狐につままれる



意外な出来事や成り行きに呆然とする事を、狐に化かされる事になぞらえて、「狐につままれる」というそうだ。
だが、実際の狐は呆然とする暇をくれるほど優しくは無いという事を、ウィザードは身をもって味わう事になった。
フェイヨンの地下洞窟三階で、腐れ縁のブラックスミスと共に死者の群れを葬っていた時、彼の目の前を黄金色の塊が横切った。
何事かと目で追おうとした時、利き腕に鋭い痛みを感じて、彼は悲鳴を上げた。
思わず握っていた杖を落としてしまい、慌てて手を伸ばそうとして、彼はようやく痛みの原因に気がついた。
黄金色の身体に、赤い目を持った九尾の狐が、彼の腕に噛み付いていたのだ。
ただの魔物と言ってしまうには惜しい、美しい九尾狐の姿に、ウィザードは瞬間目を奪われた。
傷口から滴り落ちるウィザードの赤い血すら、狐の姿を引き立てる為にあるように思われるほどで。
その血と同じ位に赤い狐の目が、同じ様に赤い髪をしたウィザードの姿を映す。
残酷な歓喜を浮かべる瞳に、見つめられたウィザードの体が竦む。
一瞬の硬直を打ち壊したのは、ブラックスミスの一撃だった。
ウィザードの腕から九尾狐を放す為、わざと大きく斧を振るって繰り出した攻撃は、斬るというよりも殴る様であった。
頭をしたたか打たれた九尾狐は、ウィザードの腕を放すと、歓喜の時を邪魔したブラックスミスに向かって飛び掛った。
顔の前に斧をかざす事でどうにか攻撃を避けたブラックスミスは、腕を放された反動で倒れこんだウィザードに向かって怒鳴った。
「へたれてんなアホ!」
雷に打たれたように、うずくまっていたウィザードがビクンと跳ね上がった。
ブラックスミスの叫びに正気を取り戻した、というよりは、彼に借りを作ってしまった為の苛立ちがそうさせたのかもしれない。
「言われるまでもない!」
彼は体を起こすと、負傷していないほうの腕を懐に入れた。
素早く息を吸って足に力を込めると、彼はブラックスミスと九尾狐の間に割って入った。
驚いた顔のブラックスミスが言葉を発する前に、彼は九尾狐に向き直った。
歓喜の色を浮かべていた赤い目は、今は怒りに燃えている。
全てを焼き尽くさんばかりの怒りの色に、ウィザードは怯む事無く、それどころか艶やかに微笑んで見せた。
「少しはその火を静めたらどうだ!」
彼はそう叫ぶと、懐に入れていた手を九尾狐に向けて突き出した。
途端、九尾狐が甲高い悲鳴を上げて飛び退く。
僅かな隙に、ウィザードが杖を拾い上げる。
その顔に、赤い点が幾つか飛び散っている。
九尾狐の血だ。
何が起こったのかと、ブラックスミスはウィザードに説明を求めようとしたが、辺りの空気が急速に冷えていくのを感じると、彼は納得したように斧を握り締め、九尾狐に向かって走り出した。
特に言葉を交わすこともなく、しかし二人はタイミングを計る。
「引き裂かれろ!」
ウィザードがそう叫ぶと、虚空に現れた氷の刃が、九尾狐に向かって降り注いだ。
逃げる事も出来ず、氷の刃を身に受けた九尾狐の体を、走り寄ったブラックスミスが斧で叩き潰す。
斧と九尾狐の間で起きた鈍い音に僅かに遅れて、身も凍るような甲高い悲鳴が上がった。
その余韻が収まらぬうちに、九尾狐の身体が地面に崩れ落ちた。
しばらくはビクビクと痙攣していた体が、やがて動かなくなると、ブラックスミスが死骸の傍に座り込んだ。
怒りに燃え上がっていた赤い目が、今は何も映していない事が、ウィザードの位置からも見て取れた。
その額に、一本の短剣が突き立てられている。
先程ウィザードが、九尾狐とブラックスミスの間に飛び込んだ時に突き刺したのだ。
「こんなもん使う前に、傷口押さえりゃいいのに」
ブラックスミスは苦笑いを浮かべ、ウィザードに向かって手を伸ばした。
「ほら、傷口見せろ」
「別に平気だ」
「平気な訳ねぇじゃん」
彼はそう呟くと、負傷したウィザードの腕をそっと掴んだ。
荷物から飲み水を取り出し、傷口にかける。
途端に、ウィザードが顔をしかめる。
どうやら相当に染みたらしいのだが、顔を背けて、うめき声を殺している。
「わー、超強情」
笑いながらそう言ったブラックスミスを、ウィザードが睨みつける。
ブラックスミスは降参、というような表情をして、彼の傷口にポーションをかけた。
「とりあえず、応急処置ね」
彼は自らの白いシャツの袖を引き千切り、それでウィザードの傷口をきつく縛った。
「戻るまでこれで我慢しとけや」
そう言って、いそいそと九尾狐の死体に向き直り、その尻尾を斬りおとし始めた。
縛られた傷口をウィザードはまじまじと見つめていたが、不意に顔をしかめて呟いた。
「汗臭そう……」
「やかましい」
ブラックスミスは振り向き様に九尾狐の尻尾を投げつけたのだが、負傷していない方の腕で、あっさりと防がれてしまった。
「命中率低いよなお前」
「……次はナイフ投げますよ?」
そう呟くブラックスミスの手に、先程ウィザードが九尾狐を刺した短剣が握られていた。
まだ九尾狐の血で汚れているそれを、彼はシャツの裾で拭いた。
それをウィザードに手渡し、彼は悪戯っぽく笑う。
「折角の俺様の武器なんだから、次は利き腕で使ってちょうだいな」
その言葉に、ウィザードは少しばつの悪そうな表情で、短剣を受け取った。
短剣の刃には、目の前のブラックスミスの名前が刻まれている。
彼のお陰で助かったと言えなくもないのだが、それを素直に認めるのは妙に悔しい。
だから、ウィザードはわざと意地の悪い言葉を吐く。
「私が本気で使ったら、お前の武器なんかすぐに壊れるんじゃないか?」
しかしブラックスミスは気を悪くした様子もなく笑ってみせる。
「そしたらもっといい武器作るから」
「出来るのか?」
「出来ますよっての」
だから、と彼はウィザードの負傷した腕を掴む。
「さっさと万全な状態で使えるようになれよ」
ウィザードは少しの間思案していたが、やがて小さく一つ頷いた。
「努力する」
素直に答えたつもりだったのだが、何故かブラックスミスは呆気に取られたような表情をする。
彼は軽く頭を掻くと、自分の千切れたシャツの肩口を見つめ、次にウィザードの傷口を縛る袖を見つめ、納得したようにぽん、と手を叩いた。
「……お前、血液減りすぎてどっかおかしくなった?」
失礼な言いように思わずウィザードは怒鳴りつけそうになるが、ふと思いついてそれを抑え込んだ。
「お前、狐に化かされてるんじゃないか?」
微笑みを浮かべるウィザードに、ブラックスミスは有り得る事だと肩を竦めてみせた。





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