重ねた嘘



一度吐いた嘘を取り消すのは難しい。
重ねた嘘ともなれば尚更だ。
大きな嘘を崩す時はいつだって、同じぐらいに大きな何かを崩してしまう。
木陰で牛乳を飲み干しながら、ウィザードは視線を横にやった。
いつもならば騒がしいノービスが、ぼんやりとした表情でニンジンを齧っている。
ウィザードが無言で牛乳を差し出すと、ノービスは彼の方を見て、少しだけ笑った。
「いいですよ、俺ニンジン好きですし」
そう言って、彼はまたニンジンを齧り始める。
そんな何気無い行動すらも、どこかよそよそしく見える。
ここのところいつもそうだった。
しつこいぐらいにベタベタくっついてくると思えば、不意に遠い目をして口を閉じたり。
買い物の途中にぼんやりと考え事をしていたり。
それなのに、ウィザードが声をかけると、何事も無かったかのように振舞って見せる。
今までに感じた事の無い不自然さ。
一つ一つ積み重なっていくうちに、ノービスと自分の間に高い壁が出来ていくような気がした。
自分にとって、ノービスの存在などどうでもいいはずなのに、それが不安で仕方が無い。
消える事の無い苛立ちが、彼の中で強まっていった。


「おい」
「はい?」
ウィザードに呼ばれて振り向いたノービスは、いつもの笑顔。
ばれていないとでも思っているのだろうか。
思わず舌打ちしたウィザードに、ノービスは焦ったような顔になる。
「え、俺なんか先輩怒らせるような事した?」
ウィザードはその問いかけには答えず、真っ直ぐにノービスを見つめた。
「貴様、私に何を隠している?」
一瞬だけ、ノービスの表情が揺れた。
「別に、何も隠してなんてないですよ!」
すぐに元の表情に戻ってそう言ったノービスの胸元を、ウィザードが掴む。
「……いい加減にしろ」
静かな、深い怒りに満ちた声でウィザードが呟く。
「何かを偽ってまで私についてくる理由が何処にある? 私から離れたいならば早く失せろ」
止める理由などどこにもない、と吐き捨てると、ノービスが苦しげに顔をしかめた。
「先輩は知らなくても困らない事ですから」
「そういって、いつも貴様は自分の事を言おうとしない」
ウィザードは乱暴にそう言うと、ノービスの胸元から手を離して立ち上がった。
「もうどうでもいい。貴様とは二度と会う事も無いだろうからな」
「え?」
驚いたノービスが聞き返した。
ウィザードは何も答えずに、牛乳の空き瓶と荷物を拾い上げると、そのまま歩き出した。


「……ホント、先輩には敵わないね」
ノービスは小さく呟くと、立ち上がってウィザードに駆け寄った。
手を掴むのだが、乱暴に振り払われてしまう。
「触るな」
「待ってよ、全部言うから!」
その言葉に、ウィザードが振り返る。
「私は知る必要のないことなんだろう?」
ならば聞く必要もない、というウィザードに、ノービスは頭を掻く。
「ったくもー、俺が悪かったですから、待ってくださいよ」
「嫌だ」
今回に限ってはウィザードも本気で怒っているらしい。
そっけない言葉を残して、また歩き出してしまう。
「本当、お願いですから待ってくださいってば!」
「嫌だと言っているだろう!」
無理矢理掴もうとしたノービスを睨んで、ウィザードが怒鳴りつける。
「貴様は人の話というものを聞かな過ぎるんだ!そのくせ聞きたい事だけは意地でも聞き出そうとしやがって。自分の話になれば適当に誤魔化して終わりにするくせに」
「そりゃ先輩が簡単に誤魔化されちゃうってだけで、俺ばっかりが悪いんじゃないと思うけど……」
ぼそっと呟いたノービスの頭を、ウィザードが牛乳の空き瓶でぶん殴った。
鈍い音がして、ノービスがうめき声をあげた。
「……って、それいくら先輩が非力でも下手すりゃ死んじゃうじゃないっすか!!」
「一度死ねば少しはましになるだろう」
「ひでぇ……あ、やべ、本気で眩暈してきたよ……」
叩かれた所を押さえながら、ノービスが呟いた。
「え、そんな強かったか……?」
慌ててウィザードが覗き込む。
その途端、ノービスは彼を抱きしめた。
気付いたウィザードが逃れようとするのだが、ノービスのほうが動きが速い。
「貴様っ……」
腕を払おうとしても、相手の腕力には全く敵わない。
「ね、ちゃんと言うから、行かないで下さいよ」
そう言って微笑みかけるノービスに、ウィザードは溜息をつく。
こうやっていつも騙されてしまうのだ。
「……いいか、全部言えよ」
ウィザードの言葉に頷くと、ノービスは少し寂しそうな表情をした。


