秋の気配


どさり、という物音に、ウィザードは目を覚ました。
もし彼の職業が騎士であれば、剣の柄に手をかけるといったところだろうか。
冒険者としての経験が、彼に臨戦態勢を取らせた。
剣技に通じていない彼は、脳内で魔術の構成を描き始めた。
辺りの気配に意識を集中させるが、特に危険は無さそうである。
しかし手練のアサシンなら――と考えて、ウィザードは口元に笑みを浮かべた。
いくら何でも考えすぎだろう。
自分は単なるウィザードであり、そんな者に狙われる様な行いをした覚えはとんと無かった。
では、一体何の音だったのか。
ウィザードは寝台の上で体を起こすと、部屋の中を見回した。
彼が眠っていたのは、小さめだが、清潔感溢れた宿の一室だ。
冒険者向けの宿だから、ごてごてとした装飾は見当たらない。寝心地のいい寝台があれば問題ないのだから。
実際、その部屋には寝台が二つと、椅子が二つ。それに机があるだけだった。
だから、宿の備品が音の原因であるという可能性はまずないだろう。
では荷物が落ちた音だろうか、と自分の荷物を目で探すのだが、それは服と一緒に椅子の上に積まれたままだった。
彼はもう一度、侵入者の可能性を考えて窓に目をやった。
そろそろ秋になろうかという季節なのだが、彼が眠りに着こうとした時間帯は、窓を閉めて眠ってしまうにはまだ少し暑さが残っていた。
開け放されたままにされたそこからは、人はおろか、猫が入った形跡すらも見当たらない。 となると。
ウィザードは隣の寝台を見た。
そこには、彼の事を先輩と慕ってついてくるノービスが眠っていた。
ただし、体の半分程を寝台からはみ出させた状態で。


ウィザードが知っている範囲では、ノービスの寝相はそれほど悪くなかった。
だが、今日は相当に疲れていたのだろう。掛け布団を半ば床に落としかけたノービスの、片方の手はだらしなく床に垂れ下がっており、その隣には枕が転がっていた。
どうやら、これが音の原因だったらしい。
ウィザードは布団から抜け出すと、寝台から降りた。
初秋といえども、真夜中の温度はそれなりに低いらしい。目覚めたばかりの体には、夜の空気は少し冷たかった。
それはノービスとて同じはずなのだが、彼に目覚める気配は一向になかった。
床に落ちた枕を拾い上げ、ノービスの寝台の脇に置くと、ウィザードはノービスの体を寝台に押し戻した。
ウィザードと言えども、れっきとした男、しかも冒険者である。ノービスの体を寝台に戻す事ぐらい造作なかった。
しかし、そのままの体勢で戻したので、垂れ下がっていた手は宙ぶらりんになっている。
それを布団の中に戻してやろうとして、ウィザードはノービスの手を掴んだ。
「うわ」
思わずウィザードは声を上げた。
きっと枕を落とすよりも随分前から、布団の外に出ていたのだろう。
ノービスの手は、驚く程冷たくなっていたのだ。


ノービスの手は、ウィザードのものとはまるで違った作りをしていた。
短剣を握りなれているためか、皮は厚く、がっしりしている。けれど、皮膚自体が荒れているわけではなく、手の甲は滑らかだった。指はウィザードよりも短めで太いが、骨ばったウィザードの指よりもラインは柔らかい。
物珍しさにウィザードがそのラインに指を沿わせると、ノービスが指を絡めてきた。
慌ててウィザードはノービスを見るのだが、彼に目覚めた様子はない。
ウィザードは少し躊躇ったが、やがて、まだひんやりとしたノービスの手を静かに握った。
反対の手で、ノービスの手の甲を撫でてやると、温度が伝わるのか、ノービスも手を握り返してきた。
段々と温まっていくノービスの手を、ウィザードは両手で包み込んだ。
人の手が温かいというのは、こんなにも心が安らぐものだったのだろうか。
窓から吹き込む夜風で、体は寒いはずだが、ノービスの手が温まっていくと、不思議とウィザードも温かくなるような気がした。
ノービスの手が充分に温まってしまうと、ウィザードはノービスの手を布団の中に押し込み、また冷たくなることが無いように窓を閉めておこうと、手から力を抜いた。
すると、手が離れるよりも先にノービスが強い力で握り締めてきた。
「おい……」
短剣を握りなれたノービスの手は、ウィザードよりもかなり握力がある。
痛くは無いのだが、簡単には振りほどけそうに無かった。
ノービスに手を握られたままでは、窓を閉める事はおろか、寝台に戻る事すら出来ない。
しかし、このまま眠れば、体の丈夫さに自信の無いウィザードが風邪をひくのは想像に難くなかった。
それを避ける方法は、ただ一つ。
「……仕方ないよな」
自分に言い聞かせるように呟くと、ウィザードはノービスの体を少し押しやった。
そして、空いた空間に、自らの体を滑り込ませた。
手を繋いだままの体勢では眠りづらいと思ったのだが、ノービスの体温で温まった寝台は――ウィザードは認めたくなかったのだが――心地良く、すぐに眠れそうであった。
脇に置いておいた枕を自らの頭の下に敷くと、ウィザードは目を閉じた。
ノービスの手を握り返してやると、少しだけ、ノービスの手が緩んだような気がした。

寝台に潜り込んだウィザードが、間もなく寝息を立て始めると、それまで眠っていたはずのノービスが、薄く目を開いて微笑んだ。 彼が静かに体を寄せて、温かい手を握り締めたまま目を閉じた事を、ウィザードはいつまでも知らない。






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