花の指輪



聖堂の掃除が終わった後の自由時間。
彼女は今日も一人で裏の花壇の前に座っていた。
多くの聖職者達は、友人を連れて街に出かけたり、外で狩りをしてくる。
しかし、周りの子よりも遅れて修道院に入った彼女には、そんな友人は居なかった。
少し派手な紫の髪のせいもあってか、彼女はいつも一人だった。
孤児だった自分を拾ってくれた男アコライトも、この時間帯は魔物の教化で忙しい。手伝えればいいのだが、元々回りに気を配らない男の性格から考えると、自分ひとり行き倒れになるのがおちだろう。
かといって周りの子と仲良くやる会話法も分からない。
結局、やることも無く退屈で、今まではこの時間が早く過ぎてしまえば良いと思っていた。
けれど、今は違った。
「あの……掃除、終わりましたか?」
少し心配そうな声に、彼女は顔を上げる。
茶色い髪を後ろでひとつに束ね、小さなリボンをつけたマジシャンの少女が目の前に立っていた。
彼女が、誰よりも――自らを拾った青年よりも心を許せる相手だった。
少し近づきにくい感じの彼女にも、マジシャンは普通に接してくれた。
「うん、大丈夫」
彼女がそう答えて立ち上がると、マジシャンは安心したように微笑んだ。
この笑顔を、誰にも渡したくない。
彼女はそう強く願っていた。


町の中は、バレンタインに向けたプレゼントを売る商人で溢れていた。
「はぐれないように、手、つなごっか」
「はい」
冗談ぽく言ったアコライトに、マジシャンも笑顔で頷く。
武器を握りなれていないマジシャンの手は、手袋ごしでも暖かく、柔らかだった。
「かわいい手」
「そ、そんなことないですよ!」
慌ててマジシャンが首を振る。
そんな様子すら、彼女にはいとおしかった。
しかし、彼女は分かっていた。
マジシャンが、密かに憧れている男性がいる事を。
「ねえ、あの人には何かプレゼントするの?」
彼女の質問に、マジシャンは首をかしげる。
「ほら、いつも話してくれるアコライト。多分私の先輩だと思う」
ようやく理解したマジシャンが、あ、と声をあげた。
「えと、バレンタインの日は忙しいって言ってたから……」
沢山の人が自分にくれるからって、と付け加え、少女は溜息をついた。


マジシャン独特の服装からは考え付かないほど、目の前の少女は大人しかった。滅多な事では自分の考えを主張したりしない。
その分、表情は素直だった。
彼女がその男の話をするときの表情は、とても優しく、幸せそうだった。
自分が一度もしたことのない表情を、彼女は普通にやって見せる。
こんな顔が出来れば、きっと自分も、多くの人間と仲良くなれるのだろう。
そんな彼女を見るたび、アコライトも幸せになり、同時につらくなる。
本当は、自分の話をするときに、そんな顔をして欲しいのに。
「じゃあ、私が渡してあげるよ」
そんな本心を隠して、彼女がそう言った。
マジシャンは一瞬嬉しそうな顔になり、すぐに心配そうな顔になった。
「でも、迷惑になりませんか?」
アコライトは首を横に振った。
「その人、私を拾ってくれた人と、大体同じ頃にアコライトになったんだと思う。多分、あの人に聞けば分かると思うから」
それでも心配そうな顔をするマジシャンに、彼女はこう付け加えた。
「私はあなたの友達だから、あなたの手伝いがしたい」
言った瞬間、胸が痛んだ。


ようやく納得したマジシャンを連れ、彼女は露店を覗いた。
「何が良いかな……」
キョロキョロと辺りを見回すマジシャンに、アコライトは笑いをかみ殺した。
普段真面目で大人びている分、そんな仕草が余計に似合った。
ひとつの店の前で立ち止まり、じっと商品を見つめる。
マジシャンが商人と話し出したのを見て、アコライトは別の店を覗いてみた。
小さな指輪が、目に留まった。
金属で出来た、婚約指輪のようなものではない。花の飾りがついた、木製の、可愛らしい指輪だ。値段も手ごろで、彼女の少ない所持金でも、充分おつりがくる。
「お嬢さん、バレンタインの贈り物?」
長い髪を無造作に束ねた男が、そう聞いてきた。どうやらこの店の主らしい。
「いいかい、男ってのはこういう可愛らしいのに結構弱いんだよ。下手に高いものより大切にするって」
そう言って彼は花の指輪を手にとった。
別に、彼女は男に指輪をやるつもりはなかった。
自分を拾ってくれた青年にならば、もっとしっかりしたものを渡すべきだろう。大体、彼の指には、この指輪は小さすぎる。
もっと細くて、綺麗な指に、この指輪は似合う。
渡す相手は、ただ一人。マジシャンの少女しか思いつかなかった。
「そうだな……お嬢さんにだったら、このぐらいの値段にしちゃうかな?」
彼女の考えにも気付かず、商人が値段を示す。先程の値段から、二割ほど引かれていた。
「あ、買います」
「ども♪」
商人は楽しそうに鼻歌を歌いながら、花の指輪を包み始めた。


