人間の形の女の子



青い空に、雲が流れていく。
丈の短い草原に寝そべり、その男プリーストは空を見上げていた。
爽やかな景色と裏腹に、彼の心は沈んでいた。
「はあ」
「それ、何回目の溜息?」
彼の横に座っていた男ハンターが、退屈そうな顔でそう聞いた。しかし、一人落ち込んでいるプリーストには届かなかった。
彼の脳裏に浮かぶのは、一人の女剣士。
プリーストよりもいくらか年下の彼女は、彼を慕い、出かけるときにはよく後をついてきていた。女の子に追われるのは悪い気もしなく、彼も剣士を実の妹のように、いや、それ以上に可愛がった。
いつのまにか、彼女は彼にとって、誰よりも大切な恋人となっていた。
その少女が、先日からずっと機嫌が悪いのだ。
「何でだろう……」
ポツリと漏らした呟きに、今度はハンターが溜息をついた。
「そりゃ、毎日ペットばかり可愛がっていればねぇ……」
そう言って、彼はプリーストの横に座る小さな影を見た。
人間の子供そのものの顔をしたムナックが、やはり人間の子供そのものの仕草で帽子をいじっている。
「他のペットなら、まだ良かったのにね」
「仕方ないだろ!」
プリーストは勢い良く起き上がると、横に座るムナックを抱きしめた。
それに反応して、ムナックも嬉しそうにプリーストに抱きつく。
「ああ……見ろよ、こんなに可愛いんだぞ!」
ねー、とプリーストがムナックに声をかけて首を傾けると、分かっているのかいないのか、ムナックもニコニコとして同じ方向に首を傾ける。
その様子に、またプリーストの表情が緩む。
「そんな様子じゃ、彼女にも逃げられるに決まってるね」
軽く鼻で笑い、ハンターが呟いた。
「逃げられてないもーん……ちょっと機嫌が悪いだけだもーん……」
そう言いはするが、彼の言葉には力が無かった。


プリーストはいじけるように背を丸め込み、手頃な枝で地面に落書きを始めた。
「人間の女の子って難しいんだから」
それに比べて、と彼はムナックの顔を見る。
ハンターが馬鹿馬鹿しい、といった表情で首を横に振った。
「お前、ペット溺愛しすぎ」
彼が呟くと、プリーストはムッとした表情で彼を見た。
「お前、さっきからこの子の事ペットペットって軽く言ってるけどなぁ、俺にとっては唯一無二の存在なんだぞ」
そういうと、彼はぽい、と手に持った枝を投げ捨てた。
その枝をムナックが走って拾い、地面をほじくり始めた。
泥が彼女の少し長めの袖を汚す。
「あー、そんな事したらばっちいでしょ」
プリーストが慌ててムナックに走り寄り、手から枝を取って立ち上がらせると、袖を折って上げてやった。
その手首に、小さな腕飾りがついているのをハンターは見た。
「それもお前が買ってやったの?」
ハンターがそう言って目で示すと、プリーストは軽く頷いた。
「そ。人間用だけどサイズがぴったりだし。すごい喜んでくれたんだ」
そう答えている間に、ムナックは腕飾りを外し、ポケットの中にしまった。
「あ、汚さないようにしたの?」
プリーストの問いかけに、彼女はニコニコと笑って頷いた。
「うーん、本当にいい子だねー」
ムナック以外何も見えていないとしか思えないプリーストの様子に、ハンターは呆れたような表情をして呟いた。
「ロリコン」
「違う!」
思わずプリーストが大声を上げると、ムナックが驚いて小さく体を震わせた。
「あ、ごめんねっ」
プリーストはそう言うと、ムナックに笑いかけ、先程取り上げた枝を彼女に渡した。
ムナックは彼の様子がいつもと同じである事を確かめるように、しばらく真っ直ぐに見つめていたが、やがて安心したような表情になり、また座り込んで落書きを始めた。
その様子に、プリーストも安心して腰をおろす。
「これじゃあ、あの子じゃなくても愛想尽かすね」
ハンターの言葉に、プリーストが凍りついた。


