熱が走る



体が熱い。
まだ昼間だというのに、ウィザードは寝台の上、うつ伏せに寝転がっていた。
白いシーツの上、赤い髪が広がっている。
衣服は国家から支給されたウィザードの制服のまま。ケープとマント、手袋こそ脱ぎ捨てたが、この格好では、寝心地はあまり良くない。それは分かっていたが、体に溜まった熱のせいで着替える気も起きなかった。
息を吐けば、それもやはり熱かった。
風邪ではないことは分かっている。
具合が悪い時の発熱なら、もっとだるさと不快感を伴うものだ。そういった類の症状は何も出ていない。
代わりに、熱くなった体に違和感を覚える。
真っ白なシーツの上、ウィザードはゆっくりと腕を動かした。
擦れるだけの振動さえ、今の体にはうっとうしい。
剥き出しの腕の上に、何かが触れた。
触れた箇所から、じくじくと熱が広がってくるような気がして、ウィザードは顔を上げた。
金髪をしたノービスの少年が、ウィザードを見つめている。
「先輩、大丈夫ですか?」
ウィザードの腕を撫でながら呟かれた言葉は、彼を気遣っているようだった。
けれど、その顔はニヤニヤと笑っていて、どうみても今のウィザードの容態を面白がっているとしか思えなかった。
「……離れろ」
ウィザードの声は、弱々しいものであった。少し声を出すだけで、腕の辺りの熱が増すような気がした。
「意地っ張りだなあ」
からかうような声で、ノービスが呟いた。
ウィザードの腕に触れている手は、離れる事はなかった。それどころか、指先で腕を這い上がってきた。
新たに触れられた箇所から、更に熱が生み出されるようで、ウィザードは低い呻き声をあげた。
「そんな声出されるとドキドキしちゃうんですけど」
「……馬鹿か貴様は」
ウィザードは顔を背けた。
しかしノービスは気にする事もなく、喉の奥で小さく笑って、ウィザードの横たわる寝台へと近付く。
「辛いんでしょ?」
何の反応も返さないウィザードに、ノービスは構いもせず、耳元へと口を寄せる。
「楽にしてあげますよ」
鼓膜の震えが、背筋までぞわりと揺らした。
体の中にくすぶっていた熱が、皮膚を突き破って、溢れ出すような気がした。
「離れろ!」
無理矢理に腕を振り、ノービスの手を払いのける。
途端、酷くなった熱と違和感に、たまらずウィザードの腕はシーツの海に落ちる。
小さな音を立てて、シーツの上にしわが出来る。
はあ、と熱のこもった息が、口から漏れた。
振り払われたノービスは、顔をしかめる事もなく、笑い声を上げた。
睨み付けたウィザードに、すみません、と口先だけでノービスは謝った。
「本運んだぐらいで、そんなに酷い筋肉痛になるんですね」
呆れているというよりは、感心しているような声で言うノービスに、ウィザードはうるさいと呟いた。
普段からウィザードが世話になっている、プロンテラの王立図書館。そこの蔵書点検を、ウィザードとノービス、二人して手伝ったのは昨日の話である。
働いた量としては、二人にほとんど差はないだろう。が、前線での戦いに慣れているノービスと、基本は杖と盾しか持たないウィザードでは、体のでき方がまるで違う。
結果として一日後、ウィザードは熱を持つほどの筋肉痛になり、ノービスは全くぴんぴんしているという状態になった。
「こうなるっての、ある程度予想はついてたんじゃないっすか?」
頭良いんだから、というのは皮肉なのかどうなのか、気にはなったが無視することにした。
熱を持った、鈍く痛む体をずるずると動かして、ウィザードはノービスに体ごと背を向ける。腕を体の下にしてしまうと、余計に痛むので、少々不自然ながらも投げ出した。
「つーか、俺も何となく予想してたんですけどね。だから重いのは俺が運ぶって言ったんですけど」
「うるさい黙れ」
背中を向けたまま、ウィザードは呟く。
自分よりもノービスのほうが、重い荷物を運びなれているなんて当然分かっていた。
分かっていたが、だからといって本程度の重さのものを、人に運ばせなくてはいけないほど非力ではない。大体、ゲフェンの魔法学校に通っていた頃や、今でも調べ物をする時などは、分厚い魔道書を三、四冊抱えているのだ。
が、どれほど言い訳をしても、結果としてはこの有様である。情けないことこの上ない。
寝台の上、もぞもぞと身動きをしながら、ウィザードは窓辺に近寄る。
錠を外し、滑りの悪い窓を開く。それだけの動きでも、熱を持った腕の痛みは更に増した。
くたびれた様子で、ウィザードは目を閉じた。
開いた窓からは、柔らかい風しか吹いてこなかったが、それでも剥き出しになった腕には心地良かった。
どうせ今日一日はろくに動けないだろう。下手に狩りにでも出て、酷い怪我でも負ったら、それこそ目も当てられない。大人しく眠ってしまおうとウィザードは思った。
が、閉じた瞼の向こうで、何かが眩しく光ったような気がして、ウィザードは薄く目を開いた。
腕に、ひんやりとした感覚が伝わる。
驚いてしっかりと目を開けば、腕の上に見えたのはガラスの瓶。
しかも、甘い香りのするリンゴジュースでたっぷりと満たされているではないか。
視線を上へとずらしていけば、ノービスの滑らかな手が見える。
更に上には、極上の笑顔を浮かべたノービス。
「気持ち良いでしょ?」
結露したガラス瓶から、水滴がポタリとウィザードの腕に落ちる。
「……ああ」
何を言うべきなのか分からず、ウィザードはともかく正直に答えた。
「ほら、自分で持って」
言われるままに、ウィザードはリンゴジュースの瓶を手にとった。
腕から離すべきか迷ったが、ひんやりとした心地良さに、それ以上手を動かそうとは思えなくなった。
「今タオル冷やしてくるから、それ飲んで待ってて下さいね」
「おい!」
言い残して離れていくノービスを、ウィザードは慌てて呼び止める。
勢い良く振り向いたら、筋肉痛の全身がぎしぎしと痛んで、ウィザードは思わず情けない声を上げてしまった。
「せ、先輩マジで大丈夫ですか?」
「平気、だから……別に、そこまでしなくても」
「いや全然平気に見えないし……ってか、楽なほうが良いじゃないっすか」
それとも、とノービスは尋ねる。
「リンゴジュース嫌いですか?」
「そうじゃないが」
「なら待ってて下さいね」
そう言って、ノービスは自分の荷物の中からタオルを取り出した。
「……先輩の為、つうよりも自分の為ですから」
ぼそりと囁いたノービスの言葉に、ウィザードは目を細めた。
「そんなに私はうっとうしかったか?」
「ああいや、そうじゃないんですけど」
ノービスが頭を掻いて答える。
「まあ、色々と」
まだ聞き足りないという顔をするウィザードから目を逸らし、ノービスは洗面所へと向かっていった。
残されたウィザードは、少々疑問には思いつつも、ノービスから渡されたリンゴジュースに口を付けた。
甘味と僅かな酸味が、熱く痛む体に染み渡るようだった。
ノービスの目が、体の熱よりも更に熱い色をしていた事には、ウィザードは気付いていなかった。





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