ヒマワリとガスマスク



まずい。非常にまずい。
彼女はカートを引きながら、薄暗い洞窟を走り続けた。
「死人にもてたって、嬉しくないっつーの!」
彼女は大声で叫んだ。
その後ろを、ゾンビの群れが追いかけてくる。
――あそこを曲がればっ……!
速度を落とす事無く、彼女はカートと共に岩陰に滑り込んだ。荷物が落ちないのは、彼女のドケチ根性のなせる業だろう。
しかし、そこで彼女は、自分の考えが浅はかであった事に気付いた。
「何でここにもいるのさっ……」
岩の陰になって見えなかったのだが、そこにも大量のゾンビが待ち構えていた。
死人は生者よりも足が遅い。だが、これだけの数のゾンビの間をすり抜けて逃げることは、まず不可能であった。前も後ろも、獲物である愚かな生者を見逃してくれそうに無い。
一瞬、カートを置いて走れば逃げられるかもしれないと考え、すぐに首を振る。
そんな勿体無い事は出来ない。それに、逃げられる保障だって、どこにも無いのだから。
――あぁ、神様仏様癌砲様、何でもいいからこの薄幸の美少女を助けて。
彼女は覚悟を決めてカートを置き、背中に背負った斧を両手に握った。
息を吸い、飛び出すタイミングを見極める。
後ろから亡者の群れが迫ってくるのが分かった。
――しゃあない!
彼女が斧を構え、飛び込もうとしたそのとき。
目の前にいたゾンビの群れが、粉々になって崩れ落ちた。
「年若いお嬢サンを集団で襲うなんて、近頃のゾンビは教育がなってませんネ」
驚く彼女の目に、長い金髪をひとつに束ねた、暗殺者の背が映った。


暗殺者は流れるような動きで、彼女の背後に迫るゾンビに近寄った。
彼女が振り向いたときには、そこにはどろどろとした物体が崩れ落ちているだけだった。
緩いウェーブを描く金髪が、彼の動きにあわせて宙を舞う。
優雅な足運びは、まるで艶やかな舞のようである。
ぼんやりと見つめていた商人の少女は、ようやく我に返った。
――……そう、アタシが求めてたのはこういうのよ! これこそ野望達成の第一歩!
今まで死の淵に立っていたとは思えない呑気さで、彼女は一人頷いた。
彼女の野望。それは、どんな大商人にも負けないような店を構えることである。
そこまでは多くの商人が求めるのと同じなのだが。
――ああいう格好いい男を雇って、金持ちを馴染み客にして、リッチな逆ハーを築くのよ……!
目の前の男は、少し喋り方が変わっているが、声から想像すると美形に違いない。
どうにかして懇意になろうと決意を固める彼女の目の前で、暗殺者は次々とゾンビを倒していく。
「ふぅ、ナカナカ根性のある奴ですネ」
彼はそう呟き、最後の一匹の方を見た。
「けれど、ワタシの方がど根性です」
その言葉が終わるときには、すでにゾンビは地に崩れ落ちていた。
「終わりましたヨ」
「あ、はいっ!」
商人は慌てて背中に斧を背負いなおし、暗殺者の方に駆け寄った。
「お怪我はありませんカ?」
「はい、ありがとうござい……」
お礼を言おうとした彼女は、しかし振り向いた暗殺者の顔に言葉を失った。
優雅な金髪の持ち主は、顔にガスマスクをつけていたのだ……。


口を開けたまま呆然としている商人を見て、暗殺者は首をかしげた。
「ドコか、痛みますか?」
「……え、あ、えーと……」
何て言えば良いのか分からない商人をよそに、暗殺者はポン、と手を叩いた。
「アー、ワタシの戦いっぷりに惚れましたネ?」
ああ、美しいとは罪、と叫び、天――といっても洞窟の天井――を仰ぐ暗殺者に、商人は内心頭を抱えた。
――駄目だ、こいつ。
確かに戦い方は惚れ惚れした。後姿や足運びは優雅だったし、体つきもなかなか良い。髪の毛もサラサラだ。
だが、ガスマスクを被っている暗殺者の、どこに惚れればいいのだろう。
これじゃあ肝心の顔が分からないではないか。
「本当にダイショブですカ?」
そういって覗き込んでくるガスマスクに、彼女は慌てて首を振った。
「大丈夫です、ちょっと驚いてしまって」
「確かに、あの量は異常でしたネ」
いやアンタのガスマスクだよ、と叫びたい気持ちを必死に押さえて、彼女は笑顔で頷いた。
とりあえず、コイツから早く離れなくては。
彼女はカートに駆け寄り、中からニンジンを大量に取り出して袋に詰めた。
「これ、少ないですけど、助けてもらったお礼に」
必死に笑顔を作り、その袋を暗殺者に押し付ける。
「オー、ありがとうございますっ♪」
そんな彼女の様子にも気付かず、暗殺者は嬉しそうに袋を受け取った。
「あの、ここ危なそうだから、私は街に戻りますね」
商人はそう言って、カートを持ち直した。
「出口までお送りしましょうカ?」
そう言って手を差し伸べるガスマスクに、彼女は首を横に激しく振った。
「いえいえっ、そこまでして頂かなくても大丈夫ですっ!」
そう叫び、彼女は出口に向けて全力で駆け出した。
「遠慮しなくても良いんですけどネー……」
残されたガスマスクはそう呟き、ニンジンを抱え、鼻歌を歌いながら洞窟の奥へと向かった。


