いちばんおいしいところ



日が沈んだ秋のプロンテラの町。寒さの深まる夜の闇の中を、ランタンの群がゆらゆらと歩いていく。
「トリックオアトリート!」
宿舎の扉を開けた瞬間、飛び込んできた威勢の良い子供達の声に、クルセイダーの顔がほころんだ。
マミーにロリルリ、マブカ、それに深淵の騎士まで。色とりどりの衣装に身を包み、魔物に扮した子供達が、クルセイダーを見上げている。
今日はハロウィン。秋の夜は随分と涼しいというのに、どの子供達も、興奮した様子で頬を紅潮させている。各が手に提げたカボチャのランタンに照らされて、大きな瞳がきらきらと輝いていた。
「おや、これは怖い」
怖い、と口に出しつつも、楽しそうに笑いながら、クルセイダーは子供達に背中を向けた。
期待するような子供達の視線を背中に感じながら、部屋の中にある戸棚の前に立つ。棚の上には、可愛らしいリボンが結ばれた包みが幾つか置かれている。中身はクッキーやキャンディ等のお菓子だ。日が沈む前に、クルセイダーが全て、自分で包んでおいたものである。
それらを手に抱えて、彼は子供達の前に戻った。悪戯するぞ、と声を張り上げていた子供達は、しかし言葉とは裏腹に、行儀良く扉の前で待っていた。
ランタンを持つのとは反対の、子供達の手には、それぞれかごが提げられている。既に幾つもの家を周ってきたらしい。かごの中は、沢山のお菓子でいっぱいになっていた。先に入れられたお菓子の山が崩れないように気をつけながら、クルセイダーはひとつずつ、リボンがついた包みを入れてやった。
「ありがとう!」
お菓子をもらった小さな魔物達は、満面の笑みで礼を述べる。
重たくなったかごを、嬉しそうな顔で見つめ、橙色のランタンの群は、次の部屋へと向かっていった。ノックした扉の向こうから出てきた同僚に、トリックオアトリートの言葉を投げかけるところまでを見届けてから、クルセイダーはそっと自分の部屋の扉を閉じた。かちゃり、と金属の音がする。
「良いなー、おやつ」
その途端、背後から掛けられた聞き慣れた声に、クルセイダーは驚いた様子で振り返った。
ひやりとした風が、向かい側から吹いてくる。閉めておいたはずの窓の前で、薄手のカーテンがゆらゆらと揺れていた。
部屋に置かれたランプの明かりが、カーテンに人影を浮かび上がらせていた。
クルセイダーの部屋は、宿舎の二階にあった。人影はどうやら、この高さまで何の苦もなく上ってきたようだ。
いつの間にか開かれていた窓から、冷たい風が入り込む。揺れるカーテンの下から、紫苑の色が見えた。よく知った色の、よく知った人の衣装に、クルセイダーの視線が微かに震えた。
カーテンの縁を、男らしい長い指が軽く掴んだ。クルセイダーが見つめる目前で、淡い色のカーテンが開かれていく。
薄いカーテンに遮られることなく、直接に吹き込んできた風が、クルセイダーの青い瞳の表を撫でた。
「こんばんは」
開かれた窓の向こうに広がる、夜闇を背負うようにして、窓辺にアサシンが座り込んでいる。その顔は、白い狐の面で覆われているが、滲み出る気配から、楽しそうな顔をしていることが容易に想像できた。
見開かれていたクルセイダーの目は、秋の風に吹かれたせいで少し乾いていた。アサシンから視線を逸らすことなく、一度瞬きさせると、涙がじわりと染みるようだった。再び開いた瞳で、アサシンの姿をしっかりと捉えると、彼は口を開いた。
「さっきの子供達で、お菓子は全部配り終えてしまったよ」
「えー」
不満そうな声を、アサシンが上げる。
全身から、つまらないといった気配をふり撒きながら、それでも彼は帰ろうとはしなかった。開いたままの窓を閉じもせず、クルセイダーのいる部屋の中に、足音もなく降り立つ。