それは自分から望んだ事だった。
けれど、改めてノービスの表情を見てしまうと、それをウィザードは少しだけ後悔した。
もしも自分が気付かなければ。気にしなければ。
何気無い生活を続けていくうちに、忘れてしまえたかもしれないのに。
それでも、彼は本当の事を聞く事を望んだ。
今更戻る事なんて出来なかった。
腕を放せと言うタイミングを逃してしまった事に、ウィザードは微かに顔をしかめた。
お陰で、ノービスの表情がよく分かってしまう。
寂しそうな表情のまま、ノービスがゆっくりと口を開いた。
自然、ウィザードの体が硬くなる。
「……実は俺、牛乳嫌いなんですよ」
途端に、ウィザードの頭の中が真っ白になった。
牛乳、というとあれだ。さっきまで自分が飲んでいた、栄養たっぷりの白い液体で、お菓子作りにもよく使われる奴で、チーズやヨーグルトにも加工される奴で。
で、それが嫌いという事は……。
……だから何?


「………………あ?」
ようやく我に帰ったウィザードが、間抜けな声を返す。
ノービスは淡々と言葉を続けている。
「でも先輩牛乳好きそうだし、今更打ち明けられないよなってずっと悩んでて。先輩が牛乳買うたびに、よくあんな物飲めるな、とか思っちゃうわけで。あ、アレルギーがあるとかいうんじゃないんですけどね」
真っ白になった頭の中で、ノービスの言葉が木霊する。
彼が話している物は、間違いなくあの牛乳の事である。
つまり。
自分は食べ物の好き嫌いのことでイライラをためていた訳で。
本気で牛乳の事で悩み続けていた訳で。
「……先輩、やっぱり俺の事軽蔑した?」
不安げに聞いてくるノービスの言葉も、ウィザードには届かない。
「……牛乳の事?」
「はい」
「……それだけ?」
ウィザードの言葉に、ノービスが驚いたような表情をする。
「だけって、食べ物の好き嫌いは凄い重要じゃないですか」
それと同時に、ノービスの腕が緩む。
ウィザードはノービスの腕を振り解くと、牛乳の空き瓶で、今度こそ全力でぶん殴った。
瓶が割れないのが奇跡ともいえそうな勢いだった。


上手く当たったらしく、ノービスは頭を押さえてその場に座り込んだ。
「……先輩、今本気で殴ったでしょ……?」
涙目になって見上げてくるノービスに、ウィザードは冷たく言い放つ。
「馬鹿か貴様は」
「あー、先輩に殴られたから馬鹿になっちゃったかもしれない……」
そう言ったノービスを、ウィザードは冷たく鼻で笑う。
「安心しろ、これ以上ならないぐらいに馬鹿だっただろうが」
そう言うと、彼は軽く息を吐いた。
「ぐだぐだ悩んでいるかと思えば、食べ物の好き嫌いとは……」
くだらない、とウィザードはもう一度溜息を吐く。
「いや、でも長く付き合っていくには、食べ物の好き嫌いほど重要な物はありませんよ?」
長く付き合っていくつもりなど無い、と怒鳴りつけようとして、ウィザードはある考えを思いついた。
「確かにそうだな」
あっさりとした返答に、ノービスが不思議そうな顔になる。
その顔に、ウィザードが指を突きつける。
「ということで、今日から毎食牛乳付きで決定だ」
「え」
絶句するノービスの前で、ウィザードは一人納得して頷く。
「いつも飲まされてたらそのうち慣れるだろう。安心しろ、飲めるようになったら毎食じゃなくて毎日にしてやる」
平然と言い捨てるウィザードの前で、ノービスは未だ硬直したままである。
「よし、早速買いに行くか」
「せ、先輩、マジですか!?」
「大マジだ」
ウィザードはそう言うと、牛乳を売っていそうな店を探して歩き出してしまった。
「先輩、お願いですよ、それだけは勘弁して下さいってばぁっ!」
「ならついて来るな」
食べ物の好き嫌いは重要なんだろう、と彼は付け加える。
後に残されたノービスは、しばらく立ち尽くしたあと、大きく溜息をついた。
「やっぱり、言わないほうが良かったかね……」
けれど、言わなければウィザードは一人でどこかへ行ってしまったであろう。
どんなに嘘をついたって、最後にはばれていたに違いない。
本当に自分を信用してくれる人というのは、どんなに嘘をついたって、ちゃんと本当の事を見つけ出してしまう。
「まぁ、俺の事気にしてくれてるって事だよな……?」
そうに違いない、とノービスは一人頷いて、ずいぶんと先に行ってしまったウィザードの後を追いかけた。





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