人の少ない、日当たりのいい所に露店を広げながら、少女はぼんやりと考えていた。
あのガスマスクを外したら、どんな顔が現れたのだろう。もしかしたら、綺麗な顔を隠す為にガスマスクを被っていたのかもしれない。
いや、そんなはずない、と彼女は考え直す。
別に顔を隠す利点はどこにも無い。
それにあの言動がある。さっさと別れて正解だったのだ。
世の中には、もっと格好良くて、まともな男が溢れているに違いないのだから。自分だってそれなりに可愛いし、もう少し大人になれば、すぐに素敵な男性が集まるだろう。ただ、ちょっと運が悪くて、いい男と巡りあえないだけだ。
そこまで考えて、彼女は溜息を吐いた。
「どっかに、いい男いないかなぁ……」
「ワタシをお呼びですカ?」
「おうあああぁぁっ!?」
突然目の前に現れたガスマスクに、彼女は悲鳴を上げた。
「な、何でここに!」
焦りながら叫ぶ彼女の目の前で、ガスマスクはうーんとうなり、頭を掻いた。
先程は暗くて気付かなかったが、頭には見事なヒマワリが咲いていた。
ただでさえ高い身長が、更に高くなって、相手を威嚇するようである。いや、身長よりも外見の方が恐怖を感じさせるのだが。
「先程もらったニンジンを食べようと座り込んだら、ムナックに囲まれてしまいましてネ。ちょうどコレを外しかけてた時でして、付け直すのに手間取ってボコボコ殴られてしまったんデスよ。あんまりにもヤバイから、慌てて戻って来たんデス」
魔物までワタシの美しい顔に惹かれたんですネと付け加え、彼はガスマスクをこんこんと叩いた。
商人は気付かれないように溜息を吐いた。
――やっぱりこいつ駄目だ。
「という訳で、ニンジン売って下サイ」
そう言って、ガスマスクが目の前に座る。
「お金出してヒールしてもらうほうが安上がりじゃないですか?」
そう聞くと、ガスマスクは悲しげに首を振った。
「ソレが、ワタシが近づくと皆逃げてしまうんですヨ」
そりゃそうだ。
そう思ったが、彼女はそうですかとだけ答えて、ニンジンを袋に詰め始めた。


見た目がどうであろうと、客は客である。
大量にニンジンを購入してくれる人は、例えガスマスクでも素敵なお客様だ。
「……はい、ちょうど受け取りました」
ニンジンの代金を数え、商人はガスマスクに営業スマイルでニンジンを渡した。
「ありがとうゴザイマス」
彼はそう答えてニンジンを受け取ると、キョロキョロと辺りを見回した。
「ここで食べててもいいデスカ?」
あまり多くの人に顔を見られたくないのですヨ、と彼は付け加えた。
「どぞ……って洞窟とかではどうしてるんですか?」
「人がいないのを確かめ、壁の方を向いて外すんですヨ」
洞窟で壁に向かって座り込み、ひたすらニンジンを齧る暗殺者。
足元にはガスマスク。
頭に浮かぶ惨めな姿に、商人の中で、暗殺者に対するイメージが音を立てて崩れていった。
――どう考えても、ガスマスクいらないじゃん……。
きっと頭のヒマワリに脳みそを吸われているに違いない、と彼女は思った。
ガスマスクのほうは、さっさと彼女に背を向けて、ニンジンの袋を開けている。
その背中に、彼女は静かに決意を固めた。
「あの……」
「何デスカ?」
振り向いたガスマスクに、商人は勇気を振り絞って言葉を続けた。
「顔、見せてくれませんか?」
ニンジン値引きしますから、と付け加える事も忘れなかった。
隠されていると、余計に見たくなるのが人間の心理だ。これで美形なら儲けものである。
「フム……」
ガスマスクはそう呟き、商人の顔を見た。暗殺者の目は、ガスマスク越しでよく分からない。
商人が真っ直ぐに見つめ返す。ここで引くわけには行かなかった。
奇妙な沈黙が辺りを支配する。
そよ風が、ガスマスクに寄生するヒマワリの葉を揺らす。
笑わないようにしようとすればするほど、ガスマスクとヒマワリのコンボがつぼにはいる。
とうとう彼女が絶えられなくなり、口を開きかけた時だ。
「モウ、惚れちゃダメですヨ♪」
キャッ、という不気味な呟きとともに、ガスマスクは頬に手を当てた。
――やった……!
彼女は心の中でガッツポーズをとり、無言で頷いた。不気味な呟きは聞かなかったことにした。
暗殺者がガスマスクを外す。
ドキドキと少女が見守る。
「……ふぅ、やはり洞窟の外のほうが気持ちいいデスネ」
軽く溜息を吐いて、暗殺者が商人に笑いかけた。
――お、いい男。
自分で言うだけあって、彼はなかなかの美形であった。
まじまじと見つめる少女に、彼は頬に手を当て、恥ずかしがるような素振りを見せた。
「惚れちゃダメって言ったのに♪」
やはり、キャッ、という呟き付きである。
やっぱりどっか変だ、と商人は思った。


