先輩



一人の男ウィザードが首都を駆けていく。
何故か人通りの多いところを通りながら。
しかし、人を探しているようでもない。わき目も振らず、彼は駆けていく。
そのまま町の門をくぐりぬけて、ようやく彼は立ち止まった。
「ここまで来れば……」
街を振り返りながらそう呟き、彼は目の辺りまで伸びた赤い髪をかき上げた。
しばらく人ごみを見つめ続けていたが、何もない事を確認したらしく、
元の方向を向いて歩き出した。
「あー、先輩、遅いじゃないですかっ!」
前方から聞こえた声に、彼は固まった。
声の主は、ボサボサの金髪のノービスである。
「何で貴様がここにいるっ!」
焦ったようにウィザードが叫ぶと、金髪の少年は得意げな表情を浮かべた。
「やだなー、魔法バカの先輩より、俺のほうが足が速いに決まってるじゃないっすか」
「吹き飛べ!」
遠慮ないウィザードの念力によって、ノービスは吹き飛ばされた。


無言で歩き続けるウィザードの後ろに、ノービスがついて行く。
「先輩ったら、遠慮ないなー」
呑気に呟くノービスの声にも、彼は振り返らなかった。
――どうにか振り切らんと……。
ウィザードが歩く速度を上げるのだが、ノービスもやはり、早足でついてくる。
軽く走れば、やはりノービスも走る。
周囲が珍獣でも見るような目で、二人の無言の追いかけっこを見ているのだが、ウィザードはそれにも気付かない。
ついには全力で走り出したが、ノービスはそれにも平気な顔をしてついてくる。
ウィザードが体力の限界に来て座り込んだところで、ようやく無言の追いかけっこは終わった。
「……っ、どこまで、ついて来るんだ」
息も絶え絶えなウィザードに、対照的に平気な顔をしたノービスが答える。
「そりゃもう、先輩の行く所どこまでも♪」
バカか貴様は!」
声を荒げて、ウィザードは咳き込んだ。
「もー、体力無いくせに走るからー」
ノービスがそう言いながら座り込み、彼の背中をさすった。
その手をウィザードは力なく振り払う。
ノービスは困ったような顔をして、自らの金髪を乱暴にかき上げた。
「ホント、意地っ張りなんだから」
反論したいのだが声の出せないウィザードに睨まれて、彼は軽く肩を竦めた。


ウィザードと背中あわせになるように、ノービスは座りなおした。
「あの時だって、先輩が意地張ってたから死にかけてたんじゃない」
独り言のような呟きに、息の整ったウィザードがこたえる。
「意地なんか張ってない。それに、私は貴様の先輩になった覚えも無い」
「えー、何で?」
「貴様の方が強いだろう」
呟く声に、悔しげな感情が宿っているのに気付いて、ノービスは笑いをかみ殺した。
彼らが出会ったのはそれほど前ではない。
魔物を仕留め損ねて窮地に陥っていたウィザードを、(世間では廃と呼ばれる)ノービスが助けたのだった。
大丈夫かと声をかけようとした彼が見たのは、赤い髪からのぞく、全てを拒絶するようなウィザードの瞳だった。
「てか、相手が強いって思うならば、赤ポ全部渡そうとしたりする?」
「またその話か」
ウィザードは溜息をついた。
助けられたあと、彼は礼を言って、持っていた赤ポーション全てを渡して去ろうとしたのだった。
「助けてもらったんだから、礼としては当然だろう」
「自分の方が体やばくても?」
「当然」
ためらいも無く言い切ったウィザードを振り返り、ノービスは彼の赤い髪を撫でた。
「先輩、やっぱり意地っ張りー」
当然のように、彼はウィザードに殴られた。


あの時、ノービスが引き止めなければ、彼はボロボロの体のまま去っていただろう。
どうしても、ウィザードは赤ポーションを受け取らなかった。
それが彼のその時の持ち物の中で、最も価値のあるもののようだった。
ポーション無しでは、どう考えても街に戻る前に死ぬ。
彼の様子から見て、代償も無しにワープポータルやヒールを頼む事も無いだろう。
結局ノービスがウィザードを無理矢理背負って街まで戻ったのだが、その間、彼は「降ろせ」以外の言葉は何ひとつとして話さなかった。
「あの時、俺は先輩に何かして欲しくて助けたんじゃないんですよ」
殴られた頭を押さえてノービスが呟いた。
「そんなのは分かっている。だが、私は納得行かない」
ウィザードはそう言い、赤い髪をかき上げた。
「助けられても感謝すらしない奴らというのは、どこにでも沢山いる。別に、助け合いが当然という考えに文句は言わない。けれど、自分ばかり楽しようとする奴には腹が立つんだ」
赤い髪からのぞく目に、怒りが見えた。


ノービスは軽く微笑んで、ウィザードの目を覗き込んだ。
「何だ?」
不思議そうな顔をして、ウィザードが聞いた。
「先輩って呼ぶ人は、自分より力がある人じゃなくって、自分が尊敬する人だと思うんですよ。」
満面の笑みで言うノービスに、ウィザードは首をかしげる。
「俺先輩より強いかもしれないけど、先輩より物知らないし。それに先輩みたいにはっきりした自分の考えもてないし。だから、俺ムチャクチャ先輩の事尊敬してるんですよ」
「尊敬してるならついてくるな」
「尊敬してるのと従うのは違いまーす」
ノービスの答えに、ウィザードはがっくりと頭を下げた。


確かに、彼はウィザードの生き方を尊敬していた。
しかし、同時に彼の生き方が心配であった。
ウィザードが言う通り、自分第一の人間がこの世には溢れている。
こんな世界では、真面目すぎる生き方が、自分自身を傷つける。
そして、いつか命を落とす原因になる。
――きっとこの人は、俺よりも長生きできないな。
初めて逢ったときに感じた印象は、日増しに強くなるばかりだ。
それだけは避けたかった。
ウィザードが、誰にもその思いを理解されずに、他人を拒絶する目のまま死ぬような事は、絶対に避けたかった。


「もういい。好きにしろ。けれど私はお前なんか気にせずに進んでいくからな」
顔を伏せたままウィザードが呟く。
「だから手助けもしなくていい、っていうんでしょ?」
「ああ。勿論私もお前の助けなんかしないぞ」
口では冷たい事を言っているが、きっと彼は、自分が危険な目に遭ったら命をかけてでも守ろうとするだろう。
例え彼のほうが弱っていようとも。
「元より承知です」
その考えを外に出さないようにして、ノービスは答えた。
「じゃあ、さっさとゲフェンまでいくぞ」
「はーい」
体力を回復したウィザードが立ち上がり、ゲフェンに向かって歩き始めた。
その後ろ姿を見ながら、ノービスは願った。

どうか、いつまでもこの背中を追い続けられますように。





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