雪中行



眩いまでに白い空が、視界を埋め尽くした。
冷たい雪の大地を背中に感じながら、ウィザードは真っ直ぐに天を見つめていた。
万年雪に覆われた、幻想の街ルティエ。
分厚い雲に覆われた空からは、絶えず雪が舞い落ちる。空と同じ色の、真っ白な雪の上で、仰向けに横たわったウィザードの胸にも、足にも、腕にも、真っ赤な髪の上にさえも、降り続ける雪は積もっていく。
「話には聞いてたんだよなあ」
ウィザードに向かってそう告げたのは、ブラックスミスである。声の聞こえた方向から察するに、彼もまた、雪の上に横たわっているのだろう。
「ルティエでの結婚式は豪華なゲストが登場ってさ」
まさかなあ、とブラックスミスが空に向かってぼやく。
「お母さんとお父さんの猛反対にあうとは思ってなかったわ」
「全くだ」
雪の上に横たわったままで、ウィザードはそう返した。
冒険者である友人が、せっかくだからこの時期に、とルティエで結婚式を挙げると聞いて、ウィザードとブラックスミスは共に参列することにしたのだ。
新郎と新婦の誓いも終わり、つつがなく結婚式を終えようとしたとき、それは起きた。
二人の結婚に反対する「お母さん」と「お父さん」が、その場に現れたのだ。
とはいっても、本当の両親ではない。式場からのサプライズとして用意されたイベントで、「お母さん」というのはマーガレッタ=ソリンという、ハイプリーストの女性を模った魔物である。「お父さん」に至ってはストームナイトだ。最早人間の形すらしていない。
いずれもイベントとして準備されたものではあるが、その強さは実際の魔物と寸分違わぬらしい。武器を持たない新郎新婦を筆頭に、参列者達がばったばったとなぎ倒されていく姿は、いっそ爽快なほどでもあった。
その例に漏れず、ウィザードとブラックスミスもストームナイトの一撃の元に倒され、こうして冷たい雪の上に横たわっているというわけだ。
「どこ行ったかねー、お母さんとお父さん」
どうやらこの辺りからは、既に猛烈な反対をするご両親はいなくなったようだ。ブラックスミスの声が、静かなルティエの街に響く。
「今皆で探してるんじゃないか?」
「じゃあ、そのうちの誰かがくるまでは、俺らずっと雪の上ですか」
「かもな」
「風邪ひくっちゅーの」
ウィザードに比べると薄着であるブラックスミスが、天に向かって文句を吐いた。当然、返す者はどこにもいない。
「ねえ」
ブラックスミスの声が自分を呼ぶものであることに気付いて、ウィザードは少しだけ首を声のするほうへ向けた。
「あれってさ、結婚式なりの優しさ?」
「新郎新婦をその場でなぎ倒すのが?」
「そうじゃなくて」
ブラックスミスが笑う。
「冒険者なんかやってるとさー、何年も家に帰らない奴も結構いるでしょ。だから、たまにはお母さんとお父さんに顔を見せに行きなさい、ってことじゃないかなって」
「私は一月に一回は顔を出してる」
「……意外とマメだねお前」
「魔法学校に行った帰りに少し覗く、程度だが」
そう呟いて、ウィザードは指先で積もった雪を軽く掻いた。厚手の手袋に覆われていたが、その指先はとうに冷え切っている。
「お前は?」
「ん?」
「家には顔を出してるのか?」
「んーん」
投げやりな否定の声が、雪の向こうから聞こえる。
「あ、お前が一緒に来るなら帰っても良いよ?」
「何でだよ」
だってほら、とブラックスミスが言う。
「結婚するなら、一応親には顔見せしねえとな、とは思ってるし」
「……誰と、誰が?」
ブラックスミスの言わんとしていることに気付きつつも、ウィザードは低い声で問うた。
「俺とお前」
「アホ!」
少し離れたところで、どさりという音がした。ウィザードの大声で、木に積もっていた雪が落ちたのだろう。
嫌そうに顔をしかめながら、ウィザードが口を開いた。
「大体お前、私と結婚式なんか挙げて楽しいか?」
「楽しいかどうかは分からないけど、笑えるとは思う」
アホ、ともう一度ウィザードは怒鳴る。
冗談じゃない、誰がそんな笑い者になんかなるものか。大体どっちがウェディングドレスを着るというのだ。自分では絶対に着たくないし、かといって自分よりもよっぽど筋肉のついたブラックスミスになんぞ着せた日には――。
そんな事を考えて、いやそういう問題じゃないな、とようやくウィザードは我に返った。
「実際にやったら多分猛反対されるよな。やっべ、今日のお母さんお父さんよりそっちのほうがずっと恐いわ」
未だにブラックスミスはそんな話を続けている。
「もしマジに俺とお前が結婚することになって、両親なり周りなりに猛反対されたらさ、」
「だからそもそもその前提が……」
有り得ないだろう、と続けようとして、ウィザードがブラックスミスを見たときだ。
「駆け落ちしようぜ」
そう囁いたブラックスミスは、眩いまでの笑顔でウィザードを見つめていた。
馬鹿なことを、と鼻で笑って切り捨てることだって、ウィザードには出来たはずだ。
けれど、ブラックスミスの瞳を見た途端、ウィザードは言葉を失った。
澄んだ濃い色の目の中で、空よりも、雪よりも白く輝く、真摯な光を見た気がしたのだ。
言葉の代わりに吐き出された息が、とても白かった。白い息と、白い粉雪に紛れて、ブラックスミスの表情が見えない。鮮明な笑顔だけが、白い背景に焼きついている。
ウィザードが何事かを言おうと口を開いたとき、足元に光が見えた。
「うっわー、ゴメン!」
聞こえてきたのは女性の声。
ウィザードとブラックスミスが二人して見やれば、そこには参列者の一人であった、寒そうに体を震わせるプリーストの女性が現れていた。今の会話を聞かれていたのかと、ウィザードは内心焦っていたのだが、プリーストの表情にそれらしい色は見えない。どうやらテレポートで飛んできたところのようだ。
「寒い中ずっと転がしっぱなしだったね。今起こすから」
そう言ったプリーストが、真っ白な空に向かって祈りを捧げると、ウィザードとブラックスミスの体が順に温かい光に包まれた。
「助かった」
「サンキュー」
動けるだけの力を取り戻した二人は、それぞれ起き上がるとプリーストに礼を述べた。
「お母さんとお父さんには勝った?」
「とりあえずお母さんには。今お父さん捜索中なの」
見かけたら声かけてね、と残して、プリーストはテレポートで飛び去っていった。
静かな雪の街に二人して取り残されると、ブラックスミスは体についていた雪を振り払った。
「いやー、聞かれたかと思って焦ったわ」
「だったら最初からあんなアホな話をするな」
ブラックスミスに倣い、雪を振り払ったウィザードが言う。
「……今更、必要ないだろ」
聞こえるか聞こえないかといった小さな声で、ぽつりと、ウィザードが呟く。
ブラックスミスは不思議そうに瞬いた後、やがて嬉しそうに破顔した。



――だって、最初から駆け落ちのような、全力疾走の恋なのだから。





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