ついてない日



頭に鈍い衝撃を受けて、ブラックスミスの青年は飛び起きた。
「いってえ!」
そう叫ぶや否や、足元に放ってあった斧を掴み、辺りを窺う。
折角寝台があるというのに、どうも彼は床で眠っていたらしい。冷え切った硬い床のせいか、身体のあちこちが痛む。
だが、自分の頭に欲しくも無いプレゼントをくれた相手に一矢報いなくては、腹立ちも収まらないというものだ。
今日は一人で宿を取っていたはずであった。頭につまづくような相手は、この部屋にはいないはずである。
外を見ると、大分夜も更けているようである。開いた窓から吹き込んでくる風は、少し肌寒く感じられた。ここから逃げ出したのだろうかと、窓から外を見るのだが、それらしき姿はどこにも見えない。
訝しげに思いながら彼が一歩下がる。
と、その足に何か硬い物が触れた。
さてはこれが凶器かと、彼はその場にかがみ込んだ。
「てこれ、俺の持ってきた溶鉱炉……」
何故こんな所に、とブラックスミスは一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに事態を理解して、大きくうめいた。
ここで鉱石を精製して、片付けもせずに眠ってしまったのだ。
自分の置いた溶鉱炉に頭をぶつけて目を覚ますなんて、誰にも見られなくて良かった、とブラックスミスは大きく息をついた。
こんな不手際、普段ならばまずやらないのだが、今日は仕方がない気がした。
今日は運が悪すぎるのだ。
今日の午後、いつものように狩りから戻ってきた彼は、これまたいつものようにカプラの倉庫サービスを利用しに行った。
そこでカプラ嬢に告げられた言葉に、彼は絶句するしかなかった。
「申し訳ございませんが、お客様のお預けになられた品物の一部を紛失してしまいまして……」
それが回復薬や安い消耗品ならば、運が無かったと笑う余裕もあっただろう。
だが、それは彼の銘の入った短剣だったのだ。
製造がさほど得意ではない彼にとって、その短剣が作れたのは奇跡にも近かった。
日頃から自分を無精者と罵る友人に、嫌がらせで押し付けてやろうと思うぐらいに。
実際にその友人に渡そうと、倉庫から取り出そうとしたらこの有様だ。
しかし、目の前のカプラ嬢の、今にも泣き出しそうな顔に、彼は文句一つ言わずに笑って見せた。
男たるもの、小さなことで喚いていてはいけない。
ここで彼女に文句を言っても何の解決にもならないどころか、自分の醜悪さを晒すだけではないか。大体、倉庫の中身が消えるのは彼女達のせいではなく、もっと下っ端の連中がしっかりしていないからだ。
それに、女性を苛めるなどと、彼の美学に反している。
「レディに優しく、野郎は知らん」が彼の座右の銘だった。
ただ、このまま引き下がるのも運命に負けたようなので、彼は倉庫からありったけの鉱石や原石を取り出してもらった。
そして宿を取ると、半ばやけになりながら精製を始めたのだった。
もちろん、戦闘型のブラックスミスの彼、しかも集中の続かない状態ではほとんど成功する事は無かった。
そうして精も根も尽き果て、彼は後片付けをするどころか、寝台に潜る事も無く不貞寝してしまったのだ。
「面白くねえ……」
イライラとした口調でそう吐き捨てて、彼はどかっとその場に腰を下ろした。
適当な人物を見つけて、愚痴の一つや二つや三つや四つ吐き出したいのだが、一人部屋ではそうもいかない。
今日の運の悪さでは、外に出てナンパする勇気も出ない。
ブラックスミスは少し考え込んだあと、ジーンズのポケットに手を入れて漁ると、中から小さなお守りのようなものを取り出した。
冒険者達が必ず持っている、カプラサービス使用許可証。
彼の場合は、このお守りのようなものがそうだった。
これ一つで倉庫の利用や空間移転、果ては瀕死状態の都市帰還機能まで利用できるという優れものだ。
また、同じ様に許可証を持っている人物と空間を超えて会話する事まで出来てしまう。これが俗に言われる耳打ちだ。
カプラサービスに登録した名前が分かる人物でなければ、耳打ちは行えない。
