バレンタインの憂鬱



随分と高くなった太陽に、彼は目を細めた。
暗殺者という職の彼にとって、太陽の光ほど邪魔なものはない。
それでも、彼は明るい空が好きだった。
自分や他のものを目で感じられる事が、何よりも落ち着いた。
「だったら、急に背後に出て驚かす必要ないじゃない!」
目の前に立っている、剣士の少女がそう叫んだ。
幼さの抜けきらない顔には、不満と怒りの入り混じった表情が浮かんでいる。
「いや、真面目に訓練してるみたいだから手伝ってやろうと思って」
「だからって、いきなり背後にでてくるなんて、ビックリするじゃないですかぁ……」
悪びれもせず答える彼に、剣士の背後から小さな声の訴えが聞こえた。
彼女の背に隠れるようにして、魔法使いの少女がしゃがみこんでいた。相当驚いたのか、目には涙を浮かべている。
「あーごめんごめん、そんな驚かすつもりはなかったんだって」
「まったく、こんな可愛い女の子いじめるなんて、おじさん最悪!」
魔法使いを庇うようにして立つ剣士が、手を腰に当ててそう叫ぶ。
暗殺者は顔をしかめた。
「おじさんじゃねえっての。お前と10ちょっとしか歳違わないんだから」
「じゃあおいちゃん?」
「可愛く言えば良いってもんじゃねえぞ」
「お父さーん♪」
にっこり笑って言う剣士に、暗殺者は顔を引きつらせた。
「何歳のときの子だよ……」
「やーね、可愛らしいユーモアじゃない」
それとも心当たりあるの、と聞き返す彼女に、暗殺者は肩を竦めるだけだった。


ふと、彼は顔を上げた。
目の前には、彼女達の所属するギルドが使っている建物がある。その二階にある一室に目をやるが、そこに動く人間の気配はない。
「あいつどっか出かけた?」
「あ、話逸らした」
剣士の言葉は無視して、彼は魔法使いの少女を見た。
不思議そうな顔の少女が、暗殺者の視線の先を追って、あ、と呟いた。
「えと、先生なら多分、まだ寝てます」
立ち上がってそう答えた彼女に、彼は少し驚いた顔で呟いた。
「めずらし……」
「だよね……」
そう言って剣士の少女も頷いた。
「何か、バレンタインで、すっごい疲れたって言ってました」
魔法使いの言葉に、暗殺者はプッと噴出した。
「どっかのお姉様に食われたんだな」
「えっ……!?」
顔を赤くして絶句する魔法使いをよそに、剣士が話を続ける。
「それはないんじゃない? 昨日もいつも通りの帰りだったし」
「帰って来てからギルドの誰かに、かもしれないぞ」
面白そうにそう呟く暗殺者に、剣士がなるほどと頷く。
慌てて魔法使いの少女がぶんぶんと首を横に振る。
「そういうんじゃないですって!」
「何だ」
途端につまらなそうになった暗殺者を、剣士が軽く睨みつけた。
「何だ、っておじさん何期待してたの……」
「さあね」
彼はそれだけ答えると、ギルドの建物に向かって歩き出した。
「んじゃ俺あいつ起こしてくるから、昼飯の用意よろしく」
当然俺の分も、と付け加える彼の背に、剣士が声をかけた。
「結局昼ご飯たかりに来ただけでしょ!」
「まー気にするな」
そういうと彼は、さっさと建物の中に入ってしまった。
「全く……他の人たち探して来てくれる?」
剣士の問いかけに、魔法使いが頷いて駆け出した。


先程見上げていた部屋の前に、彼は立っていた。
軽くノックしてみるが、中からは何の反応もない。
本当に寝てるな、と彼はドアノブに手をかけた。
部屋の中は綺麗に片付いていた。
魔法使いのマントや杖は、すぐ手の届きそうな所にまとめて置いてある。魔術書らしい分厚い本は、順番どおりに本棚の中で並んでいる。
置き場に困ったらしい、寝台の横に小さく積まれたプレゼントだけが、妙に目立って見えた。
中に入り、彼は真っ直ぐに寝台に向けて歩いた。
「ほらセンセ、生徒が起きて真面目に修行してるのに何してんの」
寝台の上にある布団の小山に向かって、彼はそう呼びかけた。
頭まで布団を被っていて、顔は分からないが、うめく声が本人だという事を教える。
「もう昼だっつーの、ほれ起きろ」
そういって布団の山を揺すると、中からくぐもった声が聞こえた。
「あと5時間……」
「単位違うだろ!」
そう叫んで、彼は布団を剥がした。
布団の中にいた青年は、少女達よりは大分年上で、暗殺者より幾らか若かった。
無防備な表情を眩しそうにしかめて、彼は暗殺者を見上げた。
「おはよ」
暗殺者が声をかけると、青年は目を擦った。
「おはよ……ございます」
まだ寝ぼけたままの声でそう答えると、彼は体を小さく丸めた。
「寒い?」
「ちょっと……」
呟いて体を起こした青年に、暗殺者がマントを投げかけた。
それを上から被って、青年は目を擦った。
「ありがとうございます……」
先程の少女達とあまり変わらないあどけなさに、暗殺者は笑いを噛み殺した。


