焼け付く情感



脱いでおいたマントとケープを、軽く畳んで膝の上に乗せる。
ごろごろという重たげな音を聞いて、木陰に座り込んでいたウィザードは顔を上げた。
むき出しになった肩に吹き付けてくる風は、どうにも生暖かく、涼しいといえるようなものでは到底なかった。木陰の外では、眩しい日差しがじりじりと地面を焼いている。その眩しさの中を、ウィザードに向かって、くたびれた顔のブラックスミスが歩いてくる。
「あっぢー……」
重たい石を転がすような音は、彼のカートによるものだ。ごろごろごろとうるさいカートと共に、木陰の中に入り込むと、ブラックスミスはウィザードの隣に腰を降ろした。日差しの中を、随分と長い間歩いてきたのだろう。空気を通じて、ブラックスミスの体温が、ウィザードにまで届くような気がしていた。
「こんなに暑くなるなんて聞いてねえぞー」
そう言いながら、ブラックスミスはカートに手を伸ばしたのだが、その指先がカートの縁に触れるか触れないかといったところで慌てて引っ込めた。直射日光を浴び続けた金属性のカートは、洒落にならないぐらい熱くなっているのだろう。うかつに触ったら火傷しかねない。それでも、恐る恐るといった様子で、カートの中へと手を入れ、無造作に突っ込んであったタオルを、ブラックスミスは引っ張り出す。汗がにじんだ首元を乱暴に拭うが、それだけではどうにも暑さは収まらないらしい。握りしめたタオルを、ブラックスミスはぶんぶんと振り回した。
「汚いものを向けるな阿呆」
露骨に嫌そうな顔をして、ウィザードが背中を引いた。
「そんな汚くねーよ」
「汗まみれのタオルのどこが汚くないんだ」
はっきりと言い切ったウィザードに対して、ブラックスミスは軽く口を尖らせた。
「じゃあさー、タオル振り回すのやめるから、その代わりに氷かなんか出してよ」
お前の得意な魔法でさ、と言って笑うブラックスミスに、ウィザードはすい、と右手を差し出した。
「何よ」
向けられた手の平にブラックスミスが問えば、ウィザードは口の端を吊り上げて答える。
「レモン一個で手を打とうじゃないか」
「高えよ馬鹿」
そう吐き捨てると、ブラックスミスはタオルを元のようにカートに放り込んだ。
「あー、暑い」
だらしなく広がったタオルには目もくれず、大きく深呼吸をする。汗のにじむ、シャツの合間から露わになった胸元が、ブラックスミスの呼吸にあわせて上下する。
「この間拾ったハット、売るんじゃなかったなー」
言いながら、ブラックスミスは自らの髪をわしゃわしゃとかいた。日当たりの良い場所で露店を出していたせいだろう。彼の濃い色の髪は、カートほどではないにしろ、随分と熱を持っていた。
「いつも付けてるゴーグルはどうした?」
「あんなもん被ってたら頭が煮えるっつーの」
タオルの下から少しだけ覗いているゴーグルを目で示しながら、ブラックスミスは長い髪を束ねていた紐を解いた。
吹き付けてきた風にブラックスミスの髪が揺れると、ウィザードは少しだけ目を細めた。
「解いてるほうが、頭の後ろは涼しいんだよなー」
ウィザードの表情に気付く様子もなく、ブラックスミスは指に持った紐を弄ぶ。
「でも露店すんのにはうっとうしいんだよね」
「だったら切れば良いだろ」
至極当然と思えるウィザードの指摘だったが、ブラックスミスは首を横に振る。解けた髪が小さく音を立てた。
「お前の格好だと分かんないと思うけどさあ」
ウィザードの膝に乗せられた、襟の立ったケープを見ながら、ブラックスミスが呟く。
「髪短くすると、首の後ろが焼けるのよ」
無造作に流された髪の上から、ぽんぽんとブラックスミスは首の後ろを叩く。
「あれなー、自分からは見えないから、ちょっとしたときに気付かずにひっかいちゃったりするわけよ。そうするともう痛いのなんのって」
