リャナン・シーの恋人



夜闇の中に、煌々と輝く炎の赤。
遠くから聞こえる祭の音に合わせ、バードはリュートの弦を弾いていた。
柔らかい音を立てるたびに、弦は橙の光を反射して、きらきらと揺らめく。
「こんな所でさぼっていたの?」
頭上から不意に聞こえた声に、彼は顔を上げた。
しゃらん、と金属の擦れるような音がした。
照らしつける焚き火の明かりより、背後に浮かび上がる月の明かりより、更に輝かしい女の顔。
涼しげな美貌をしたジプシーが、バードを覗き込んでいる。
「まだお祭は終わっていないのに、途中で抜け出してるなんて」
リュートを抱えたままのバードの隣に、ジプシーは腰を降ろす。
仄かな汗の臭いが、バードの鼻をくすぐる。どうやらジプシーは、先程まで祭の輪の中で踊っていたらしい。
「そういうおねーさんこそ、お祭ほっぽってこんなところまで来ちゃったワケ?」
悪戯っぽい声でバードが問えば、ジプシーはつまらなそうな顔をしてみせた。
「だって、残っている演奏家達が下手糞ばっかりなんですもの。あんな曲で踊っていられて?」
つん、と唇を尖らせる仕草は、その顔立ちから比べると、随分と幼く見えた。
「下手糞、ねえ」
バードは夜の闇へと耳を澄ます。
祭も佳境に差し掛かり、踊りの曲を演奏しているバードやクラウンにも、酒の入っている者が多いのだろう。時折、奇妙な響きの音が混ざっていることは否めない。けれどバードには、その音楽は心から楽しんで演奏されているものに聞こえた。
「そう、下手糞」
バードのすぐ傍で、しゃらんと音が響く。
「貴方の演奏と比べたら、下手で下手で聞いていられなくてよ」
ジプシーの手が、リュートの弦にかけられたままであったバードの手を包み込んだ。
真っ白な手の甲が、篝火の明かりを浴びて、闇の中に浮かび上がる。
金糸でかがられた袖口から覗く細い手首から、綺麗に整えられ彩られた爪の先までを眺めてから、バードはジプシーの顔を見た。
夜空とよく似た、深く、澄んだ瞳が、バードの姿を捉えている。
「私はね、貴方の歌声が欲しいの」
濡れているかのように艶やかな、真っ赤な唇が、ねえ、と動く。
「私のためだけに、歌を歌ってはくれなくて?」
背筋に響く、甘い誘い。
「いいねえ」
嫣然と微笑むジプシーに、バードは微笑みかえし、しかしこう答える。
「でもね、俺は音楽のために死ねるほど、真面目な詩人じゃないのよ」
間近に覗き込んでいたジプシーが、ゆっくりと一つ、瞬きをする。
バードの目をじっくりと見つめたジプシーは、やがて、「下手糞」と言い放ったときと同じように、つまらなそうな顔をした。
「勘の良い人間だこと」
「そりゃどーも」
バードが答えた途端、強い風が吹き付けてきた。
腕の中のリュートを庇うように抱きしめて、バードは目を閉じた。
風が収まってから目を開くと、足元で輝いていた篝火が、風にあおられて消えていた。
腰のベルトに提げていたキンドリングダガーを取り出し、手を怪我しないように気をつけながら、辺りに落ちていた枯れ枝を一本削る。
しゅっ、と音を立てて、小さな火が枯れ枝から上がる。その火が消えないうちに、枯れ枝ごと、消えた焚き火の中へと放ってやる。
ほんの少しの時間をおいて、焚き火は元の明るさを取り戻した。
けれど、その明かりが照らし出す中に、ジプシーの姿はない。
代わりのように残されたのは、ジプシーがつけていたものらしい、小さな金の鈴。
驚くこともなく、バードは鈴を拾い上げる。
しゃらんと響いた音が、どこか不満げにバードを詰るようで、彼は少し笑った。
今日は夏至の夜。
人ではないものが、騒がしく遊ぶ夜。





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