跡形



眠りから醒めたばかりのウィザードの目に、薄ぼんやりと光る月が映った。
まだ朝日も昇りきらない時間らしい。
寝台の中で、彼は体を動かした。
全身に残る気だるい痛みに顔をしかめつつも、彼は顔を体ごと横に向ける。
そして、微かな溜息を吐く。
一夜を共にしたブラックスミスの姿は、そこにはなかった。
予想していたとはいえ、ほんの少し、胸が疼く。
軽く整えられた寝台には、ブラックスミスがいたと思われる痕は見当たらない。
体の痛みだけが、彼がいた事、彼と自分が何を行ったのかを伝えてくる。
初めてというわけではない。
今までに、そのブラックスミスとは何度も身体を重ねてきた。
ただ、恋人なのかと聞かれれば、ウィザードは首を横に振るだろう。
互いに愛し合い、いつでも傍にいるという事は絶対になかった。
気が向くと耳打ちを送ったり、下らない言い争いをしたり、共に出かけたり。
昨晩のように、身体を重ねたり。
恋人でも、相方でも友人でもない、ただの腐れ縁。そう彼は信じている。
第一恋人だというのなら、こうして自分ひとり置いて出かけるはずがないだろう。
一体いつ出て行ったのだろう、とウィザードは記憶を辿っていく。
行為を終えて、汗を流して戻ってきた時には、まだ相手の姿はあった。
寝台に潜り込んでうつらうつらとしている自分の頭を、静かに撫でる手があったことも覚えている。
となると、一眠りした後出て行ったのだろう。
ウィザードはブラックスミスが眠っていたと思われる辺りに、そっと腕を伸ばした。
既に温もりすら残っていない。
確かにブラックスミスがいたのだという証拠を求めるように、彼は腕を動かした。
その腕を枕の辺りまで動かすと、冷たく硬い何かが触れた。
手にとって見ると、それは硬貨であった。
それと共に置いてある紙切れを、ウィザードは窓の外から差しこむ微かな朝日に照らしてみる。
――お先に。宿代置いてく。
あっさりとした、ブラックスミスの文字がそこにはあった。
そういえば、早朝は同業者がいないからよく稼げるとブラックスミスが呟いていた事を、彼は思い出した。
今頃はきっと町の入り口辺りで、露店を開いているに違いない。
そして、代金を置いていったという事は、そのまま戻るつもりはないのだろう。
「随分と勤勉じゃないか」
そう呟くウィザードの口元に、皮肉な微笑みが浮かんでいた。
こういう時、一体自分は相手にとって何なのだろうと悩めるのならば、恋人としての資質が充分にあるのだろう。
だが、ウィザードは既に諦めきっていた。
特別な存在になりたいわけでもない。
相手も自分も、溜まった感情の吐き出し口と、少しの安らぎが欲しいだけなのだろう。
寂しくないわけじゃないが、だからといってどうしたいという思いもない。
その証拠に、ほら、涙すら出てこない。
微笑みを浮かべたまま、ウィザードはブラックスミスの残した紙切れを握りつぶす。
胸の中に愛しさと寂しさを残した張本人の姿を思い浮かべ、小さく溜息を吐く。
もう少しだけ眠ろう。
ブラックスミスが使っていたであろう枕に顔をうずめて、ウィザードは目を閉じた。
微かに残るブラックスミスの匂いが、少しだけ、彼を息苦しくさせた。
優しい夜明けは、もう少し先。





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