My dear bedding



ちりん、と涼しげな音が響く。
干草と新緑の混ざったような匂いに、ブラックスミスは目を開いた。
どこからか柔らかい日差しが差し込んでくる。身にまとわりつく空気は、少し湿り気を帯びていたが、不快に感じるほどのものではなかった。
確かあの音は、風鈴というガラスで出来た飾りの揺れる音だと、ブラックスミスは思い出す。
ちりん、と再び響く音と共に、涼やかな風が吹き込んできた。
優しく吹き込んでくる風に乗って広がる、微かだが独特の匂いを、ブラックスミスは嫌いではなかった。
「……ふー」
背中に触れる、ひんやりとした床の感覚が心地良い。
無造作に投げ出したままであった、薄く汗のにじんだ手の平で、ブラックスミスは自らの横たわる床の上をそっと撫でた。
木肌とも織物とも違う手触り。力を加えれば少しだけへこむような感触。
畳と呼ばれる、アマツの伝統的な床材だ。
投げ出していた手を大きく広げるようにして、ブラックスミスは息を吸った。胸の中に、畳の匂いが広がるような気がした。
建物の中に入るときに靴を脱ぐというアマツの文化を、ブラックスミスは結構気に入っていた。
生まれ育ったモロクの街でも、自分の家では、絨毯に座るときには靴を脱ぐことがほとんどだった。だから、靴を脱ぐという文化そのものにはほとんど抵抗を覚えなかった。
靴を履かずに歩く床の上は、外と比べればかなり清潔に保たれているのだろう。アマツの人々は畳の上に直に横になって午睡を楽しむこともあると聞いたときには、本気で羨ましがったものだ。
室内でくつろいでいる時に、そのまま横になれる環境なんて、怠惰なブラックスミスには羨ましい以外の何ものでもなかった。
屋外の草原などでは平気で横になれるブラックスミスであったが、普段の生活では、流石に建物の中で直に床に寝転がることには抵抗があった。何しろルーンミッドガッツ王国内の建物は、ほとんどが床は木か石で出来ている。寝転がったら背中が痛くてたまらないだろう。
それに比べて、畳の床の程好い柔らかさといったら。
アマツで宿を取る度に、ブラックスミスはこうして畳の上に寝転がり、その感触を楽しむようにしている。
けれど、とブラックスミスは思う。
けれど、こうして畳に慣れ親しめる冒険者というのも、そう多いものではないのかもしれない。
畳の上に横たわったまま、ブラックスミスは視線を動かす。
目に飛び込んできたのは、赤い頭。
ブラックスミスと同じく、ルーンミッドガッツ王国出身の、男ウィザードである。
彼の生まれは、モロクよりも首都プロンテラに近いゲフェンの街である。プロンテラとほとんど環境の変わらないその街では、家の中で靴を脱ぐような習慣はあまりないらしい。アマツの風習を聞いたとき、ウィザードが随分と怪訝そうな顔をしていたのを、ブラックスミスは覚えている。
それでも靴を脱ぎ、畳の上に直に座るといった行為には、少々抵抗を見せたもののすぐに従っていた。
だが、畳の上に直に寝転がることには、どうにも不快感を覚えるらしい。荷物を放り出して畳の上に大の字になったブラックスミスを見ては、ウィザードは珍獣を見つけたような顔をしてみせるのだ。
気持ち良いからやってみれば、とブラックスミスが誘っても、首を横に振って頑なに拒む。どころか、「信じられねー」とブラックスミスに向かって呟く。
ブラックスミスから見れば、それは随分と勿体ないことをしているように思えるのだが、慣れ親しんだ文化からはなかなか離れられないのであろう。別にブラックスミスに対して害を与えるわけでもないので、無理強いするようなこともなかった。
そのウィザードが、寝転がっている。
しかし、それは彼が頑なに拒んだ畳の上ではない。
かといって、布団や座布団を敷いているわけでもない。
自らのマントを敷布団代わりに敷いているわけでもなかった。
二人がいるのは、アマツの国である。寝台や椅子があろうはずもない。
