川のほとりに



夏の夜のフェイヨン。
重たげな音を立てて、ブラックスミスがカートを引いていた。
「あっちぃ……」
夜とはいえ、夏のフェイヨンはむっとするような暑気に包まれていた。
カートに積まれているのは、大量の矢筒である。
今や弓を使う冒険者の必需品となっている矢筒は、ここフェイヨンでしか作ることが出来ない。
ブラックスミスは定期的に、買い込んだ矢を筒に詰めてもらいにフェイヨンにやってきていた。
勿論、自分で使うためではなく、露店に並べて売るためである。
丁寧にまとめてあるためか、ばらばらになっている矢と比べ、矢筒のほうが少々軽く感じられる。なので、あまり重いものを持たない弓使い達には、矢よりも矢筒のほうが使い勝手が良いのだろう。ばらばらの矢で露店に並べるよりも、筒にしてあるほうが、売れ行きが良いのだ。
とは言っても、とブラックスミスは背後のカートを振り返る。
彼のカートには、今は矢筒以外のものが見当たらない。
普段、ブラックスミスは狩りに行くとき、回復薬や予備の武器を載せている。だが、今日はそれらをどかし、限界まで矢筒を積み込んでいた。矢筒を作るためだけにフェイヨンに来るのは面倒なので、出来る限りたくさん作っておこうと思ったからである。
しかし、いくら軽量化されている矢筒であろうと、ここまで詰め込むと、流石に少々重かった。
暑さのせいではない汗が頬を流れ、ブラックスミスは顔をしかめた。
町の中心に佇むカプラサービスの職員の姿を見つけると、彼はほっとしたように、ひとつ息を吐いた。
手首につけた、プレート状の冒険者証を見せて、買い込んだ矢筒をカプラ職員に預けていく。
カートの中身が全て矢筒であることに気付くと、カプラ職員が僅かに驚いた顔をした。やはり矢筒しか積んでいないというのは珍しいのだろう。
ようやく空になったカートを引きずりながら、ブラックスミスは辺りを見回した。
探している人物がいないことに気付くと、彼は広場の片隅へと向かい、そこに座り込んだ。
額に浮いていた汗を、手の甲で拭う。
『終わったぞ』
そう話しかけるのは、この場にはいない人物である。
冒険者の間で、俗に耳打ちと呼ばれる方法で、ブラックスミスはどこにいるのか分からない相手に話しかけていた。
『ん』
短い返事は、男の声。
声の主は、共にフェイヨンまでやってきたウィザードである。
今が旬であるというフェイヨンの川魚料理をおごる代わりに、矢筒を作るための矢の運搬を手伝ってもらったのだ。
『川魚食いに行くんだろ?』
『おう』
『今どこよ』
カプラ広場で待ってると思ってたのに、と呟くと、ウィザードの声が、意外な場所を告げた。
『川』
『川?』
ブラックスミスが不思議そうな顔をする。
『魚釣るの?』
アホ、と呆れたような声が返ってくる。
『終わったなら、ちょっと来い』
えー、とブラックスミスは嫌そうな声を上げる。
『虫多そうで嫌なんだけどー』
『いいから』
理由も説明しないくせに、ウィザードに譲るつもりはないらしい。へいへい、と答えて、ブラックスミスは立ち上がった。
軽くなったカートを引きながら、町の西へと向かって歩いていく。
民家や商店の立ち並ぶ町の中央から離れると、フェイヨンの夜は、暗さを増したように思えた。街灯はおろか、建物から漏れる明かりすらないのだ。
しかし、その真っ暗な中を、地元の子供達は笑い声すら上げて駆けていく。比較的治安の良い、フェイヨンだからこそ見られる光景であろう。
子供達の向かう先へと目をやれば、そこにあるのは大きな橋。
地元の人かはたまた冒険者か、よくは分からないが、幾つかの人影が見える橋の上には、ブラックスミスの探す人物も佇んでいた。
表情は見えないのだが、向こうもブラックスミスの存在に気付いたのだろう。彼が軽く手を上げれば、橋の上にいるウィザードの頭が少し揺れた。
ウィザードの隣に立ったブラックスミスは、カートを体に寄せると、欄干の上に腕を乗せた。
橋の下に広がる川は、時々小さな波を立てて、月の光をきらきらと反射させる。
「おー涼しい」
耳に届くせせらぎの音と、足元から漂う冷涼な空気に、ブラックスミスは目を細めた。
「ここで涼んでたわけ?」
隣に立つウィザードに問えば、まあ、という返事が返ってくる。
「どっちかというと、あれが見たかったんだが」
「あれ?」
ブラックスミスが聞き返すと、ウィザードの腕が静かに動いた。
暗がりに目を凝らすと、どうやら川辺を指差しているらしい。
「何?」
指の先に示された方向には、ただの暗闇しか広がっていなかった。
一体何が見えるのだろう、とブラックスミスが欄干の上に身を乗り出すと。
「何だあれ」
暗がりの中、柔らかい光がふわりと揺れた。
「蛍」
へえ、とブラックスミスが声を上げる。
「初めて見た」
そう言っている間にも、新たな光が生まれては消える。橋の上に人が多かったのは、皆これを見に来たからであろう。
「お前見たことあった?」
ブラックスミスが問いかけると、ウィザードが頷いた。
「ゲフェンの川でも、少しはいたからな」
「そっか」
ブラックスミスは呟いて、川辺の蛍を見つめた。
ふわりと舞う小さな光は、儚げだが、どこか妖しげに魅了してくるように思えた。
「そういやあれって、メス集めるためにオスが光ってるんだっけ?」
「らしいな」
「……てことは、俺ら人間様は、虫君達の夜の営みの前段階を見て、綺麗ーステキーとうっとりしちゃうわけか」
「そうなるな」
「……なんだかなあ」
ぽりぽりとブラックスミスは頭をかいた。
隣で、ウィザードが笑う気配がした。
「何よ」
「潔癖なガキみたいなこと言ってる、って思っただけ」
「うっせ」
不機嫌そうな声で答えると、ブラックスミスは欄干に肘をついて、手の上にあごを乗せた。
遠い川辺では、今も「夜の営みの前段階」が繰り広げられている。
「こっち来ないかな」
「捕まえるなよ」
ウィザードの言葉に、しねえよ馬鹿、とブラックスミスは呟いた。
捕まえはしない。
ただ、ウィザードがどんな顔をして自分のことを「潔癖」なんて言うのか、あの明かりの元で見てみたかっただけだ。
だって、ウィザードはきっと他の誰よりも、ブラックスミスが「潔癖」なんかではないことを知っているはずなのだから。
幾つもの夜の果てに。
親指の先に、頚動脈が触れていた。
ドクドクと流れる血の感覚に、想像している以上に興奮している自分に気付き、ブラックスミスは小さく舌打ちした。





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