彼は寝台に座り込むと、魔法使いの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「あーすごい寝癖」
魔法使いはその手を軽く払って、彼の目を覗き込んだ。
「元からクセ毛なんだって知ってるくせに……。そういう自分だって、すごいですよ。真っ直ぐ上に逆立ってる」
「俺はこういう髪型なの」
吐き捨てるように呟いた暗殺者に、魔法使いは小さく笑った。
その表情に、どこか翳りがあるようだった。
「随分疲れてるな」
「あ、別にそんなことないですよ」
笑ってごまかそうとする魔法使いに、暗殺者は肩を竦めた。
「もてる奴は大変だね」
不思議そうな顔をする魔法使いに、彼はプレゼントの山を示した。
魔法使いの笑顔が、微かに困った感じに変わる。
それを、暗殺者は見逃さなかった。
――またコイツ、一人で考え込んでたな。
相手に気付かれないように、暗殺者は溜息をついた。
「僕なんかの何がいいんだろう」
「ウブっぽいとこ?」
すかさず帰ってきた暗殺者の反応に、彼は頭を掻いた。
「それはあまり嬉しくないなぁ」
「そっか?」
彼は力なく笑うだけで、何も答えなかった。


暗殺者は積み上げられたプレゼントのひとつを手に取った。
綺麗にラッピングされたそれは、開けられた様子がなかった。
「開けねぇの?」
そういって手渡された包みを、魔法使いは困ったような表情で見つめるだけだった。
「お前、それ誰から貰ったの?」
唐突な問いかけに、彼は首をかしげた。
「ええっと、噴水前でたまに見かける商人さんからだけど」
「そんな仲良かったっけ?」
暗殺者の言葉に、彼は首を横に振った。
「何で僕に、ってちょっと困ったんだけど……」
彼はそう呟いて、包みを横に置いた。
「困ったなら受け取らなきゃ良いのに」
暗殺者の言葉に、魔法使いは何も答えなかった。
「別に、相手だってお前を困らせたい訳じゃないだろ」
殺者はそう呟いて立ち上がった。
その顔を魔法使いが見上げる。
少しためらったあと、彼は小さく口を開いた。
「受け取るのが困るわけじゃないんですよ」
彼の言葉に、暗殺者が真っ直ぐに見詰め返した。
魔法使いは俯いて、独り言を呟くように呟き続けた。
「相手が何を期待してるんだろう、とか考えちゃうと、どうしていいか分からなくって。本当、僕なんかが受け取ってもいいのかなって。けど、僕は相手に特別何かをって思えないし……本当、どうなんだろ……」
段々愚痴のようになってくる彼の呟きを、暗殺者は黙って聞き続けていた。
「受け取ることで相手が満足するならそれでいいんです。もし、もしそれ以上の事を期待されてて、それに答えられなかったらどうしよう、とか……」
そこまで言うと、彼はふっと顔を上げた。
「すみません、こんなこと聞かせちゃって」
笑顔でそう言った彼の前に、暗殺者はしゃがみこんだ。
そして、先程とは違い、優しい手つきで彼の髪を撫でた。


不思議そうな顔をする魔法使いに、彼は呟いた。
「お前がそんな事気にする必要はねえよ」
何かを言いたそうな顔をする魔法使いを無視して、彼は言葉を続けた。
「どうしても気になるっていうなら、俺に言え。一緒に考えてやるから」
「そんな、迷惑かけられないし」
慌てて首を振った魔法使いに、暗殺者は優しく笑いかけた。
「一人で抱え込もうとする方がよっぽど迷惑だ」
暗殺者がそう言って、静かに彼の髪から手を離し、その手を頬に当てた。
「少しは人に頼る事も覚えろ」
囁くように呟いて、彼は今度こそ手を離して立ち上がった。
魔法使いは彼の手が触れていたところに手を重ねると、俯いて小さく笑った。
「そんなに親切にすると、甘えますよ?」
試すような口調の魔法使いに、暗殺者は笑って頷く。
「大丈夫、お前はそんな子じゃないとお父さんは信じてるぞー」
「お父さんって……」
「やだね、可愛らしいユーモアだっての」
彼の言葉に、魔法使いは安心した様子で息をつく。
「良かった、遂によそで子供作ってきたのかと……」
「おいこら」
軽く睨みつけた暗殺者に、魔法使いは声をあげて笑った。
「ったく、じゃあ先に下行ってるから」
そういってさっさと部屋を出る暗殺者を見送って、魔法使いは立ち上がった。
着替えようとして、先程寝台に置いた包みに目をやる。
それを元の位置に積みなおすと、彼は優しく微笑んだ。
後で全部開けてみよう、と考えながら。





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