人間というのは都合のいい生き物であり、見た目が変わるだけですぐに打ち解けてしまう。
彼女らの場合も例外ではなかった。
「ウーン、美しいお嬢さんに美味しいニンジン。ワタシは幸せ者ですネー」
幸せそのものの表情でカリカリとニンジンを齧りながら、暗殺者が呟いた。
「そうよね、アタシやっぱり美人よね」
彼の言葉に、商人が力強く頷く。
「エエ、あと数年もしたら素敵なレディになりますヨ」
「そうよねそうよね。でもアンタも格好良いわよ」
「そんな分かりきった事、今更言わなくっても良いですヨ」
そう言いながら、彼は金色の前髪を左手でかき上げ、白い歯を見せて笑った。
――爽やか暗殺者ってのもいいわ……。
うっとりとした表情で、彼女は暗殺者を見つめた。
右手に握られた、食べかけのニンジンは見なかったことにした。
「ってアンタ、そんなに格好いいのに何で顔隠すのさ?」
露店の荷物を並べなおしながら、商人がもっともな質問を口に出す。
「そりゃ、哀れなレディがついてきてしまうからに決まってるジャないデスカ」
自信たっぷりに断言する暗殺者に、商人は首をかしげる。
「いいじゃない、女の子にもてるの好きでしょ?」
「エエ好きですよ」
でもね、と付け加えた暗殺者に、商人が顔を上げた。
途端、空気が張り詰めるのを、彼女は感じた。
彼女の目の前にいるのは、あのいかれた爽やか暗殺者ではなかった。
同じ人間ではあるのだが、その目に浮かぶ色がまるで違う。
生きているものに死の恐怖を与える、暗殺者の目。
魅入られたように硬直する商人に向かって、冷たい目の暗殺者は優しく微笑みかけた。
「狩りの邪魔をされるのは、殺したいほど大嫌いデス」
あくまで優しいままの口調が、余計に彼女の背筋を冷たくする。
どれだけふざけた格好をしていようと、目の前の男は暗殺者なのだ。
しかも彼は、生き物を殺す事に快楽を覚えている。
それだけの事実を、今更ながら思い知る。
「……そう」
商人はそれだけ言うと、自らの仕事に戻った。
手が微かに震えている事に、彼女は気付かなかった。


「さて、大分回復したし、また狩りに向かいますカ」
元のふざけた表情に戻って、暗殺者が呟く。
ニンジンの詰まった袋の口を縛り、ガスマスクを被りなおすと、彼は立ち上がった。
「お嬢サンは行かないデスカ?」
暗殺者の言葉に、商人は首を横に振った。
「アタシはもうちょっとお店やってる」
「そうデスカ」
ではお先に、と彼が歩き出す。
「……あのさ」
聞き取れるギリギリの大きさの声で、商人が暗殺者の背に声をかける。
「もし、もしも狩りより女の子はべらすほうが楽しくなったら、アタシに言って。アタシ、素敵なレディになる頃には首都に大きなお店構えてるはずだから」
自らの決意を固めるように、商人は言葉を続ける。
「そしたらアンタ、うちのお店で働いてよ。アンタの顔なら間違いなく沢山の女性客が来る。アンタは女の子にモテモテ、アタシは大金持ちでウハウハ。いいと思わない?」
暗殺者が振り返る。
「それに、アタシの店で働けば、いつでも素敵なレディのアタシに会えるのよ」
そう言うと、商人は飛び切りの笑顔を浮かべた。
「……狩りに飽きたら、アナタに会いに行きマショウ」
暗殺者は中世の騎士のようなお辞儀と共に答え、洞窟に続く道を歩き出した。
「待ってるからねっ!」
商人が笑顔のまま、暗殺者を見送った。
耳の奥で、先程の彼の言葉を思いだした。
優しくて、どこか楽しげな声だった。
「あ、でもうちの店の中でガスマスクは被らないでよ!」
大声で叫ぶと、ガスマスクの暗殺者は振り返って大きく手を振った。
同時に、頭のヒマワリがゆらゆらと揺れた。
結局、何故ヒマワリなのかは分からないままだった。





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