そんな中で、ウィザードが横になっている場所といえば。
「……重いんですけど」
少々苦しげな様子で、ブラックスミスが呟く。
ウィザードが横たわっている場所。
それは、畳に寝転がるブラックスミスの上だった。
「俺は敷布団か」
そこまでして畳の上に寝転がりたくなかったのかと言うべきか、そうまでしても寝転がりたかったのかと言うべきか。
畳の上に投げ出していた手の片方を、ブラックスミスはウィザードの背に乗せた。
どうやら本当に眠っているらしい。ブラックスミスの手の下で、ウィザードの背中は寝息に合わせて緩やかに上下していた。
ブラックスミスに比べれば、ウィザードは少し背が小さく、幾分華奢な体つきをしてはいるものの、二人とも標準的な成年男子の体格をしている。当然ながら、ウィザードの体の全てをブラックスミスの上に収めることは不可能である。ウィザードはブラックスミスの上にまたがるようにして、両足は畳の上に降ろし、胸と首の間辺りに頭を乗せ、上半身だけをブラックスミスの体の上に重ねていた。
どう考えても、人には見られたくない格好である。
参ったね、と思いつつも、ブラックスミスはウィザードを払い落とそうとはしなかった。
それどころか、未だ畳の上にあった反対の手を、ウィザードの腰へとかけた。
そっちが敷布団扱いをするというならば。
「こっちは抱き枕、ってとこっすかね」
それにしちゃあ随分硬いけど、とブラックスミスは苦笑した。
適度に鍛えられた、骨ばった体を軽く抱きしめてやると、腕の中のウィザードが僅かに身じろいだ。
首元にウィザードが頭を擦り付けてくる。擦れる赤い髪が少しだけくすぐったかった。
揺れている頭を撫でてやろうかと、ブラックスミスが手を上げたところ。
「いでっ!」
ゴン、と鈍い音が辺りに響いた。
少しの間を置いてから、ブラックスミスの上で眠っていたウィザードが、もそもそと体を起き上がらせた。
「……痛い」
不機嫌そうな顔で頭頂部を撫でながら、ウィザードが呟いた。
「痛いのはこっちだっつーの」
顔をしかめたブラックスミスが、自分の顎の辺りを撫でた。
「寝たまま頭突きする奴があるか」
先程の鈍い音。それは、首元に大人しく収まっているかのように見えたウィザードの頭が、ブラックスミスの顎を直撃した音だったのだ。
大きなあくびをしながら、ウィザードはまたがっていたブラックスミスの体から降りた。
「お前のせいで体が痛い」
「それが勝手に人の上で昼寝してた奴の台詞か?」
ブラックスミスが言えば、仕方ないだろ、とウィザードは肩を竦める。
「お前の上ぐらいしか寝る場所がなかったんだから」
「あーそうですか」
顎を撫でていた手を、もう一度畳の上へと戻した。
畳の上に座りなおしたウィザードは、風鈴の吊るされた窓辺へとにじり寄った。寝転がるのに抵抗はあっても、膝立ちで歩くことには別段何も感じないらしい。
「人の上は暑いな」
そう呟いて、窓辺で涼しげに目を細めたウィザードに、ブラックスミスは背を向けた。
「そりゃ悪かったね、寝心地悪くて」
ブラックスミスが吐き捨てる。
ウィザードに背中を向けたままの体勢で、ブラックスミスは目を閉じた。
ちりん、とまた風鈴の揺れる音がする。
その音の後ろで、ウィザードが微かに笑う。
「そうでもないぞ?」
弾かれたように、ブラックスミスが目を開く。
それ以上、ウィザードは何も言ってこない。
畳の上に、ブラックスミスは視線を落とす。窓辺に佇むウィザードの影が、干した草の編目の上に広がっていた。
「……良い夢見れた?」
振り返りもせず、ブラックスミスが尋ねる。
「秘密」
ウィザードの影は微動だにしない。
後に聞こえるのは、風鈴の音だけ。
口元に小さく笑みを乗せ、ブラックスミスは目を閉じた。
先程よりも強く感じるようになった畳の匂いが、鼻先をくすぐった。





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