今は、おやすみ



温かい湯気、人々の話し声、そして食欲を誘う良い匂い。
夕日の沈んだプロンテラには、あちこちでの狩りを終えた冒険者達が、腹を空かせて帰ってくる。そういった冒険者相手に商売を営む食堂は、今が一番の稼ぎ時だった。
プリーストが選んだ宿の食堂も、それは変わらない。席のほとんどは既に埋まっていて、そこにいる人間の大体は冒険者である。カチャカチャとフォークやナイフが皿にぶつかって音を立て、今日の出来事や収穫、珍しい魔物のことなどを話の種に盛り上がっている机の間を、何人かの給仕が忙しげに歩き回っている。
喧しいぐらいに賑やかで、けれど決して不快ではない空気が、食堂を包み込んでいる。
だが、プリーストが座る席だけは、少し違っていた。
他の机から取り残されるような静けさ。それが、彼の机の周りを包み込んでいる。
食べ終えた肉料理の皿の上にそっとフォークを置いて、プリーストは水を入れたグラスに口をつける。ごくりと一口飲んでから、彼は自らの席の向かいに目を向けた。
露のついた水のグラス、食べかけのパンと、まだ幾らか料理が残っている大皿。その向こうに、剣士の男が座っていた。普段は剣を握っているだろう手には、今はプリーストが持っていたのと同じ、銀色のフォークが握られている。
プリーストは視線を上げる。
俯きがちの剣士の表情は、プリーストの位置からはよく分からなかった。だが、その頭が、少し不安定にゆらゆらと揺れているのだけは、プリーストからも見ることが出来た。
どう見ても、眠っている。
プリーストの口元が、可笑しさをこらえるように歪んだ。
「寝るか食べるか、どっちかにしなさいよ」
からかうような声色で彼が囁くと、俯いていた剣士の顔がぱっと跳ね上がった。
「……食べるよ」
今の今まで眠っていた、というのが明らかな、ぼんやりとした目をごしごしと擦って、剣士はフォークを握り直した。
残っていた香草焼きの大きな欠片にフォークを刺し、口に運ぶ。そのままもぐもぐと咀嚼するのだが、その動きが、段々と遅くなっていく。辛うじて真っ直ぐに立っていた頭が、またゆらゆらと揺れ始める。
プリーストが見守る前で、剣士はまた夢の世界へと旅立っていく。
眠りに誘われた剣士の手から、握りしめていたフォークが滑り落ちる。
カチャンという、小さいけれど高い音に、剣士は再び、跳ねるように顔を上げる。
飛び起きた、としか言いようのない表情をした剣士の視線と、苦笑を浮かべたプリーストの視線が、見事にテーブルの上でぶつかった。
「寝たほうが良いんじゃないか?」
気まずそうに視線を逸らした剣士の前で、プリーストは机の上に肘をついた。
「いくら騎士転職が間近だからって、飯もロクに食べられないほど、疲れて帰ってくる奴があるか」
あと少し修行を積めば、彼は騎士への叙任を、剣士ギルドから認められるようになる。そのため、最近の剣士は朝早くから日が沈むまで、ずっと狩りに出かけている。そうして帰ってくる頃には、へとへとに疲れきっていて、今みたいに食事中に眠ってしまうこともしばし見られた。
「ここ一番ってとこで、体壊したらどうするんだ?」
そう諫めてやれば、だって、と剣士が視線を戻す。
「早く転職したいんだよ」
「じゃあ明日は俺も一緒に行くから」
プリーストの言葉に、しかし剣士は首を横に振る。
「いい、一人でやる」
「強情な奴」
呆れた様子で、プリーストは笑った。
「折角俺がプリーストになったんだ、ちょっとぐらい支援の実験台になれよ」
 三週間ほど前にプリーストの地位に就いたばかりの彼は、もうすぐ騎士になれるはずの剣士に向かってそう言ってみせる。
その本心にある、剣士の手伝いをしたいという気持ちに、剣士が気づいていないとは思えない。けれど、剣士はやはり首を横に振った。
「騎士になるまでは組まないって決めたんだ」
最後の香草焼きに、剣士はフォークを突き立てた。
「迷惑、かけたくないし」
またそれか、と胸中で呟き、プリーストはグラスに残っていた水を飲み干した。プリーストがアコライトから転職してから、ここ最近、何度も繰り返されたやりとりだ。
「迷惑だなんて思ったことないって……あーほら、起きろー」
再び船を漕ぎだした剣士に、プリーストはそう声をかけた。
今度は跳ね起きなかった剣士は、香草焼きの刺さったフォークを握りしめたまま、反対の手で目を擦った。
「……嫌だよ」
 眠そうな声が、剣士の口から零れ落ちる。
「何が?」
プリーストが聞き返す。香草焼きを口に運び、充分に咀嚼して飲み込んでから、剣士はようやく言葉を発する。
「周りに、お前が俺の保護者、みたいに見られそうじゃんか」
返す声は、既に半ば以上夢の中である。それでも、剣士は口を閉じようとはしない。
「そんなこと気にしてんのか」
「するよ」
適当に流そうとしたプリーストの言葉に、意外にもはっきりとした返事が戻ってくる。
グラスを戻したプリーストが、剣士を見やる。水のなくなったグラスの中で、カラン、と氷が涼しげな音を立てて転がった。
フォークを皿の上に置いて、剣士が顔を上げた。眠そうにしか見えなかった顔に、一瞬だけ真摯な表情が浮かんでいたのは、プリーストの見た幻か。
「俺、格好良くなりたいもん」
その言葉に、プリーストがはっとしたように目を見開いた。
しかし、剣士の頭は、すぐに眠たげに下を向いてしまう。どんな表情をしているのか、プリーストから見ることは出来なかった。
ゆらりゆらりと頭を揺らしながら、剣士はパンへと手を伸ばした。しかし、その手が皿の縁に触れた時点で、彼はもう深い眠りの中だった。
驚いた表情のままだったプリーストは、剣士が完全に眠ってしまったのを悟ると、グラスの中の氷が溶けるように、ゆっくりと口元に笑みを浮かべた。
「……大丈夫だっての」
眠っている剣士の髪に、そっと手を伸ばす。さらりとした感触が、プリーストの指の上を撫でる。
「お前は充分、格好良いよ」
意地っ張りだし、思いこんだら一直線だし、プリーストの心配なんて全く気付いていないみたいだけれど。
「格好良い、俺の相方だよ」
剣士を起こさないように呟いて、彼は椅子から立ち上がった。
近くにいた給仕に声をかけ、残ったパンを詰めるための紙袋を用意してもらう。袋に詰めたパンを片手に持ちながら、眠っている剣士を、プリーストはよいしょと背負った。
肩から回した剣士の腕は、ギルドから支給される制服である皮の小手に覆われていた。この装束を見るのもあと少しだと思うと、プリーストは少しだけ寂しいような気持ちになった。
それでも、愛しい相方の騎士姿を見たいという気持ちの方が、ずっとずっと強くて。
「転職したら、今までの分、しっかり格好良いところ見せてもらうからな」
 背中の剣士にだけ聞こえるように、プリーストは密やかな声で囁きかけた。
「今は、おやすみ」
小さく背中を揺らすようにして、プリーストは剣士を背負いなおした。
眠っている剣士が、嬉しそうに笑ったような気がした。





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