珍しいこと



黄土色の煙が、空へと舞い上がる。
長椅子に寝転がったまま、ガンスリンガーは窓の外を見上げていた。
傍の机でカチカチと音を立てている時計は、昼を少し過ぎたぐらいの時間を指している。けれど、煙に覆われたアインブロックの空は、まるで夕暮れ時のような暗さとなっていた。
ガンスリンガーが身動きする度、ギシギシと耳障りな音を立てる長椅子は、この家の前の持ち主が置いていったものだ。長年、アインブロックの工場で技師として働いていた家主は、空を埋め尽くすあの煙にやられて体を壊したそうだ。このアインブロックの家をガンスリンガーに譲った後、アインベフへと移り住んだらしい。その先、彼がどうなったかなんて、新たな住人であるガンスリンガーにはどうでも良いことでしかなかった。
結構良い町なのにな、と思いながら、ガンスリンガーは寝返りを打つ。ギシリと一際大きく音を立てた長椅子を、労るように撫でてやる。柔らかい金髪が、ふわりと揺れた。
アインブロックの町の中央には、ガンスリンガーギルドが存在する。この辺りでは唯一の、銃と弾丸を手に入れられる場所だ。面倒臭がりの彼にしてみれば、例えどんなに空気が良くても、遠くの町に住んで、必要な時にわざわざここまでやってくるよりは、いつでも出向いていける場所に住んでいる方がずっと良かった。もっとも、本当に面倒臭がりなので、最近は銃が動かなくなるか、弾丸が尽きるまでは顔すら出さなくなったのだが。
面倒臭がりついでに、今日はまだ朝食すら食べていなかったことを、ガンスリンガーは思い出す。作り置きしておいたスープは、確か昨日の夜全部飲んでしまった。何か作ろうにも、冷蔵庫の中には飲料水が一本立っているだけだ。食材を買うには、まずはここ最近の狩りで得た物品を売り払わないとならない。どこかに積み上げておいた気がするけど、さてどこにあったっけ。
駄目だ、考えただけで面倒になる。
柔らかい金髪の間に指を入れて、ガンスリンガーは大あくびした。
いっそ弾丸が食べられれば良いのに、と彼はは床に転がしてあったバレットケースに目を向けた。どう見たって美味しそうには思えなくて、少しだけ笑えた。
まあ良いや。一日ぐらい何も食べなくたって、人間死んだりしない。自らの経験から、ガンスリンガーはそう結論づける。
正直に言えば、別に死んだって構わないのだ。今の生活は結構楽しいけれど、未練があるようなものでもない。死んでも構わないとでも思っていなければ、こんな煙も騒音も酷いような町には住まないだろう。この環境が体に悪いことぐらい、ガンスリンガーだって知っている。ああでも、前に住んでいた技師みたいに、咳が止まらなくなったりするのは嫌だな。痛いのも苦しいのも、出来るだけ遠慮しておきたい。
下らない考え事で空腹を紛らわしていたガンスリンガーが、もう一度大あくびをした時だった。
ガタンと音を立てて、立て付けの悪い玄関口が大きく開かれた。
ぼんやりとした様子で、ガンスリンガーは玄関へと目を向ける。
黄土色に煙る町の中に、小さな人影ひとつ。
「おっひさー」
町の暗さと裏腹な、底抜けに明るい声。ゴロゴロと音を立ててカートを引きながら入ってきたのは、商人姿の少女である。ただし、ガスマスクを被っているため、素顔は分からなかったが。
開けたときと同じように、大きな音を立てて扉が閉められる。いい加減直してよね、などとぶつぶつ呟きながら、商人は長椅子に寝ころぶガンスリンガーの傍までやってきた。
何のためらいもなく、一人暮らしの男の家に入ってくる、ガスマスク姿の少女。異様な光景にしか思えないのだが、ガンスリンガーは全く驚かない。むしろ、慣れた様子で彼女を見守っている。
部屋の中をきょろきょろと見回した後、商人は呆れかえった様子で腕を組んだ。
「もー、また部屋散らかしてる」
そう言って、ガスマスクを外せば、至って普通のどこにでもいる少女の姿にしか見えない。大げさに溜息を吐いてみせれば、前に垂らした二本のおさげが上下に揺れた。
「しかも今日もご飯食べてないでしょ。そのうち本当に飢え死ぬよ」
飢え死にしても良いと思った、とは流石にガンスリンガーも言わなかった。のろのろと起きあがって、商人に笑いかける。
「そろそろ食べようと思ってたとこだよ」
「どーだか」
カートを長椅子の傍に放り出して、商人は物置にされた机に手を伸ばす。手に取ったものをちらりと一別し、売れるものか売れないものかを判断して、床の上へと積み上げていく。
すぐ傍に置かれたカートに、ガンスリンガーは目を向けた。パンや肉、野菜がみっしりと積まれたカートの一番上には、太陽そのもののような色をした果物が乗っている。
「あ、食べる前にシャワー浴びてきなさい」
果物に手を伸ばそうとしたガンスリンガーを見て、商人が言う。
「その格好だと、昨日も帰ってきてからそのまま寝たでしょ。それも、そのソファーで」
全く持って、お見通しである。埃まみれ、しわだらけのロングコートを着たままで、ガンスリンガーは参ったというように肩を竦めた。
備え付けのクローゼットからタオルと下着を取り出し――流石にこれは自分で洗濯した――、ガンスリンガーは浴室へと向かった。
