DOLCE



少し固めの、チョコチップが沢山はいったスコーンを目の前に、剣士の少女はぼんやりとしていた。
白いお皿の上に、スコーン一個と、小さな食べかすだけが乗っている様子は、何故か哀愁漂って見えた。
食べられない訳ではない。今日は私服で、お腹周りもきつくないのだし。
それでも、口に入れようという気が起きなくて、彼女はフォークでそれを突付きまわしていた。
「アイスカフェオレとアイスミルクティーになります」
ウェイトレスの声で、剣士はようやく突付きまわすのを止めてフォークを置いた。
二つのグラスを置いて、ウェイトレスが立ち去ると、剣士はカフェオレを自らの目の前に、ミルクティーを人の居ない向かいの席に置いた。
教会に続く大通りにある、少しお洒落な喫茶店。
場所のせいか、いつ来ても女性で賑わうこの店に、今日は一人だけ男の姿がある。
向かいの席の主であり、彼女の師である、クルセイダーの青年だった。
彼の目の前には、幾つものケーキや果物の乗せられた大皿が並んでいて、そこから自らの持つ皿に、トングで移していく。
いつもは重たげな鎧を着込んでいる彼も、今日はすっきりとした私服姿である。
クルセイダーとしてのしっかりとした姿も好きだが、意外と細身なのが分かる今の格好の方が、剣士の少女は気に入っていた。
綺麗に整った顔立ちの彼は、鎧姿でもその凛々しさで人目を惹くのだが、私服になるとまた違った魅力があり、今も他の女性客や、ウェイトレスの視線を惹き付けている。
けれど、あの白い皿を乗せた手が、剣を握っている時の威圧感なんて、自分以外は想像できないに違いない。そう思うと、微かな優越感に胸がくすぐったくなった。
それでも、やはり自分ですら知らない面というものがあって。
「ここまで甘い物好きだなんて知らなかったなあ……」
剣士の呟きは、もちろん、クルセイダーには届かない。
流行のデザートバイキング。この喫茶店も、そんな流行に乗ったものだった。
少し考え込む様子のクルセイダーに、頼みがあると言われたのが数日前。
女性でないと頼めない、という言葉に、剣士は大喜びしたのを覚えている。
まだ十八にもならない自分を、子供扱いしないでくれることが、素直に嬉しかったのだ。
さてどれほど色のある頼み事だろうと、ワクワクしながら待ち構えた剣士の前で、クルセイダーが発した言葉といえば。
「甘い物食べ放題に、付き合ってもらえませんか?」
見当外れの頼み事に、思いっきり拍子抜けしてしまった。
確かに男一人では入りにくいだろうが、と剣士は店内を見回した。
甘いお菓子の匂い溢れる店内は、同じぐらいに女性の華やかさで溢れている。
「食べないんですか?」
その声に顔を上げると、いつの間にか、クルセイダーが席についていた。
剣士はまさか、と首を横に振って、チョコチップのスコーンを口にほおばった。
クルセイダーの前にある皿を見ると、それは沢山のお菓子が乗っていて、隙間が見えないほどだった。
チョコレート色のクリームが掛けられたケーキに、ドライフルーツの入ったパウンドケーキ。ナッツの乗ったタルトの隣には、蜂蜜色のゼリーとミルクプリンが仲良く並んでいる。果物のシロップ漬けが入った小鉢までもが、一緒になって乗せられていた。
その中にひとつ、まだ自分が食べていないものを彼女は発見した。
「こんなのあったっけ?」
剣士が指差すのは、オレンジ色をした、質素なスポンジケーキだった。
ルナティックを象った飾りの付いた楊枝が刺さっていて、見た目にも可愛らしいそれを見やり、クルセイダーが口を開いた。
「先程追加されたみたいですよ」
「ふーん」
剣士はそう答えると、ひょいと手を伸ばして、楊枝をつまんだ。
「これもーらい」
「あ」
クルセイダーが何かを言おうとするのだが、それに構わず、剣士はケーキを口の中に放り込んだ。
もぐもぐと何度か咀嚼すると、不意に剣士は眉をひそめた。
「これってさ、もしかして……」
段々と渋い顔になる彼女に、だから止めようとしたのに、とクルセイダーが首を横に振った。
「ニンジンのケーキですよ」
