感じで」
こびりついていた灰の層を少しだけ残して(全部取ってしまうとそれはそれで美味しくないのだと彼女に言われた)、ブラックスミスは火皿をハイウィザードに手渡した。角度を変えながら検分したハイウィザードは、やがて満足そうな顔をして頷いた。
「いつもありがとうね」
礼を述べたハイウィザードが、灰の積もったトレーの横に、二枚の銀貨を置く。どうも、と言って受け取るブラックスミスの前で、彼女はパイプを組み立てる。
「ここで吸って良い?」
手入れの後に、彼女は毎回尋ねるのだ。一度も断ったことはないというのに、尋ねてからでなければ吸おうとはしない。それは律儀であるからなのか、それとも、そのやりとりをブラックスミスが銀貨以上の報酬として待ち望んでいることを知っているからなのか。
「どうぞ」
いつも通りに答えれば、ハイウィザードはにっこりと笑って、荷物から小瓶を取り出した。蓋を開けると、独特の甘い香りがブラックスミスの傍まで漂ってくる。彼女が愛飲しているタバコの葉だった。
摘まんだ葉を火皿に入れ、時々指の腹で押し込んでいく。充分な量を詰めると、ハイウィザードは火皿に指を入れたまま、小さく唇を動かした。すっと指を抜き取れば、火皿から細い煙が立ち上る。ライターもマッチもなしに火が付けられるなんて、魔術師という職は便利なものだ。
「吸う?」
ついと突き出されたパイプに、しかしブラックスミスは首を横に振った。立ち上る煙の香りには酷く興味を惹かれるのだが、ここで御相伴に預かると、これから鉄を打つ間にくわえるつもりの紙タバコが、随分と味気ないものになってしまうのは分かっている。作業への集中を考えると、それは避けておきたいのだ。
それに、自分で吸うよりも、彼女が吸ったほうが、余程タバコの香りを味わえることを、ブラックスミスは知っていた。
そう、と呟いた唇が、パイプの吸い口をくわえる。どこか扇情的な光景から、ブラックスミスは気まずそうな表情で目を逸らした。
少しの間を置いてから、ハイウィザードがパイプを離す。ブラックスミスが視線を戻すのとほぼ同時に、ふう、と小さな音を立てて、先程炎を呼んだ彼女の口から、ふわりと煙が吐き出される。
「美味しい」
それだけを呟いて、彼女は再びパイプをくわえる。
火を点ける前のタバコより、火皿から上がる煙より、彼女の吐き出した煙のほうが、ブラックスミスには余程甘く感じられた。
直接吸ったことなんて一度しかない、上質なタバコの煙が、肺の奥まで流れ込んでくる。ハイウィザードの吐息を直接吸い込んでいるような気がして、ほんの少しだけ眩暈がした。





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