逆にその名前さえ分かれば、相手に拒否されない限りいつでも話が出来るのである。
興奮ものろけも愚痴も、思う存分吐き出せる。
さて誰を犠牲にしようかと、彼が考え出したその時だ。
――こんばんは、こちらカプラサービスでございます。
脳内に明るい女性の声が響き渡った。
ブラックスミスは顔をしかめた。
許可証が伝えてくれるのは知り合いの声だけではない。
カプラサービスからの通達も、これを通して行われるのである。
どこにいても緊急連絡が送れるようにという、勤勉なカプラサービスらしい仕組みである。
というよりも、どんな状態でもこの伝達が聞こえてしまうという、不祥事が多い割りに目立ちたがるカプラサービスそのものを体現する仕組みであるのだが。
そして、前触れも無くカプラサービスの放送が流れ出た時には、大抵ろくな事がない。
――ただいま、わが社のサービス「隔空間会話システム」に不具合が生じております。
ほら来たよ。
ブラックスミスは天を仰いだ。
隔空間会話システム、つまり耳打ち機能がまともに動いていないらしい。
――5分後に緊急メンテナンスを行わせて頂きます。予め――
その通達の途中で、彼は許可証を放り投げた。
それが床に落ちて硬い音を立てるのとほぼ同時に、彼は大きく舌打ちした。
やはり今日はついていないらしい。
「もー止め、寝よう」
こういう時は何もしないに限る、と彼は寝台に潜り込み、頭から毛布を被った。
だが、十秒としないうちに、彼は布団から這い出してきた。
寝台から降りると、彼は先程投げた許可証を拾った。
乱暴に扱ったにも関わらず、傷一つ付いていないそれをじっと見つめる。
今はもう、先程の女性の声も脳内に響いてこなかった。
彼はに、と笑った。
そして、脳内に一人の人物の姿を思い浮かべ始めた。
短剣を押し付けようと思っていた、口が悪く、それ以上に性格の悪いウィザードの友人。彼に愚痴なんぞぶちまけたら、ずたぼろに罵られて余計に凹むに違いない。
だが、ブラックスミスは今、その最悪の相手を脳内に思い浮かべていた。
どうせついていないのだ。最悪の賭けをしてみようじゃないか。
通じてしまったらずたぼろに罵られて最悪。通じなくても一人惨めな気分になって最悪。自分の耳打ちを拒否していたら、それこそ最高に最悪。
悪趣味だとは思うものの、そういう想像をしてると不思議と気分が高揚してくる。
名前と、わざわざウィザードの一番不機嫌そうな顔を脳裏に浮かべ、さて一言目に何を言おうかと考える。
最悪の賭けにふさわしいような言葉を捜すのだが、いまいち良い物が思いつかない。
とりあえず思いついた言葉を脳内に浮かべ、許可証を強く握り締める。
だが、いつもならばすぐに脳内に響くはずの自分の言葉は、なかなか音となってくれない。
相手が眠っていたり、拒否したりしていればその旨をカプラサービスの明るい声が伝えてくれるのだが、今回はそれすらも無い。
これだから不具合には敵わないのだ。
さっさとメンテナンスしてくれ、とブラックスミスが思ったその時だった。
――起きてる?
何の工夫も無い、ただそれだけの自分の言葉が脳裏に響いた。
「時間差とは恐れ入ったね」
やけになってそう呟くのだが、肝心なのはこれからだ。
きっと――というか必ず――ウィザードは不機嫌丸出しの声で罵るだろうが、ブラックスミスだって黙って罵られているわけではない。何かしら趣向返しをしなくては、最悪の賭けの餌にされたウィザードに失礼ではないか。
つまるところ、下らない言葉遊びを楽しもうというだけなのだが。
まずは相手の反応を見ようと、ブラックスミスはもう一度、許可証に意識を集中させる。
――寝てる。
しばしの間を置いてから、思ったとおりの不機嫌な声が聞こえてきて、ブラックスミスはにやり、と笑ってしまった。
――何だ、思ったよりあっさり繋がったなあ。
自分の表情を悟られないようにそっけなく伝えると、ウィザードが反応を返してくる。
――場所が近いんじゃないか?
――今どこさ?