指輪を受け取り、彼女はマジシャンの元へと急いだ。
どうやら相手もちょうど買い物が終わったらしく、彼女を見つけると駆け寄ってきた。
「何買ったの?」
「帽子です。この間ダメにしたって言ってたんで」
そう言うと、彼女は腕に抱えた包みを示した。
「じゃあそれ、私が預かる?」
アコライトがそう聞くと、彼女は首を横に振った。
「お礼のお手紙もつけたいんで、今度会うときにお願いしたいんですけど……」
「うん、いいよ」
アコライトがそう答えて微笑んだ。
どうもマジシャンは、自分の感情が恋心だという事に気付いていないようだった。
このまま気付かないでくれればいいと、彼女は思った。
「あの、あなたも何か買ったんですか?」
「うん」
彼女はそう答えると、包みを開いて、花の指輪を見せた。
「うわぁ、可愛い……。それ、あの人に渡すんですか?」
「ううん、手袋外して」
彼女の言葉に、マジシャンが驚いた顔になる。
「……え、私ですか?」
「うん」
マジシャンは慌てて首を振った。
「でも、そんな、私なんかが貰って……」
「こんなんじゃいらない?」
彼女がそう聞くと、マジシャンは更に激しく首を振った。
「そんなこと全然ないです!」
「じゃあ、貰って」
マジシャンは少しためらった後、笑顔で大きく頷いた。


マジシャンの手は、アコライトが思っていた以上に綺麗だった。
「すごいすべすべ」
自らも手袋を外し、優しくマジシャンの手を掴んで、彼女が呟く。
マジシャンは恥ずかしそうに笑うだけだった。
マジシャンの右手と左手を少し見比べた後、彼女は右手から手を離した。
そして、左手の薬指に花の指輪をはめた。
「何か、結婚指輪みたいですね」
そう呟いたマジシャンに、彼女は悪戯っぽく微笑んだ。
「悪い男に捕まらない為のお守り」
マジシャンも笑った。
彼女が、本当に好きな男と一緒になるまでは、誰にも渡したくなかった。
出来る事なら、いつまでもこの指輪だけをはめていてもらいたかった。
「ありがとうございます」
マジシャンがそう言って、小さくお辞儀をした。
「今度会うときには、私も花の指輪をもってきますね」
「別に良いよ」
「ダメですよ」
断ろうとしたアコライトに、彼女ははっきりと言い切った。
「結婚指輪は交換するものなんですから」


思わぬ言葉に、アコライトが言葉を失う。
「あ、ごめんなさい、何か変な事言ったみたいで……」
落ち込んだ様子になるマジシャンに、彼女は慌てて口を開いた。
「ううん、違うの。嬉しかっただけだから」
本当に、彼女は嬉しかった。
マジシャンは指輪というものにお返しをするのではなく、自分の気持ちに答えようとしてくれているのだ。
きっと自分は、その指輪を一生もち続けるだろうと思った。
男性に対して、マジシャンに感じるような幸せな気持ちは持てなかった。かといって、他の女でも無理に決まっている。
例えマジシャンが結婚して、自分より大切な人間と幸せに暮らす事になって、その左手の薬指に、自分の渡した花の指輪よりもっと綺麗な結婚指輪をはめても、自分は彼女を誰よりも大切に思い続けるのだろう。
彼女がくれた「結婚指輪」を、左手の薬指にはめて。
「良かった……」
ほっとした表情になって、マジシャンが呟いた。
「じゃあ、期待してるから」
「はい!」
そう言うと、二人は顔を見合わせて声をあげて笑った。
「お腹空いたし、何かおやつ買いに行こう」
「そうですね」
アコライトはもう一度マジシャンと手を繋ぎなおして歩き出した。
手袋を外し、花の指輪をはめたマジシャンの左手は、さっきよりも暖かく、柔らかだった。





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