ひとり待ち合わせ



大通りから少し外れた所にある、こじんまりとした酒場。
朝日が昇る前にこの店で軽食を頼み、空が白くなる頃に店から出て町の外で露店を出すというのが、その男ブラックスミスの日課になっていた。
彼はこの店が好きだった。
まず、大通りから離れている為か、人が少ない。彼が店に入ると、大抵はニ、三の小さなグループがのんびりと話をしているぐらいで、満席ということは一度も無かった。
人が少ないと、必然的に性質の悪い酔っ払いも少なくなる。朝日を拝む前に泥酔した人間の面を拝むのは、流石に気分が滅入る。
次に、マスターの人柄が好みである。
若い頃セージとして旅をしていたというマスターは、穏やかだが、研究熱心な人だった。
毎朝ここに来るのに、ブラックスミスは彼の出す食事を食べ飽きたと思う事はなかった。
それほどメニューは多くないのだが、いつ食べても新鮮な満足感に包まれるのだ。
出来るだけ美味しい物を、出来るだけ手頃な価格で。それが、冒険者としての研究職を止めたマスターの、現在の研究課題だそうだ。
つまり、懐にも優しい。
稼ぎの少ない冒険者にとって、これはかなり重要であるのだ。
昨日の稼ぎの計算と、今日の予定を頭の中でまとめつつ、片手でカートを引きながら、もう片方の手で入り口の扉を開ける。
マスターと、顔見知りの先客が微笑んで会釈した。
ブラックスミスも微笑み返すと、視線を店の隅へとやる。
これも最近の習慣だ。
こじんまりとした店の、特にこじんまりとした隅の席。
布に包まれた棒状の物を壁に立てかけて、一人の男騎士が黙々と食事をしていた。
――今日も、いる。
宝物を見つけた子供のような気持ちを、ブラックスミスは抑えられなかった。
その槍騎士こそが、彼がこの店に来る最大の理由だった。
ブラックスミスがその席に向かって歩いていくと、ようやく騎士は顔を上げた。
「おはよ」
ブラックスミスの言葉に、騎士は口の中の物を飲み込んで小さく頷いた。
ブラックスミスはマスターの方を見て、いつものヨロシクと言うと、騎士の向かいの席に座った。
「ペコペコは?」
「外で食事中」
乱暴ではないが、素っ気無い騎士の言葉に、しかしブラックスミスは気を悪くした様子がない。
彼は壁に立てかけてある布の包みをを目で示す。
騎士がそれを見て、無言で手渡す。
ブラックスミスはそれを受け取り、丁寧に巻いてある布を剥がしていく。
中からは、鈍い輝きの槍が現れた。
かなり使い込まれていると思われるそれは、手入れが行き届いているらしく、あちこちに傷を持ちながらも立派な風格を保っている。
「相変わらず、無茶してるんじゃないか?」
苦笑を浮かべそう呟くのだが、騎士は黙々と食事を続けている。
元々ブラックスミスも答えを期待している訳ではない。彼は槍を包み直すと、元の場所にそれを戻した。
「材料あればタダで槍打つからさ。いつでも呼んで」
彼がそう言うと、騎士が首を横に振る。
「依頼料ぐらいは払える」
「別にいらないって」
その言葉に、騎士は表情を険しくする。
「仕事なのに金を取らないのはおかしいだろう」
騎士が呟くと同時に、少し離れたところから、またやってるよ、という苦笑交じりの呟きが聞こえた。
これを言われたのは何度目だろう、とブラックスミスは考える。
彼は槍以外の武器は滅多に打たない。
しかも大型の、両手で扱うような槍を好んで打つのだ。
それほど需要のあるものでもなく、失敗する事もあるわけだから、大して稼げはしない。
それで生計が成り立つのか、と言われれば首を竦めて見せるしかないわけだが。
だが、彼は槍以外の武器を打とうとはしない。
槍を打つ事を止めない。
特別必要とされない行動を好んで行うのだから、どうしても一人で過ごす事が多くなってしまうのだが、それも彼は気にしなかった。
沢山の人に必要とされなくても構わない。
いつか、自分の打つ槍を本当に必要としてくれる人に会う日が来る。
まるで根拠のない妄想だが、彼はそれだけの事に縋るようにして生きてきた。
そして、彼は目の前の男騎士に出会ったのだ。
彼は槍以外の武器を持とうとはしなかった。
いつも槍と、ペコペコだけを相棒に、彼は狩りをしていた。
一人で戦う姿に同情したのかもしれない。
または、ひたすらに槍のみを使う事に自分を重ねたのかもしれない。
だが、彼は別に理由など求めてはいなかった。
どんな理由にしろ、ブラックスミスは、彼を自分の探していた相手だと悟った事に変わりは無いのだ。
「仕事じゃないよ、俺の生きがいさ」
そう呟いたブラックスミスの元に、食事が運ばれてきた。
彼がいただきます、と両手を合わせるのに少し遅れ、騎士がごちそうさま、と呟いた。
「もう行くのかい?」
ブラックスミスが聞くと、騎士はああ、と呟いて、壁に立てかけられた槍を抱えた。
「回復剤足りる?」
その質問には、騎士は少し困ったような顔をした。目の前の騎士は、あまり意思を表に出そうとしないので、ブラックスミスはそれだけで全てを理解しなくてはならない。
「待ってて、原価で売るからさ」
そう言って横に置いておいたカートを漁ると、騎士は首を横に振る。
「適当な店を覗いて揃える。アンタは食事に専念していてくれ」
「そう言わないでよ。俺だって商売人なんだから」
悪戯っぽく笑うと、ブラックスミスは騎士が抗議するよりも早く、カートからミルクを取り出して袋に詰め始めた。
「いつもと同じでいい?」
ここまで強引に進められると、流石に騎士も抵抗できなくなったようだ。
溜息を吐いてから財布を取り出し、数枚の硬貨をブラックスミスの前に置いた。
「毎度どーも」
満面の笑みを浮かべて、ブラックスミスは彼にミルクの袋詰を手渡した。
ありゃ押し売りだろうが、という呟きが他の客から聞こえたような気がしたが、ブラックスミスは無視する事にした。
重たげな袋を、騎士は軽々と抱き上げると、微かな声で何か呟いた。
ブラックスミスは微笑みを浮かべてそれに頷く。
それきり騎士はブラックスミスを見ず、マスターに愛想なくごちそうさまと言って代金を渡し、店の外へと出て行った。
扉が閉まると、ブラックスミスは苦い笑いを浮かべて溜息を吐いた。
「本当に意地っ張りだよね」
周りの客も笑って頷く。
小さな声で、俺もだけどと付け加えたのは、ほとんどの人の耳には届かなかったようだ。
ただ一人聞きつけたマスターは、しかし何事も無かったかのように口を開いた。
「ソロ好きの人間は大抵意地っ張りだと思うけどね」
ブラックスミスはまあね、と肩を竦めた。
「意地以外に何もないからね」
いや、とマスターは首を横に振った。
「意地があるからソロを選ぶんだよ」
ブラックスミスは驚いた顔をしたが、すぐに微笑みを浮かべた。
「覚えがあるんだ?」
「さあ?」
元セージの、研究好きのマスターはそう答えると、それ以上は何も言おうとしなかった。
ブラックスミスも何も聞こうとせず、食事を突付きながら騎士の向かったと思われる方角へ目をやった。
三人のソロ好きは、今日も意地を抱えて生きていく。





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