冗談の上手い人



寝台の上、呑気に眠るウィザードを見つめながら、ブラックスミスは半眼を伏せてぼやいた。
「……床で寝ろ、ってか」
ウィザードが眠っているのとは別の、もうひとつの寝台へと、ブラックスミスは目を向ける。
その上には、ウィザードの制服であるマントとケープ、それと数冊の魔術書が散らばっていた。
勿論、散らかしたのはブラックスミスではない。
「先に戻ってろ、とか言うんじゃなかったかね」
被っていたゴーグルを外すと、ブラックスミスはガシガシと紫の髪を掻き乱して、ゴーグルをカートの中に放り込んだ。
ガンと鈍い音を立てると、ゴーグルはカートの中、いくつかの塊に分けられた荷物の隙間に収まった。
随分と荷物が少なくなったカートを、ブラックスミスは見つめた。
ウィザードと二人、狩りに行った後、ブラックスミスはカート整理も兼ねて、露店を出しに、一人プロンテラの大通りへと向かった。
別れる前に、ウィザードに今夜の宿をとっておくように頼んだ。勿論、相部屋で。
どこに宿をとったか、という連絡の耳打ちだけを聞いたあと、ウィザードからは何の接触もなかった。
一人で本でも読んでいるのだろう、とブラックスミスは、気にも留めなかった。
ここしばらく、ブラックスミスは露店を出していなかった。お陰で彼のカートの中には、最近手にいれた物――それなりの価値があるものからガラクタまで区別無く――が、ごちゃごちゃと積み込まれていた。それらの雑品を、どうにか売り払ってしまおうということばかりに、ブラックスミスは専念していたのだ。
満足できる程度にまで、カートの中身が片付いた時には、真夜中近くになっていた。その後荷物を積みなおし、整理しきれなかったものをカプラ職員に預け、ウィザードがとってくれた宿に帰り着いたときには、とっくに日付が変わっていた。
ぐったり疲れきって、さっさと眠ってしまおうと思っていたのだ。
それが、見事に寝台を占領されていた。
正直、片付ける気力も、ブラックスミスには残っていなかった。
「おーい、片付けろー」
無駄かもしれないと思いつつ、ブラックスミスはウィザードに声をかけてみる。
思ったよりもすぐに、ウィザードが薄く目を開いた。
が、ブラックスミスの姿を認めると、不機嫌そうな顔をして、また目を閉じてしまった。
「お前ねえ……」
同じく不機嫌そうな顔になったブラックスミスが、今度は叩き起こしてやろうと、ウィザードの寝台へ近づく。
その足に、何か硬いものが当たった。
不思議に思って拾い上げてみると、それは変わった形をした、ガラスの瓶だった。
辺りを見回してみれば、同じ様な形のガラス瓶が、幾つかごろごろと転がっていた。
瓶の底に、僅かに残った紫色の液体を見て、ブラックスミスはうんざりとした顔になった。
「俺様が露店してる間、酒飲んでたってワケね」
独特の形をしたガラスの入れ物は、マステラ酒の空き瓶だった。
マステラの成分を抽出して作られた酒は、一時的に、精神力を高めてくれる効果がある。だから、集中して本の内容を読み込もうとするときには最適なのだと、目の前で眠るウィザードが言っていた。
しかし、酒は酒。飲みすぎれば酔うことに違いはない。おまけにこのマステラ酒、なかなかに味が良い。本を読みながらでは、知らず知らずのうちに、簡単に飲み干してしまうだろう。
ウィザードも、調子良く何本もの瓶を空けた後、酔いで眠くなって、散らかしたものもそのまま放置で眠りに就いたに違いない。
よくよく見れば、眠るウィザードの頬が、仄かに赤く染まっていた。
「おいこら酔っ払い、いい加減起きろって」
普段はマントに隠れているウィザードの肩を掴んで、軽く揺すってやる。
「……うるっせーな、こっちは眠いんだ」
「俺だって眠いんですけど」
「知らん」
ウィザードはブラックスミスの手を振り払った。酔いのせいか、少々、手付きが危うかった。
ブラックスミスの手が離れると、ウィザードは横になったまま、体を丸めた。
すると、さらり、と音を立てて、ウィザードの赤い髪が、頬の横を滑った。
滑り落ちた髪の合間から、耳が覗き見えた。
どうやらかなり酔っているらしい。普段は白い耳が、髪に馴染むほど、赤く染まっていた。
不意に思いついて、ブラックスミスは、ウィザードの耳へと手を伸ばした。
情事の最中、ウィザードは耳を触られる事を嫌がった。恐らくは、極端に敏感に出来ているのだろう。
ならば、今突付いてやれば、一発で飛び起きるのではないか。
「起きないと耳触りますよー」
わざとらしく声をかけてやれば、僅かにウィザードの目元が震えた。
それには構わず、ブラックスミスはウィザードの耳に手を伸ばす。
仄かに赤く、熱を持った耳を、軽くつまんでみる。
触れた瞬間、ウィザードが飛び起きると思ったブラックスミスだが、しかしウィザードは、小さく声をあげただけだった。
それも、嫌がるような声ではなかった。
鼻にかかった、どこか甘えるような呻き声だった。
「……気持ち、良い」
そう呟いたウィザードは、満ち足りたような、とても幸せそうな表情をしていた。
予想外の反応に、ブラックスミスは固まってしまった。
呆然となりつつも、ブラックスミスは、ウィザードの表情が、何かに似ているように思った。何だろうかと考え込み、ああ猫だ、と思いついた。
ウィザードの表情は、まるで猫が喉を鳴らすときのようだった。勿論、喉は鳴らさなかったが、彼は代わりにくつくつと笑い声をあげた。
目が覚めてしまったのは、ブラックスミスのほうだった。
「……ちっくしょー」
悔しそうな声で、ブラックスミスが呟く。
掴んでいた耳から手を離すと、ウィザードの赤い髪を、ブラックスミスはかき上げてやった。
乱れた髪の隙間から、まるで様子を伺うようにウィザードが見つめてくる。視線に気付いたブラックスミスは、体を丸めると、今まで触っていた赤い耳に、柔らかく噛み付いた。
くすぐったげに笑うウィザードを、ブラックスミスは抱きかかえる。
まだぼんやりとした様子で、それでもウィザードは、ブラックスミスの首に腕を回した。
「酔っ払い相手に、欲情したのか?」
そう尋ねるウィザードに、ブラックスミスは肩を竦める。
「据え膳食わぬは、ってヤツよ」
「据えたつもりはないぞ」
「冗談」
はは、とウィザードが声をあげて笑う。
「冗談ってのは、こういう風に言うんだ」
ぐっと、ブラックスミスの肩に、ウィザードが圧し掛かった。
「お前の帰りが遅いから、寂しくて一人飲んでたんだ」
目を見開いたブラックスミスが、ウィザードをまじまじと見返した。
艶やかな顔で微笑んでいたウィザードが、やがて耐え切れなくなったように笑い出した。
「……お前、笑い上戸だったんだな」
「そうか?」
「そうだよ」
笑い続けるウィザードの口を塞ぐように、ブラックスミスは唇を重ねた。
「今のが冗談、つうのが冗談なんだろ」
 重ねた唇の隙間から、ブラックスミスが囁くが、ウィザード笑って見せるだけだった。
 元々、答えなんて期待してはいなかった。
「どっちでも良いけど」
 言いながら、ブラックスミスは、ウィザードの服の下に手を滑り込ませた。





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