ノズルをひねれば、すぐに熱い湯が出てくる。蒸気機関の賜物だ。こんなところもアインブロックの良いところである。頭からシャワーを浴びていると、浴室の外からぱたぱたと小走りの足音が聞こえた。机の上を片付け終えた商人は、今度は部屋の掃除を始めたのだろう。
浴室から出れば、ガンスリンガーが先程まで着ていたものは全て片付けられていて、洗濯してあったコートとズボンが置かれていた。
「マメだよねえ」
綺麗な衣装に袖を通したガンスリンガーが、髪を拭きながら部屋へと戻る。
腕の中に、大量のがらくたを抱えた商人が、ふふんと笑った。年頃の少女にしては、少し含みのあるような笑みだ。
「マメな作業が、大商人になるための一番の近道なんだから」
後で捨てといてね、と商人は部屋の片隅にがらくたを放り出す。
綺麗に片付いた机の上に、彼女はカートに積んできた食品を並べていった。一緒に、一枚の紙を置く。
「でー、今日の買い出し代金としてはこんな感じね。収集品売った代金から引いておくから」
空になったカートに、今度は家中から集めてきた収集品を詰め込む。面倒臭がりのガンスリンガーが、売らずに放り出しておいたものだ。
「茎と食人花は露店に出しておくからね。手数料はいつも通りで」
「はーい」
気の抜けた声で、ガンスリンガーは返事した。彼と対照的に、気合充分といった風情の商人は、鞄に手を入れると、皮袋と一枚のメモを取り出した。
「そしたら今度はあなたのお仕事」
はい、と手渡されたメモに、ガンスリンガーは目を通す。
書かれているのは、各種弾丸やケースの名前と、いくつかの数字。
「いつも通り、よろしくね」
一緒に渡された皮袋はずっしりと重い。中に入っているのがゼニーであることは、見なくても分かっていた。
こうやって時々、商人がガンスリンガーを訪ねるのは、ただの親切や慈善事業ではない。
家を片付け、食事を用意し、溜め込んである雑品を売り払う代わりに、彼女はガンスリンガーに、ガンスリンガーでないと購入できない弾丸を買いに行かせるのだ。
勿論、商人自身は銃を扱うことなど出来ない。狩りにおいて、自ら弾丸を使うわけではない。
露店に並べるためだけに、商人は弾丸を買うのだ。
弾丸、ひいては銃を扱う資格を持つ冒険者は、ガンスリンガーという職業しか存在しない。大して数も多くない職しか使わないものを露店に並べたところで、稼ぎになるとはガンスリンガーには思えなかった。しかし、そう指摘するガンスリンガーに大して、商人は不敵に笑ったのだ。
「珍しいものがあるほうが、皆覗いていくものよ」
ガンスリンガーにしてみれば、弾丸なんてちっとも珍しいものではない。だが、彼女が主に露店を出しているプロンテラでは、確かに余り見られないものであろう。
「だからあたしだって、こんなとこまで来てるんじゃない」
なるほど、商人にとって彼は、「珍しいもの」にカテゴライズされているらしい。これにはガンスリンガーも苦笑するしかなかった。その後で、本当に欲しい人ならちょっと高くても買っていくしね、と彼女は付け加えた。飛行船でわざわざアインブロックまで来るよりは、よっぽど安く上がるのだろう。いずれにしろ、投げやりなフォローである。
「良いのかなあ」
心配するのではなく、面白がるような様子でガンスリンガーは呟く。
「弾丸って、一応ガンスリンガー以外に渡しちゃいけないことになってるんだよ。こうやって売っぱらってるってばれたらまずくない?」 ガンスリンガーの言葉に、商人は肩を竦めた。
「どーせとっくにばれてるでしょ」
彼女が言う通り、とっくにばれているのだ。この間買いに行ったときは、ギルドの技師の一人に「ありゃお前の幼な妻か?」なんてからかわれた。否定するもの面倒だったので適当に笑っておいたのだが、さて今頃どんな噂が立っているのか。
そこまで考えて、どうやら自分も珍しいもの好きのひとりらしい、とガンスリンガーは思い至った。
珍しいじゃないか。幼な妻がいるなんて噂が立つ人間なんて。
「でも平気でしょ。弾丸と銃があったところで、ちゃんと使える人なんて、ガンスリンガーでもなけりゃほとんどいないんだから」
だからさっさといってらっしゃい。そう言って、商人は腰に手を当てて、自信たっぷりに笑った。
「美味しいご飯作っといてあげるから」
保護者か何かのように、偉そうな態度で言う姿は、ガンスリンガーにとっては全く不快なものではなかった。
保護されている、という点では、何一つとして間違ってはいないのだ。彼女がいる限り、どうやら自分は野垂れ死になんて出来ないらしい。
「楽しみにしてる」
髪を拭いていたタオルを椅子の背に掛け、ガンスリンガーは外へと出た。背後で、商人が手を振っている。
彼女と違って、ガスマスクは被らなかった。アインブロックの町に出た途端、煙に満ちた空気が胸に入り込んでくるが、もう慣れたものだ。
もうちょっと長生きしたいな。珍しく、そんなことを思った。





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