全く遠慮の色を見せないアサシンに対して、クルセイダーの眉が潜められる。けれどアサシンは気にすることなく、無防備に見える様子で、クルセイダーの傍へと近付いてきた。
険しい表情のまま、クルセイダーは近付いてくるアサシンの姿を見つめている。後一歩でアサシンの腕が届くか、といった距離になったところで、彼は出し抜けにアサシンに向かって踏み込んだ。
ひゅ、と空気の裂ける音がする。
しかし次の瞬間、クルセイダーの視界には、自らの部屋の天井が映り込んでいた。
鈍い衝撃が、背中に走る。一瞬だけ、クルセイダーの息が止まる。
アサシンに右手を捕まれるようにして、クルセイダーは床の上に倒されていた。からかうような空気を纏って、白い狐の面がクルセイダーを覗き込んできた。ち、と短くクルセイダーが舌打ちする。
「危ないなあ」
笑いを忍ばせた声色で、アサシンが囁いた。
捕まれたクルセイダーの右手の傍で、カランと固い音がした。アサシンの元に飛び込む時、抜き払った短剣が、クルセイダーの手を離れ、床の上に転がっていた。
「おやつがないんじゃあ、仕方がないね」
片方の手で、アサシンは狐の面を外す。
見えた瞳は、琥珀の色。ほの暗い喜びの表情を浮かべたアサシンの目に、床に押しつけられたままのクルセイダーの姿が映りこんでいる。
「悪戯だ」
にっ、とアサシンの唇が笑みの形に歪んだ。
床に押し付けたままのクルセイダーの耳の傍へ、アサシンが唇を寄せる。白狐の面が床の上に放り出された。くすぐるように耳の縁を舐められて、クルセイダーの喉がひくりと震える。
「……悪戯なんて、可愛げのあるものじゃないだろう」
クルセイダーの言葉を聞いて、アサシンが耳元で小さく笑う。濡れた耳元が、僅かに動いた空気を感じ取る。それだけで、背筋にぞわりとした感覚が這い上がってきた。
「ハロウィンの夜に、やってくるなんて……っ、悪魔か、死霊の類だろう、に」
裏返りそうになる声を必死に押さえ込みながら、クルセイダーはアサシンの髪を掴んだ。
固い手触りの真っ直ぐな髪を、ぐい、と力任せに引く。僅かに顔をしかめたアサシンが、クルセイダーの顔を見た。掴めなかったアサシンの濃い色の髪が、クルセイダーの頬に掛かる。
ランプの明かりに照らされて、アサシンの目が金色に輝いている。欲情の色が、確かにある。そこに映る自分の姿を認めて、クルセイダーは僅かに唇をつり上げた。
「そんなに、私の魂が欲しいか」
アサシンの目が見開かれる。
少しだけ満足したような表情を見せたクルセイダーは、アサシンの髪を強く掴んでいた手から、ゆっくりと力を抜いていった。一度だけ、指でアサシンの髪を梳いてから、彼は手を床へと降ろした。抜けてしまった髪が数本、クルセイダーの指に絡みついている。
「……そうだね」
静かな声でアサシンが呟く。
押さえつけていたクルセイダーの右手から、アサシンは手を離し、今度は指を絡めるようにして手を繋ぎ直した。すぐ脇に転がる短剣が、ランプの明かりの下で光っている。
「それは、美味しそうだ」
 金色の瞳が、子供のように無邪気な表情を見せた。
楽しそうに笑った唇が、クルセイダーの喉元に触れる。ちろりと覗く舌が、皮膚の下に浮き上がる骨の形をなぞり上げていく。生温い感触に、クルセイダーの指先が、床を掻き毟るように蠢いた。
繋いでいるのとは反対のアサシンの手が、逃がすまいとするように、クルセイダーの頭を押さえる。アサシンの手指に、半ば視界を塞がるようにして、クルセイダーは目を閉じた。
開かれた窓の向こうから、夜風に乗って声が聞こえてくる。
それは魔物に扮した子供達のものなのか、それとも本物の魔物のものか。
それすらも分からないまま、クルセイダーはすぐ傍にいる「魔物」の腕に、自らの身を委ねた。





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