それを聞くと、剣士はルナティックの爪楊枝を放り出して、慌ててカフェオレで口の中身を流し込んだ。
どうにか飲み込むと、涙目になりそうな様子で彼女は呟いた。
「ニンジン嫌いなのにー」
口直しといった様子で、クルセイダーの皿からチョコレートケーキを奪い取る。
それを咎めようともせずに、クルセイダーは微笑みを浮かべて剣士を見つめる。
「ケーキでも駄目でしたか?」
「うん」
チョコレートの味でようやく落ち着いたらしい剣士が頷いた。
「人の物を考えなしに奪うから、こういう事になるんですよ」
「……こんなとこでもお説教されるなんてなあ」
「人生何事も勉強です」
クルセイダーはそう呟くと、ミルクティーにガムシロップを注いで、口を付けた。
剣士はウェイトレスにカフェオレのおかわりを注文して、クルセイダーの食べる様子に目をやった。
かぶりついたり、一口で食べようとする剣士と違い、彼はフォークで小さく切って、口に運んでいく。
よく噛んでから飲み込み、また小さく切って口に入れる。時折、甘そうなミルクティーに口を付けながら。
食べ方は優雅だが、かなりのハイペースでそれを繰り返すものだから、減るのは速い。
段々白く開拓されていく皿を眺めながら、あーあ、と剣士は呟き、クルセイダーの皿にあるタルトにフォークを刺した。
「あたしも男に生まれたかったなあ」
そう言いながら、タルトを口の中に放り込む。
「どうして?」
口の中身を飲み込んでから聞き返すクルセイダーに、だって、と剣士はタルトを噛み砕きながら続ける。
「そうだったらもっと食べられるじゃない」
クルセイダーは考え込むように首を傾げた。
「運動量も多いのですから、それほど気にしなくてもいいのでは?」
「あ、体重の事じゃないの。純粋に食べる量の事ね」
クルセイダーはますます考え込むような顔になってしまった。
剣士はタルトを飲み込むと、空になった自分の皿を、フォークで軽く突付いた。
「やっぱり、男と女じゃ食べられる量が違うみたいじゃない。あたしまだ二回しかおかわりしてないけど、もう満足できちゃいそうだもん」
それ三回目でしょ、と剣士が聞くと、クルセイダーは頷いた。
あーあ、ともう一度剣士が呟き、今度はミルクプリンを奪い取った。
「同じ金額なのに何か損してるみたい」
すると、クルセイダーがなるほど、と頷いた。
「だから、女性向に作られたお店が多いのかも」
「あ、そうかも」
男性の食欲では、赤字になりかねないという店もきっとあるに違いない。
剣士が答えるのとほぼ同時に、カフェオレが運ばれてきた。
ミルクプリンを手早く食べ終えた剣士が、それに口をつけるのを見ながら、クルセイダーはケーキを口に運んだ。
よく噛んで飲み込むと、でもね、と彼は口を開いた。
「貴方が男性でしたら、こんなお願いは出来ませんでしたよ」
そう言って、クルセイダーは微笑んで見せた。
男一人で入るには勇気がいるが、それが二人に変わったところで大差は無いだろう。
「それとも、迷惑なお誘いでしたか?」
問い掛けに、剣士は慌てて首を振った。
「そんな事無いよ、おごってくれてるんだし」
友達同士じゃそうはいかないもの、という言葉に、クルセイダーが笑い出す。
「なら、良かった」
心の底から安心した様子の言葉に、剣士も笑い出す。
年上の、しかも綺麗な男性から、一人の女性として扱われて、デート――だと、彼女は思う事にしている――にまで誘われて、代金は相手持ち。
迷惑だなんて思うはずがない。
「やっぱり、もう一回おかわりしてくる」
剣士がお皿を持って立ち上がると、クルセイダーが口を開いた。
「ニンジンのケーキには気を付けて」
「分かってるって!」
そう言い残すと、彼女は大皿の並ぶカウンターに楽しそうな様子で向かっていった。
後に残されたクルセイダーは、ミルクティーに口をつけると、そっと口を開いた。
「人が取ってくる度に、半分ぐらい奪い取っていくから満腹になるんだろうけどな……」
それを聞いたのは、爪楊枝のルナティックだけだった。





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