焚書の炎



うーん、とノービスは考え込むような声を上げる。
「……やっぱり、可愛くないよなあ」
ゲフェンの噴水広場に座り込む彼の膝の上には、手の平より少し大きいぐらいの本が乗っている。
青い色の表紙の上で、太陽の光がきらりと反射した。
何の変哲もないように見えるその本だが、その表紙の下には、ぎざぎざした歯のようなものが生えていた。
歯の先を、ノービスは指で突付いてみる。
チクリとした痛みが、指先から伝わった。
「こんなもん被って何が良いんだか」
歯から手を引っ込めて、ノービスは呟く。
それは、魔物であるライドワードを象って作られた帽子であった。
昔馴染みの友人に、倉庫を整理するから預かっていて欲しいと渡されたのが数日前。
冒険者の装備として正式に認可された帽子ではあるが、ノービスが被る事は禁じられている。別に被りたいとも、ノービスは思わなかったが。
膝の上から顔を上げると、少し離れたところに待ち人の姿を見つけた。
ライドワード帽を手に持って、ノービスはその場に立ち上がる。
「先輩おつか……うわああああああっ!」
やって来た赤髪のウィザードに声を掛けようとしたが、その言葉は絶叫で途切れた。
ノービスの目の前に、大きな炎の壁が立ちはだかったのだ。
「何するんですか!」
「お前こそ何してる!」
つかつかと近寄ってきたウィザードが眦を吊り上げる。
「どこから持ってきたそんな物!」
ウィザードの言葉に、へ、とノービスは間の抜けた声を上げる。
「え、ど、どれ……」
きょろきょろと辺りを見回すが、ウィザードが激昂しそうなものなどひとつも見当たらなかった。
すっと、ウィザードが指差す。
「その右手に持っているヤツだ」
そう言われて、ノービスは不思議そうな顔をして右手を胸の前に上げた。
そこにあるのは、ライドワード帽のみである。
「これが、どうか?」
「どうかじゃない!」
もう一度、ウィザードが声を荒げる。
「ライドワード化している本は、厳重に封印して、人の触れられない場所で保管しておく事になっているんだ。その封印を解いて、こんな街中まで持ってくるとはどういうつもりだ」
言葉の内容に、ノービスはぽかんと口を開けたが、ややあって納得したような表情を見せた。
「……あ、ああー……」
胸の前で掲げていたライドワード帽を、両手で持ち直す。
「あのね先輩」
杖を握ったウィザードが、反射的に身構えた。
「これ、帽子」
「…………は?」
たっぷり十秒は間を置いてから、ウィザードが聞き返した。
「ほら、中身何もないでしょ?」
ぎざぎざの歯の間に指を入れて、ノービスは表紙を開く。
本であればページがあるはずの場所には何もなく、代わりに頭に固定するためのベルトがつけられていた。
薄気味悪そうな顔をしたウィザードが、ライドワード帽とノービスの顔を交互に見つめた。
ノービスが嘘を言っているわけではない事を悟ると、ウィザードは僅かに身を引きながら、開かれたライドワード帽を杖の先で突付いた。
閉じてやろうか、とノービスは一瞬思いついたが、それをやると今度は本気で燃やされかねない。帽子どころかノービスごと。
散々突付きまわして、本物のライドワードではない事を確認すると、ウィザードははあ、と脱力した。
「全く悪趣味な……」
「同感です」
ぱたんと音を立てて、ノービスはライドワード帽の表紙を閉じた。
見れば見るほど、本物のライドワードそっくりであった。
「流石に本物のライドワードなんか、怖くて持ち運べませんよ」
ノービスが言えば、当然だ、とウィザードは頷く。
「だから厳重に封印してあるんだ」
「てことは、魔法学校とか図書館とかには、ライドワードがあるんですか?」
ノービスの質問に、ウィザードは頷く。
「魔法学校にはある。さっきも見てきた」
「マジっすか」
ノービスが軽く驚いたような顔をする。
「ジュノーのアカデミーや図書館には、かなりの量が封印されていたはずだ。一室全部ライドワードで埋め尽くされてるような場所もある。見たことはないが、恐らく、プロンテラの図書館にもかなりの数が保管されているんじゃないか?」
「ひえー……」
少々寒気を覚えた様子のノービスが声を上げた。
「でも、なんでライドワードが図書館に?」
「ライドワードが保存してあるわけじゃなくて、保存してあった本がライドワード化することがあるんだ。重要な資料だと燃やすわけにもいかないからな」
「で、積もり積もってライドワード倉庫ができる、と」
頷いたウィザードに、はあ、と感心した様子で、ノービスが呟いた。
「うっかり封印解けちゃったりしたら、大惨事ですね」
「解けても何とかなるように、頑丈な造りの倉庫に保管されているんだ。ただ、それで抑えられるかどうかは分からんがな」
「ええっ!」
「実際にライドワードを数百匹放してみるわけにもいかないだろう?」
「あ、そ、そっか……」
小さな部屋の中、数百匹のライドワードが暴れ回る図を想像して、ノービスは小さく身震いした。
ふん、とウィザードが鼻で息を吐く。
「保管するのに時間も労力も掛かるんだし、さっさと焼き払えば良いものを」
「先輩過激だなあ」
「あんな物保管しておくほうがよっぽど過激だ」
そう言い放ったウィザードの顔を、ノービスはちらりと窺う。
「街中に飛び出してもみろ、冒険者以外の人達に被害が及ぶ可能性だって充分にあるんだぞ」
かなりはっきりとした苛立ちが見て取れることに、おや、とノービスは内心で首を傾げる。
「先輩」
「何だ」
鋭い目で見つめられて、ノービスは軽く身を引いた。
「あの……先輩実はライドワード嫌い?」
さっと、ウィザードの顔色が変わった。
だが、すぐに元の表情を取り繕うと、不機嫌そうに眉を潜めてみせた。
「……好きな奴のほうが珍しいだろ」
「あーいや、嫌いって言うか」
ぽりぽりとノービスは頭を掻く。
「苦手?」
今度の言葉には、ウィザードは固まってしまった。
「そういや先輩、マジシャン時代を時計で過ごした人でしたっけ? となると、結構ライドワードに噛まれた?」
ノービスの問い掛けに、ウィザードは答えない。
答えないどころか、反応すらしない。
ノービスは少し考え込むような表情をしてから、おもむろにライドワード帽をウィザードに向かって突き付けた。
ビクッと震えて、ウィザードが退く。
ノービスが一歩近付けば、ウィザードは一歩退く。
手に持ったライドワード帽をじっと見つめたノービスは、顔を上げてウィザードを見ると、意地の悪い笑みを浮かべた。
「苦手なんだ」
「……来るな!」
更に一歩、ノービスが近付けば、ウィザードは弾かれたように走り出した。
「大丈夫ですよー、これただの帽子ですからー!」
「うるさい黙れ来るなったら来るなー!」
全力で走って逃げるウィザードを、ノービスは心の底から楽しそうな様子で追いかける。
ゲフェンの噴水広場に、大きな炎の柱が上がったのは、その数分後の事だった。





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