彼が倒れた日


まだ少女の面影を残している女剣士は、その可愛らしい眼を吊り上げると、苛立った声を発した。
「大体、あそこの書庫の本は貸し出し可能だったでしょ?」
「うー……」
剣士の目の前には一つの寝台があり、その上にうつ伏せに横たわった男プリーストが、情けない呻き声をあげていた。
「それなのに、面倒だからって本棚の前に座り込んでずっと読んでたの?」
「ううー……」
「しかも立った途端、腰痛と立ちくらみ起こすような姿勢で!」
「うううー……」
うつ伏せになっていたプリーストは、だってさあ、と情けない表情の顔だけを動かして剣士を見た。
「貸し出し手続きするときに色々書くの面倒だったからさあ……」
「だからって倒れる程酷くなるまで読んでる事無いでしょ!」
全くもう、と剣士は呟いて、自分の腰に手を当てた。
「お兄ちゃんが面倒臭がりなの知ってたけど、まさかここまで酷かったなんて」
呆れたように妹である剣士が呟けば、兄であるプリーストはあははーと困ったような顔で笑う。
「笑い事じゃないでしょ! この間だって……」
「まーまー、いい加減懲りただろうし、このぐらいにしといてあげようよ」
更に文句をぶつけようとした剣士を止めたのは、窓際の壁に寄りかかっていたハンターの青年だった。


不満気な顔のまま振り向いた剣士に、ハンターは言葉を掛ける。
「流石に歩けないほど腰痛めたら、いくら面倒臭がりのお兄さんでもちょっとは行動改めるでしょ」
ね、とハンターは笑ってみせるが、剣士は首を横に振る。
「駄目ですよ。お兄ちゃんこの間も聖堂で本読んで、そのまま寝ちゃってたんですよ」
朝の掃除に向かった新米のアコライトが、倒れているプリーストを見つけ、死体かと思って悲鳴を上げたそうだ。
その悲鳴に目を覚ましたプリーストが呑気におはようなんて声をかけたものだから、哀れなアコライトはそのまま卒倒したという。
後でプリーストに問えば、「宿直室に戻るのが面倒だったから」なんて答えるものだから、剣士が怒るのも当然であろう。
「……あー、うん、そりゃ駄目だね」
幾分げんなりした顔でハンターが呟いた。
「でも夏だったし、聖堂でそのまま寝ても風邪ひかなかったし……」
「そういう問題じゃないでしょ!」
弁解しようとした兄を、妹は一言で切り捨てた。
「一緒にお昼食べようと思って図書館行ったらこれだもん。お陰で剣士ギルドのお勤め、遅刻じゃない」
「行かなくていいの?」
「行くに決まってるじゃない!」
そう言うと、剣士は寝台の脇に立てかけておいた剣を腰に提げ直し、ハンターに向かい直ってぺこりとお辞儀した。
「こんな事で呼び出しちゃってすみませんでした」
「いや、大丈夫だよ。早く行っておいで、後はちゃんと見ておくから」
苦笑して答えたハンターにもう一度礼を言うと、剣士はプリーストを見た。
「それじゃあ、今日一日は大人しくしててよ」
「してるから、そこの棚にある本……」
プリーストはそう言いかけたが、剣士とハンターの両方に睨みつけられ、やっぱりいいですと呟いた。


小走りに出て行った剣士の足音が消えると、やれやれといった表情で、ハンターはプリーストの横たわる寝台の傍に屈みこんだ。
寝台に肘を突くと、うつ伏せのままだったプリーストが、痛めた腰を押さえながらゆっくりと仰向けになり、ハンターに顔を向けた。
「俺もギルドで狩りの予定あったんだけどなあ」
「行って良いよ」
プリーストがそう言うが、ハンターは首を横に振る。
「一人にしたら這ってでも本読みに行くでしょ」
「ああ、ばれてる」
笑って呟いたプリーストに、ハンターは軽く肩を竦めた。
「あのねー、俺も妹さんもマジ焦ったんだよ?」
ハンターがギルドの溜まり場で、どこに狩りに行くか話し合っていた時だった。
プリーストの妹である剣士が青白い顔をして駆け込んできたのだ。
「兄が、倒れました」
彼女がそう呟いた時のショックは、しばらくは忘れられそうになかった。
その場にいたギルドメンバーに狩りの不参加を詫びて、剣士と二人、プリーストが運ばれた診療所に向かえば、言いづらそうな顔をする医者と、寝台の上に横たわり、困ったような顔で笑う当の本人に出迎えられてしまった。
「それが変な姿勢で本読んでたせいで腰痛めて、オマケに長い間しゃがみっぱなしだったから立ちくらみ、だなんてさあ」
ハンターは寝台に力なく突っ伏した。


白いシーツの上で手をぱたぱたとさせながら、ハンターは呟いた。
「第一、君が倒れたってとこで何かヤバイ状態だ、って思い込んじゃったのが間違いだよね」
「何で?」
プリーストに問われ、ハンターは顔を上げた。
「毎日のようにじゃりん子とあっちこっち駆け回ってる人が、そんないきなりヤバイ病気とか、想像つかないじゃん?」
「うーん、でも急性なんたらかんたら、ってのもあるじゃない」
「そういうのなりそうには見えないんだよ。あーもう、心配して損したよ!」
すると、横たわったままのプリーストが、口元に笑みを浮かべて、僅かに首を傾げた。
「心配してたの?」
「当たり前じゃん」
むすっとした顔のまま呟くと、ハンターは寝台に顔を埋めた。
けれどその頭を優しく撫でられて、彼は微かに顔を上げた。
プリーストと目が合うと、相手は嬉しそうな顔で笑った。
「ありがとう」
あまりにも嬉しそうな顔なものだから、ハンターは一瞬、何に腹を立てていたのかを忘れていた。


ハンターはしばらくの間、無言でプリーストに見惚れていたが、やがてうわー、と苦々しげな声を上げた。
「面倒臭がりで笑顔が無邪気とかって、めっちゃ母性本能刺激して女の子引っ掛けてそう」
「……引っ掛けてないよ」
「自覚なく引っ掛けてそう」
「あのねえ……」
渋い顔をしたプリーストに、だってさ、とハンターは告げる。
「少なくとも俺は引っかかっちゃったわけだし?」
すると、プリーストは軽く目を見開いた後、笑いながらハンターの頭を撫でた。
「母性本能刺激された?」
「流石にそれはないかな」
でもちょっと嫉妬はした、と付け加え、ハンターは自らの頭を撫でるプリーストの手をそっと掴んだ。
「てことで、今度暇な日には、思う存分独り占めさせてください」
ハンターの誘いに、プリーストは良いよ、と答える。
「今日狩りいけなかった分、僕と行くかい?」
それ良いねえ、とハンターは頷く。
「行けなかった分の二倍は稼ぎたいから支援ヨロシク」
「支援苦手なんだけど」
「……そういや読書家なのに殴りなんだっけ」
だから君の本ボロボロなのか、と呟いたハンターに、プリーストは笑って肩を竦めた。
「その分殴るから見逃してよ」
ある意味立派過ぎる本の虫に、ハンターは見逃すけどさあ、と呟いた。
「デートの時は、くれぐれも腰痛や立ちくらみなんてコトにはならないでよね」
ハンターの言葉に、プリーストは苦笑いを浮かべ、努力はするよとだけ答えた。






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