彼は立ち上がって大きく伸びをした。
「折角出来た彼女、しかも人間の女の子放ってまでペット可愛がるなんて、人間としてどうかしてるんじゃない?」
「お前、そこまで言う……?」
かなり落ち込んだ表情で、プリーストはハンターを見上げた。
「大体、お前は人の気持ちを考えたりしないわけ? 普通目の前で他の女の子とばかり遊んでたら、相手の機嫌が悪くなることぐらい分かるでしょ」
「……いや、でも可愛いじゃん?」
「その態度が良くない!」
ハンターはプリーストの目の前に指を突きつけた。
「どうせ彼女の前でもそんな事言ってるんでしょ。たまには彼女の意見とか希望とか聞いてあげるべきだね。ていうかね、彼氏ならば相手の事気遣って当然じゃない」
彼が指を戻すのと同時に、プリーストが頭を抱えた。どうやら反論する言葉もないらしい。
ムナックは飼い主の様子にも気付かず、一心不乱に地面を掘り続ける。
「全く……よく今までこんな奴に、あの子がついてきたもんだ」
ハンターが溜息混じりに呟くと、プリーストが顔を上げてにらみつけた。
「そう言うお前なんか、彼女すらいないじゃん」
おや、という表情で、ハンターが彼を見た。
プリーストは軽く裾を払って立ち上がった。
「お前、ずげずげと言いたい事ばかり言うじゃんか。もうちょっと、こう……何かないの? そんなんだから、いつまで経っても彼女が出来ないんだよ。うんそうだ、そうに違いない」
ようやく見つけた反撃の言葉に、彼はうんうんと一人頷く。
ハンターは少し首を傾げて考え込むと、やがて口を開いた。
「確かに彼女はいないけど……似たようななものなら……」
「え、マジ、ちょっと初耳なんですけど!?」
意外な発言に、プリ―ストが大声をあげる。
「でも彼女はいないって……」
そう呟いた後、彼は全ての動きを止めた。
「……まさか、男?」
「違うよ」
残念ながらそっちの趣味は無い、という言葉に、プリーストの表情が和らいだ。
「びびった……でも、彼女じゃないって……?」
「ああ……」
ハンターは小さな声で呟くと、遠い空を見上げた。


つられたようにプリーストも空を見上げ、あ、と声をあげた。
「もしかして、死んだのか……?」
悪い事をした、というような表情で言ったプリーストに、ハンターは首を横に振った。
彼は何も言わずに、左手を自らの口に当てた。
そして、高く口笛を鳴らした。
澄んだ響きが、長く長く辺りの空気を揺らす。彼が口笛を止めても、その余韻は残り続けた。
口笛の音がとうとう消えると、彼は空の一点を真っ直ぐに見つめ、ふっと優しい表情を浮かべた。
「ほら、来た」
「……って、まさか!?」
プリーストが空の彼方を見つめる。しかし、彼の目には何も映らない。
じっと目を凝らしていると、ようやく黒っぽい点のようなものが見えた。
それはゆっくりと大きくなり、はばたく鳥の形になった。
「お前、あの、あれが……?」
焦ってハンターを振り返り、彼はこちらに向かって来る鷹を指差した。
「人の愛しい相棒を、あれとは失礼な」
「いやだって鳥じゃん!」
そう叫ぶ彼の後頭部を、何かが通り過ぎた。
ハンターの愛しい相棒が、大きな翼を広げて、彼らの周りを飛んでいた。
「お帰り、お疲れ様」
ハンターは優しい声でそう囁き、右腕をかるく上げた。慣れた様子で鷹が腕に止まり、プリーストの方をじっと見つめた。
呆気に取られていたプリーストは、大きく頭を振ると、ハンターの方に向き直った。
「お前、それ俺よりまずいじゃんか!」
「何で?」
ハンターは不思議そうな顔をして、腕に止まる鷹を見つめた。
「こんなに綺麗なのに」
「綺麗だけど、それ人間の形すらしてないじゃない!」
プリーストの言葉を、ハンターは軽く鼻で笑う。
「仕方ないね、俺より綺麗な人間なんてまずいないし。それに、鷹は人間と違って俺を裏切らないよ」
そう言うと、彼は愛しげに相棒の翼に触れた。鷹もハンターの方を向き、小さく鳴き声をあげた。
プリーストはしばらく口を開けたままぼんやりと彼らを見つめていたが、やがて大きく溜息をついた。
「やっぱり俺、人間の女の子がいい……」
「じゃあ、あの子にそう言っておいで」
その時はムナックは置いて行くんだよ、という言葉に、プリーストは力なく頷いた。
ムナックは相変わらず無邪気に地面を掘り返していた。





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