貴方の価値



少し傾き始めた太陽に向かって、空き瓶を翳す。
汚れが透明な瓶に陰を作っているを見つけると、瓶の持ち主である女アルケミストは、それに息を吹きかけて丁寧に布で擦り始めた。
気だるい空気の昼下がり、ひとり座り込んで空き瓶を磨く姿は滑稽かもしれない。
けれど、彼女はそんな雰囲気が少し好きだった。
それも、人を待ちながらというおまけつきだと尚更に。
辺りに吹く風に、アルケミストは顔を上げた。
馴染みの女プリーストに、薬用のハーブ買取依頼の耳打ちを貰ったのが数分前。荷物を整理してから向かうと言っていた事から考えると、そろそろ現れる頃だろう。
ただ吹いているだけだった風が、不意に方向を変えた。
目を細めるアルケミストの前で、風は微かな光をまとって渦を巻き、光の柱となって彼女の前に立つ。
それが一段と強く輝いたかと思うと、中に人影が現れる。
「お疲れ様」
姿を確認する前に、アルケミストがそう言葉を掛ける。
光が収まると、ようやく姿が見えるようになった女プリーストが、軽く笑って片手を上げた。
アルケミストも空き瓶と布を片付けて、座ったまま、片手を上げて挨拶を返した。


プリーストの頭に見慣れないものが乗っている事に気付き、アルケミストは首をかしげた。
「看護帽?」
「そう、いいでしょ」
プリーストが答えると、アルケミストはあらまあ、と口に手を当てる。
「貴方、殴りプリじゃなかった?」
プリーストは頷く。
「別に殴りが看護帽被ったっていいじゃない」
似合うんだから、と言ってみせる彼女に、アルケミストは別に良いけど、と呟く。
確かに、彼女は看護帽が似合っていた。
プリーストの癖のある長い髪と高い身長、それに気の強そうな顔立ちは、清楚な看護帽とは対極に見えるのだが、不思議と違和感無く収まっていた。
その姿に見惚れながら、それでもアルケミストは不思議そうな表情を改めようとはしない。
「武器を揃えるのが先だって言ってたのに……」
装飾用の装備は後で、というのが目の前のプリーストの口癖だった。
しかし、プリーストは意外そうな顔で首を横に振った。
「だってこれ、買ったんじゃないし」
そう言うと、彼女は艶やかな笑みを浮かべて見せた。
「お金持ちの男の人に買って貰っちゃった」
アルケミストが驚きに目を見開く。
「嘘」
「うん嘘」
あっさりとそう返して、プリーストは華やかな笑い声を上げた。


アルケミストは軽く瞬きを繰り返した後、ほっと息をついた。
「何その溜息」
笑いながら聞いてくるプリーストに、アルケミストが答える。
「とうとう身売りまでしちゃったのかと……」
「……ブルジョアの彼氏捕まえた、っていう考えはないの?」
あら、とアルケミストは呟く。
「貴方が私より先に彼氏作れるわけ無いじゃない」
「アンタねぇ……」
げんなりとした様子のプリーストに、アルケミストはにっこり笑ってみせた。
しかし、すぐにその表情を真面目なものにして、プリーストを見上げた。
「そんな事、しないでね」
「先に彼氏作るなって?」
プリーストが聞き返すと、アルケミストは首を横に振った。
「身売りの話」
ああ、とプリーストは気のない返事を返す。
「そこまでしないとなんないほど男に飢えてないわよ」
冗談混じりにそう答えるプリーストに、そういう事じゃない、とアルケミストはあくまで真面目な声で続ける。
「お金で自分の体を売るような事はしないで欲しいの」
すると、プリーストは少し意地の悪い微笑みを浮かべた。
「あら、何で?」
「何でって……」
そこまで口に出して、アルケミストは困ったように黙り込んでしまった。
聞かれてみると、明確な理由なんてないような気がする。
少し悩んだ末、アルケミストはようやく口を開いた。
「自分を安売りしないで欲しいから、かしら」
彼女の言葉に、プリーストはありがちね、と肩を竦めて見せた。


不満そうな顔のアルケミストの横に、プリーストは腰を下ろした。
「安売りなんかしないわよ」
そう言いながら、彼女は自分の手の爪を見つめる。
「やるなら、思いっきり高い値段ふっかけてやるわ」
その言葉にアルケミストが口を開きかけたが、プリーストに見つめられて黙り込んでしまった。
プリーストは軽く首を傾げて問い掛ける。
「安売りって言うけれど、身売りできるっていうのは、その金額分の価値は認めてもらえる、ってことじゃない」
少し強い口調の言葉だった。
しかし、アルケミストは首を横に振る。
微かに眉をひそめたプリーストを、彼女はは真っ直ぐに見つめ返した。
「貴方の価値は、お金に換算するようなものじゃないでしょう?」
咎めるような、けれど思いやりの篭った口調に、プリーストは少し表情を歪め、やがて諦めたように笑って呟いた。
「……良いじゃない、分かり易くて」
それだけ言うと、プリーストは顔を背けてしまった。


アルケミストは何も言わなかったが、そっとプリーストの頭に手を回して、自らの胸に引き寄せた。
柔らかい髪を撫でながら、看護帽に口付けを落とす。
「こういうのじゃ、貴方の価値は分かりづらいかしら?」
アルケミストがそう言うと、プリーストは黙っていたままだったが、小さく首を横に振った。
そしてアルケミストの胸から顔を上げると、気の強そうな笑みを浮かべた。
「やらないけどね、そんな事」
彼女は抱きしめてくる手を解いてその場に立ち上がると、腰に手を当てて、アルケミストを振り返った。
「金で女の価値が買えると思ってるような奴に、私は勿体無いじゃない」
アルケミストは微笑んで頷く。
「貴方の価値は、私がよく分かってる」
だから、と付け加える。
「本当に、しないでね」
念を押すようなアルケミストの問い掛けに、プリーストはしっかりと頷いた。
そして、おどけたような表情を作って見せる。
「その為にも、ハーブ高く買い取ってくれると良いんだけど」
「それとこれとは別」
アルケミストがそう答えると、プリーストはつまらなそうな顔をしたが、すぐに笑い出して荷物からハーブを取り出した。
その笑顔分の金額なら、上乗せしても損は無いように、アルケミストには思えた。





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