春風夏風邪



宿屋の窓の外、洗濯されたウィザードの衣服が、穏やかな春風に揺れている。
そろそろ乾くかなと、その部屋に居たブラックスミスが窓際に寄ると、遠慮がちな咳が聞こえた。
振り返ると、その服の主と思われるウィザードが寝台の中で小さく体を丸めて、彼を見つめていた。
「ちょっと窓開けるからな」
ブラックスミスがそう言うと、ウィザードは縮めていた体を更に縮めた。
窓を開けると、優しい春風が部屋の中に吹き込んでくる。
しかし、これほど暖かい日であろうと、濡れた服装のままうろついていれば、風邪をひいても仕方がないだろう。
昨日の夜中、ぼんやりと露店を開いていたブラックスミスの前に、顔見知りの彼が、酷く濡れた姿でやってきたのだ。
何気無く掴んだ手の冷たさに、慌てて宿屋に引きずり込んだものの――断じて変な意味ではない――、随分長い間濡れたままだったらしく、ウィザードは服を着替えると、熱を出してそのまま寝込んでしまった。
自分から助けた手前放っておく訳にもいかず、体調が戻るまでは傍にいようと考えながら、結局濡れた服の洗濯までしてしまった。
干されていた服に手を伸ばし、乾いている事を確かめてから取り込んで窓を閉めると、布団の中からウィザードが顔を覗かせた。
「あー、寒い、だるい、頭痛い……」
嗄れた声でそう呟くと、彼はまた咳き込んだ。
ブラックスミスは彼にほんの少しだけ心配そうな視線を向けたが、すぐに目を洗濯物に戻した。
「そりゃあんな格好じゃ風邪ひくに決まってるべ」
お前馬鹿だろ、と付け加えると、ウィザードが睨み付けてきた。もっとも、熱のせいで潤んだ目ではあまり威厳がないのだが。
「馬鹿じゃねえから風邪ひいたんだよ」
子供のような言い草に、ブラックスミスは意地の悪い笑みを浮かべた。
「夏風邪は馬鹿がひくっていうじゃん?」
「今夏じゃねえよ」
「夏じゃねえのに夏風邪ひくなんて大馬鹿だな」
今度はウィザードも黙ってしまった。
声をあげて笑うブラックスミスに、ウィザードは不機嫌そうな表情で彼に背を向けた。
そして、また遠慮がちに咳をする。
「だから上着貸してやるって言ったのに」
自分の寝台の上に座り込みながら、ブラックスミスはウィザードの服を畳んでいた。
日向に干してあった為、少しいい匂いがする。
「誰がお前の汗臭い服なんか借りるか」
「それで風邪ひくんだからやっぱり馬鹿だよな」
うるせえ、という反論は、咳に隠れて聞き取れなかった。
ブラックスミスは服をウィザードの枕元に置くと、そのついでと言わんばかりに、彼の額に手を当てた。
その手に、ウィザードがそっと指先で触れた。
力のこもらない指先が、見ていて痛々しい。
「……まだ、熱あるな」
自分の額に反対の手を当てながらそう呟くと、ブラックスミスはよし、と頷いた。
「何か飲み物買ってくるわ」
「別にいい」
「いくねえよ」
ウィザードの言葉をそう切り捨てると、彼はポケットから財布を取り出した。
「いくら俺様が貧乏生活だからって、そんぐらいの金はありますよ」
まだ何か言いたそうな顔をするウィザードに、それより、と付け加える。
「本気で気にしてるんだったらさっさと治せ。大人しいお前なんぞ気味が悪くて仕方ねえ」
心配されているのかけなされているのか判断に困る言葉に、ウィザードは複雑な表情をして見せたが、すぐに小さく頷いた。
に、っと笑って頷き返すと、ブラックスミスは部屋の外に出た。
後ろ手に扉を閉めると、彼は軽く舌を出した。
「ま、こういうのも嫌いじゃあないけどね」
部屋の中には聞こえないように呟くと、彼は駆け出した。





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