思い出すだけで痛いらしく、ブラックスミスは盛大に顔をしかめてみせる。
なるほど、確かにウィザードは、ケープの襟のお陰で首の後ろが日焼けしたという経験はなかった。ブラックスミスにつられるようにして、首の後ろへと手を回そうとしたウィザードは、ふとあることに気付いてブラックスミスに向かって手を伸ばした。
「……って、何したの今!」
ぴりりと走った痛みに、ブラックスミスが慌てて体を引いた。
ウィザードはといえば、そんなブラックスミスの様子を見て、ぱちりとひとつ瞬きした後、唇を笑みの形につり上げた。
「お前は首のことばかり気にしていたみたいだが」
そう言いながら、ウィザードは指先を自分の耳元へと近付ける。
「髪を結ぶから、耳が出ているんだろう。縁が真っ赤に焼けてたぞ」
「……うっそ」
ためらいながらも、ブラックスミスは、先程ウィザードに触られた耳に触れてみた。知らない間に熱を持っていた耳の縁は、軽く触れただけでもひりひりと痛んだ。
「うわーマジだ」
「いつもはゴーグルを被っているわけだから、今日だけでそんなに焼けたんだな」
「耳も日焼けするものなのね……」
再び顔をしかめて、ブラックスミスが呟いた。
「ていうか、何なのよその顔は」
何故か物凄く楽しそうな笑顔を浮かべ、自分を見つめているウィザードに向かい、ブラックスミスは問いかける。
いいや、と呟いたウィザードは、ひょいと肩を竦めてみせた。
「これは良い仕返しだな、と思っただけだ」
「仕返しって……あー」
うんざりしたような声を、ブラックスミスは上げた。
「お前、耳弱いんだっけね」
 二人して同じ寝台の上でもつれ合っている時、ウィザードは耳に触れられることを極端に嫌がってみせる。その反応が、普段の尊大な態度と比べると妙に可愛らしくて、ブラックスミスは隙を見つけては、ウィザードの耳の縁を撫で、摘まみ、時には軽く甘噛みしてみたりもする。そういった時のウィザードの耳より、今の自分の耳のほうが更に赤くなっている(勿論、日焼けによってだ)ことに、残念ながらブラックスミスは気が付いていない。
「……ってだから触るな! マジで痛いんだから触るなって!」
再びウィザードの指が耳に触れ、最早悲鳴に近くなった声を、ブラックスミスが上げる。それでも、ウィザードはブラックスミスの耳を突こうとすることを止めない。
「私がいくら止めろと言っても、お前は止めなかったよな?」
「それとこれとは状況が違うっての!」
執拗に手を伸ばしてくるウィザードから、ブラックスミスは背中を逸らすことで逃げようとする。しかし、それだけでは到底逃げ切れないことを知ると、疲れているのにも拘らず、立ち上がってまで逃げ出した。そうして気付けば、ブラックスミスは木陰から追い出され、目映い日光に晒される状態になっていた。
照りつける太陽を睨みつけ、ブラックスミスは額に浮かんだ汗をシャツの袖で拭った。涼むつもりだったのに、余計に暑い思いを味わうことになってしまった。
はあ、と大きく溜息を吐いてから、木陰の中で涼しそうな顔をして、自分を見つめてくるウィザードに、ブラックスミスは低い声で囁いた。
「夜になったら覚えとけ」
 軽い脅しの言葉に、構わないぞ、とウィザードは呟く。
「それまで、お前の体力が残っていたならな」
じりじりと焼き付いて、ブラックスミスの体力を奪う太陽の光より、更に眩しい笑顔を浮かべて、ウィザードはそう答えてみせた。
その笑顔に、情感にも似た眩暈を覚えるような気がしたのは、きっと太陽のせいだと、ブラックスミスは自分に言い聞かせた。





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