怪談



窓際から聞こえた小さな物音に、机に向かっていたアコライトの少女はビクッと震えた。
恐る恐る振り向いてみるが、窓際には何も見当たらない。閉められたカーテンが微かに揺れているだけだった。
当たり前じゃないか、とアコライトは自分を納得させると、机に向かい直った。
静まり返った夏の夜、空調の整った部屋の中には、彼女が日記帳にペンを滑らす音だけが響く。
今日の出来事を書き綴りながら、アコライトは昼間の狩りを思い出していた。
臨時で組んだ冒険者達と、ゲフェンタワーの地下に行った時の事だ。淀んだ空気の為か、地下には悪霊や死人といった魔物が多く住み着いている。大体は生きている者全てに害意を持っているため、こちらが手を出さなくても襲い掛かってくるものが多かった。
仲間の剣士が取りこぼし、自らのほうに向かってきたグールに、アコライトは慌てる事無く祈りの十字を切り、ホーリーライトで対抗して攻撃を防いだ。
死人は光に弱い。既に剣士の攻撃で幾分弱っていたグールは、アコライトに傷一つ付ける事も出来ずに、その場に倒れこんだ。
白い光の中、崩れ去ったグールに背を向け、アコライトが苦戦してる仲間の援護をしようとした時だった。
物凄い力で、足を掴まれた。
悲鳴を上げて足元を見れば、倒したはずのグールが、彼女の足首をしっかりと握っていた。
傍にいたアーチャーがすぐに撃ち倒してくれたので、足に大きな怪我はなかった。
だが、目が合った瞬間、ほぼ土に還りかけているグールが、アコライトを見て笑ったような気がしたのだ。
暗く、濁った目に、冷たい悪意の光が見えたのだ。
そこまで思い出すと、うすら寒いものを感じて、アコライトはそっと自分の身体を抱きしめた。
すると、また窓際から物音がした。
きっと空耳だ、と思い込もうとした途端、また同じ音が聞こえた。
窓を叩くような、コン、という音だ。
グールに掴まれた足に、一瞬鋭い痛みが走った。
急に背筋が冷たくなる。
震えそうになる体を押さえ込み、アコライトは大きく深呼吸をした。
先程と同じように振り返ってみれば、やはりそこには何もなく、ただカーテンが揺れているだけだった。
しかし、その揺れが少し大きくなっているような気がした。
まるでアコライトを手招くように、カーテンはゆらゆらと揺れ動く。
風のせいだろう、と考えて、アコライトはそれが有り得ないことに気がついた。
部屋の空調を整える為に、窓は自分で閉めたではないか。
なら、どうして?
また、コンという音がした。
アコライトの少女は椅子から立ち上がると、ゆっくりとした足取りで、カーテンに向かって歩いていった。
近寄る度に、カーテンの揺れが大きくなる。
すぐ傍までたどり着くと、アコライトはカーテンの端に手をかけた。
「もーいい、もう止めよう!」
途端、ブラックスミスの青年は大きな声で叫んだ。
「何だ、ここからが恐くなるのに」
対照的に、ウィザードの青年がつまらなそうな声でそう言った。
彼ら二人がいるのは、明かりの消えた、宿屋の一室だった。
片方の寝台にはブラックスミスが腰掛け、もう片方の寝台にはウィザードが、ブラックスミスと向かい合うようにして座っている。
「暑い暑いってうるせえから、涼しくしてやろうと思ったのに」
「そりゃ涼しくして欲しいとは言ったけどさー、何も怪談じゃなくたって良いじゃん」
ブラックスミスはそう言うと、寝台の上に寝転がった。
二人が泊まっているのは、首都プロンテラの端の方に位置する宿屋であった。
いつも泊まっていた宿の女将が、しばらくの間フェイヨンの実家に帰るというので、二人は彼女が推薦してくれた宿をとることにしたのだ。
現職の「冒険者向け宿屋の女将」が推薦してくれただけあって、その宿は食事も良く、部屋の掃除も行き届いていて、とても居心地の良い所であった。
が、そんな居心地の良い宿で宿泊客が少ないはずもない。ブラックスミスとウィザードが宿に辿り付いたのは、まだ夕飯時には少し早いような時刻だったのだが、既にほぼ満室の状態であった。
空いていた部屋は、どこもあまり風通しの良い部屋ではなかったのだが、それでも馴染みの女将が紹介してくれた宿だし、今から探して感じの悪い宿に泊まることになるもの嫌だったので、彼らは宿をそこに決めた。
そして、現在の状況にいたる。
「夏といえば怪談じゃないか」
「その感性が分かりません」
ブラックスミスがうめくと、ウィザードは鼻で笑った。
「この程度の話、どこが怖いもんか」
ブラックスミスは寝転がったまま舌打ちした。
「別に怖いなんて言ってねーじゃん」
「アコライトはカーテンの端に手を……」
「すんませんマジで怖いですだから止めてくれっ!」
叫んだブラックスミスが跳ね起きると、ウィザードは声を上げて笑い出した。
「んな笑わなくたって良いだろ!」
ブラックスミスは文句を言って立ち上がると、未だ笑い続けるウィザードを寝台の上に押し倒した。
「ん、何だ、言葉で敵わないからって実力行使か?」
無様だなと笑うウィザードに、ブラックスミスは顔をしかめた。
「テメェはウィザードのくせに、心霊現象に対する恐れとかそーいうもんはねえのか」
「下らんな」
ようやく笑いを納めたウィザードが答えた。
「私は生きてる人間で手一杯なんだ。死んでまだ動ける奴がいるんなら、怖がるどころか歓迎して、色々と手伝って欲しいぐらいだ」
「うっわー、何つー現実的な魔法使い様だよ」
悪態を吐くブラックスミスに、そうじゃないとウィザードは告げる。
「魔法使いだから現実的なんだよ。出来る事と出来ない事の区別がはっきり付いてなきゃ、そのうち幻想に溺れる」
「……そーいうもん?」
聞き返すブラックスミスに、ウィザードは頷いた。
「聖職者だってそうじゃないか? 死んだ人間が蘇らないっていうのはよく分かってるだろうし」
ウィザードはそう言うと、ブラックスミスの頭に向かって腕を伸ばした。
未だしかめ面のブラックスミスの首に、あやすように腕を回す。
「それともお前は、生きてここにいる私よりも、心霊現象のほうが気になるのか?」
予想もしなかった言葉にブラックスミスが軽く目を見開くと、ウィザードは艶やかな笑みを口の端に浮かべた。
どうなんだ、と目で聞いてくるウィザードに、ブラックスミスは敵わないと首を横に振って、押し倒したままのウィザードを抱きしめた。
ウィザードの襟元を寛げてやると――真夏だというのに、制服の襟は首元までしっかりと閉められていた――、ブラックスミスは首元に顔を埋めた。
うっすらと汗ばんだウィザードの肌に触れると、ブラックスミスは小さな声で呟いた。
「……マジで暑いんだけどなー」
「じゃあ止めるか?」
「まさか」
即答したブラックスミスに、ウィザードはくつくつと喉を鳴らすようにして笑った。
舌打ちしたブラックスミスは、ウィザードの上着の前を開き、平らな胸板の上に手を添えた。
「笑ってられんのも今のうちですよ、と」
ブラックスミスはそうぼやくと、ウィザードの首筋に、噛み付くように口付けた。





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