甘い貴方の味



まだ皿の半分ぐらいに食事が乗っているというのに、ウィザードはごちそうさま、と目の前で手を合わせた。
「もう食わねえの?」
熱心に自らの食事を口の中に放り込みながらブラックスミスが問い掛けると、ウィザードはああ、と頷いた。
「んじゃ貰うわ」
そう言うや否や、ブラックスミスはウィザードの前にある皿のうち、バターと香草を乗せて蒸した魚料理の乗った物を、自らの前に引き寄せた。
何も言わないウィザードを見やり、ブラックスミスは魚の身をフォークで切り崩し、口へ運んだ。
「別にまずくないじゃん」
もぐもぐと口を動かしながら喋るブラックスミスに、ウィザードはあー、と微かにうめいた。
「まずくは無いんだけど染みるんだよ」
そう言うと、ウィザードは机に左肘をついて頭を支えた。
「何、虫歯?」
「口内炎」
ウィザードはグラスに入った水を飲み干すと、近くにいたウエイトレスにおかわりを頼んだ。
ウエイトレスがウィザードのグラスに水を注ぎ終える頃には、ブラックスミスは既に魚料理を平らげていた。
「栄養不足なんじゃね?」
ウエイトレスが彼らの机から去ると、ブラックスミスは自らの食事に戻りながらウィザードに問い掛けた。
「この頃暑くて食欲無かったからそうかも」
「だったら、何か染みないヤツ頼んで食っとけば?」
食べなければ悪循環、というブラックスミスの指摘は正しかったが、ウィザードに食欲は起きなかったらしい。いい、と呟くと、また水の入ったグラスに口をつけた。
「じゃあ塗り薬でも塗っとけよ」
すると、ウィザードは途端に嫌そうな顔をした。
「余計に染みるだろうが」
第一、とウィザードは続ける。
「あんな苦いもの誰が塗るか」
「ガキじゃねえんだから……」
ブラックスミスは呆れたような顔をしながら、ウィザードの残した野菜のスープに手を伸ばした。魚料理は半分ぐらい食べられていたのだが、こちらはほとんど手付かずのままで残っている。
「これだけ残ってりゃ栄養失調にもなるわな」
しかも野菜ばっかり沢山。
一口啜って、すっかり冷めてる、と苦々しげな顔で呟くと、ブラックスミスは皿とスプーンを置いて、自分の荷物を漁った。
「これでも塗っとけ」
そう言って机に置かれた小瓶を、ウィザードが覗き込んだ。
「蜂蜜?」
ウィザードが問い掛けると、ブラックスミスはスープを啜りながら頷いた。
小瓶の中には、琥珀色の輝きをする蜂蜜がたっぷりと詰められていた。
「これ効くのか?」
訝しげな顔のウィザードに、ブラックスミスはうんうんと頷く。
「知り合いのアルケミストが言ってたんだから間違いねえ」
「お前の知り合いってだけで信憑性半減」
冷たい言葉に、ブラックスミスはあっそ、と答えて蜂蜜の小瓶を掴む。
「んじゃいらねえな」
「いる」
しかしブラックスミスはウィザードの言葉は聞かず、蜂蜜を持った手を引っ込めると、代わりに反対の手を、手の平をウィザードに見せるようにして突き出した。
「……何だこの手は」
ブラックスミスは、決まってるだろ、と答える。
「ただでやれる訳ねえじゃん」
お代をよこせ、と言うブラックスミスに、ウィザードはスープの皿を指差した。
「私の食事も食ってるんだからそれでロハ」
「残りかすみたいな魚と冷めたスープじゃ安過ぎだっての」
「じゃあ水もやろう。今なら氷もついてとってもお得」
「ざけんなアホ」
「贅沢な奴め」
ウィザードは舌打ちすると、幾らかの硬貨をブラックスミスの手に乗せた。
「毎度」
ブラックスミスは硬貨を数えると、蜂蜜の小瓶をウィザードに向けて突き出した。
瓶にウィザードの指が伸ばされると、ブラックスミスはそれを目で追った。
普段は制服である手袋に覆われているウィザードの手は、今は皮膚が剥き出しになっている。
ウィザードの指が、小瓶の蓋に掛かった。
赤い瓶の蓋の為か、指先は随分と白く見えた。
この男性らしい、少し骨ばった指が小瓶から蜂蜜をすくい取って。
温かく湿った歯茎だか頬の裏側だかに塗りつけて。
余った蜂蜜は赤い舌で拭い取って。
「まさか、まだ足りないとか言うんじゃねえだろうな?」
穏やかではない光を目に浮かべたウィザードの言葉に、ブラックスミスは我に返った。
「あ、いや言わない言わない」
そう答えると、ブラックスミスは慌てて瓶から手を離した。
不審そうな顔で蜂蜜を荷物にしまうウィザードを見ながら、彼は内心で頭を抱えていた。
甘い琥珀色の液体が、飲み込まれて、取り込まれて、体を巡って、やがてはウィザードの一部になる。
そしてその体を、貪るように求める自分。
――蜂蜜だけでここまで想像するなっての。
ガキじゃねえんだから、という呟きは、冷めたスープと一緒に飲み込んだ。





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