ブラックスミスがそう聞くのだが、相手は反応を返さない。
何だろうと不思議に思っていると、ひそめる様な声が脳内に響いてきた。
――お前の、後ろ。
「のわああぁっ!?」
思わず大声を上げてブラックスミスが振り返るのだが、勿論、彼の後ろには誰もいない。
やられた、と彼が気付いた時には、ウィザードは許可証の向こうで笑い声を上げていた。
――こんな古典的な冗談に引っかかる奴がいるとはな。
――うるせえ、今日の俺様は運がないのよ。
ああその話だ、とブラックスミスはようやく思い出したように呟いた。
――お前にやるっていってた短剣なんだけど、なくなっちまった。
――何だと?
聞き返してきたウィザードに、ここぞとばかりに今日の出来事をぶちまけてやる。
ただ、溶鉱炉に頭をぶつけた話は明らかに自分のミスなので黙っておく事にした。一つぐらい減ったところで充分なぐらい、今日の自分は不幸だと彼は確信していた。
全てを言い終えると、やはりブラックスミスが予想していたような、人を小馬鹿にしたような溜息が脳内に響いた。
――不幸な奴の見本市に並べられそうだな……。
何だそれは、と聞き返すよりも先に、ウィザードの声が響く。
――とか言って、本当は短剣が作れなかったのを隠そうとしてるだけなんじゃないのか。
ほら来たよ。
ブラックスミスは天を仰いだ。許可証関連で本日二回目。
どうしてこの男はこういう見方しかできないのだろうか。
実際、そのぐらいの方が気楽に付き合っていけるので有り難くはあるのだが。
――お前ねえ、俺がそんな男に見えるわけ?
うん、という性格の悪い即答を半ば期待しながらの問いかけだったのだが、何故かなかなか反応が返ってこない。
そろそろメンテナンスの時間だっけ、と考えるのだが、まだ早すぎる気がする。
不具合のせいか、と諦めて許可証から手を離しかけた時。
――いや、そんなことは無いな。すまない。
人間、想像につかない範囲の世界というものはどこにでもある。
予想もしていなかった謝罪の言葉に、ブラックスミスの手から許可証が滑り落ちた。
慌てて握り直すと、彼は脳裏で言葉を紡いだ。
――止めてくれ、お前に謝られても不気味なだけだわ。
――失礼な。
――あ、いやゴメン、あまりにも急だったからさ……。
――止めろ、お前に謝られても不気味なだけだ。
同じ言葉を返されて、思わず二人から笑い声が零れる。
その声が急に遠くなったように感じた。耳打ち機能のメンテナンスが始まるのだろう。
軽い気持ちの賭けだったのだが、何故か少し寂しさを感じた。
ブラックスミスは許可証を握ったまま、先程とは逆のポケットを漁った。
取り出した財布の中身を見つめ、うーんと唸った後、やがて意を決したように言葉を紡いだ。
――お前さ、飯食った?
――いや、まだ。
ウィザードの返事を聞くと、ブラックスミスは窓から身を乗り出した。
夜は更けても、町は明るい。酒場と思われる所も、殆どが明かりを消していない。
――じゃあ、いつもの所で飯にしない?
俺の奢り、ただし愚痴に付き合えと付け加えると、ウィザードが鼻で笑った。
――頭も運もない奴が、財布の中身までなくなったら可哀想だから私が奢ってやる。
感謝しろ、と言わんばかりの言い草に、ブラックスミスは軽く舌打ちする。
その偉そうな顔まで思い浮かべてしまうのだが、それほど嫌な気分はしない。
――頭は余計だっての。
そう告げるのだが、もう殆ど脳裏に声は響かない。
代わりに、メンテナンス開始を告げるカプラサービスの声が響きだした。
出かける準備をしようと許可証から手を話し掛けて、ふと思いついたように意識を戻した。
――サンキュ。
小さな感謝の言葉は、きっと届くはずが無いと思って伝えたもの。
しかし、その予想を裏切るように、脳裏に小さな笑い声が流れ込んできた。
勿論、性格の歪んだウィザードの。
「……やっぱ、今日はついてねえ」
気恥ずかしさを隠すようにそう呟くと、彼は財布をポケットにしまい、窓を閉め、溶鉱炉をカートに積んで部屋の外に飛び出した。
握り締めたままの許可証からは、もうカプラサービスの声しか伝わらない。
けれど、もうそれでも構わなかった。
もうすぐ、ブラックスミスが想像した通りの、機嫌の悪そうな、それでいて少し楽しそうなウィザードに会えるのだから。





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