理由なんて必要ない



窓際のカウンターで、オレンジジュースとサンドイッチの昼食を食べるアコライトの少女は、椅子が高すぎて床に着かない足をぶらぶらとさせていた。
「だってねえ、知ってるのよ」
アコライトがそう囁く相手は、隣でパスタを突付いている、一回りも年が離れていそうなバードの男だ。
「何を?」
問い返すバードに、ふふん、とアコライトは笑う。
「貴方はね、好きな人が欲しいだけなのよ。私じゃなくても良いの」
そう言ったアコライトが、隣に座るバードを見れば、彼は二、三回目を瞬いた後、悲しげな顔で目の上を手で覆った。
「ひどい、ひどいわっ、俺はこんなに君の事を愛しているのに、その思いを踏みにじろうなんて……」
「ふざけたって駄目よ」
泣き崩れるような仕草をするバードに、アコライトはぴしゃりと言い放った。
バードは動きを止めると、まぶたの上に乗せていた手を、少しだけずらした。
見つめてくるアコライトの表情が、真剣そのものである事を悟ると、バードはまぶたの上の手をどかして、軽く肩を竦めた。
「本当だって。俺は君の事が好きですよ?」
うん、とアコライトは頷く。
「それは知ってるわ」
安心したようにバードが笑う。
「なら……」
「でもね、貴方は好きな相手が私じゃなくても良いのよ。今が、たまたま私なの」
「たまたま?」
聞き返すバードに、そうよとアコライトは呟く。
「たまたま私が可愛くて良い子だったから、貴方は私を好きになることにしたのよ」
「自分で可愛くて良い子とか言っちゃうかねぇこの子は」
「だって本当だもの」
当然といった様子で言い切ったアコライトに、バードは苦笑した。
「まあ、否定はしないであげましょう」
「しない、じゃなくて出来ない、って言うのよ、こういう時は」
アコライトはオレンジジュースのストローに口を付けた。
それを横目で見ながら、バードはパスタを口に運ぶ。
もぐもぐと口を動かして中にあるものを飲み込んでから、でもさあ、とバードは呟く。
「好きになることにした、なんて考えて出来る事じゃないと思うよ」
頬張っていたサンドイッチを飲み込んで、アコライトはバードを見た。
「じゃあ、何で貴方は私を好きなの?」
バードはにっこりとアコライトに笑いかける。
「人を好きになるのに、理由なんて必要ないさ」
「バードにしては表現が月並み。十点満点中三点ね」
「……厳しいっすね」
がっくりと肩を落とすバードに、そうかしら、とアコライトは呟く。
「嘘の理由に高い得点なんか付けちゃ駄目だと思うわ」
涼しい顔をしてオレンジジュースを飲むアコライトを、バードはじっと見つめた。
「……じゃあ、さ」
パスタの皿を少し横にどかして、バードはカウンターに肘を付いた。
「君はその、本当の理由ってのは何だと思うのかな?」
「……そうね」
オレンジジュースに浮かぶ氷を、アコライトはストローでかき回した。
カランカランと響く音に耳を傾けながら、彼女は目を閉じる。
「手段、だと思うの」
「手段?」
驚くような顔で聞き返すバードを、アコライトは閉じていた目を開いて見つめる。
「貴方はねえ、好きな人がいないと困るから、好きな人を作るのよ」
「困る、ねぇ……」
ふんふんと、バードは頷く。
「まー確かに、恋の歌を歌うには恋人がいたほうが良いねぇ」
呟いた彼に、そうじゃないとアコライトは言う。
「そうじゃないの、貴方は好きな人がいないと、平気で遠くに行けちゃうから困るのよ」
すっと、バードの表情が凍りついた。
対して、アコライトは顔色一つ変えようとはしない。
「……遠くに?」
それだけを呟くのが、バードには精一杯だったようだ。
そうよ、とアコライトは答える。
「貴方はきっと、思いついたらその時にでも、遠いところまで行っちゃうんだわ。天気が良いとか、いつもと違う風が吹いてるとか、そんな理由で私達を置いて行っちゃうんだわ」
ふう、とアコライトの少女は、見た目にはそぐわないような、深い溜息を吐いた。
「でも本当は、遠くに行っちゃうのに、理由なんて必要ないのよ」
オレンジジュースに浮かぶ氷を、ツンツンとストローの先で突付きながら、アコライトはカウンターの上に手を投げ出す。
「何となくで出かけたまま、もう二度と帰ってこないかもしれない。貴方が好きだった人や、貴方を好きでいてくれた人がいたってお構いなしよ。貴方、自分勝手だもの」
「……そう、だね」
小さな声で、バードが呟いた。
アコライトはバードのほうを見ようとはせず、カウンターの上に投げ出していた腕を引っ込めた。
まだ残っていたサンドイッチに手を伸ばそうとして、結局、皿の上で指を止める。
「ねえ」
囁きに、バードがアコライトを見れば、彼女は皿の上にある指を見つめたまま呟いた。
「まだ、行かないわよね?」
自分を見ようとはしない少女を、バードは見つめた。
彼女の表情からは、何もうかがう事は出来なかった。
分からないのではない。
何もないのだ。
バードは僅かに目を伏せてから、にっと笑ってアコライトの頭を撫でてやった。
少し乱暴な手付きでわしゃわしゃと撫でてやると、アコライトの目に、一瞬だけ諦めるような色が浮かんだ。
しかし、彼女はすぐに何事もなかったような顔をして、ケラケラと笑い声を上げながらくすぐったそうに身を捩った。
姿相応に見える仕草が、けれどわざと見せているものだと知って、バードは罪悪感を覚えずにはいられなかった。
それでも、彼は笑った。
アコライトの笑い声につられるように、声を上げて笑った。

行かない、とは答えなかった。





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